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クローズアップ ホースマン達の勝負に懸ける熱き想い
有馬騎手インタビュー01LONG & WINDING ROAD

波乱万丈の騎手人生。長く曲がりくねった道の先に―。

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    有馬 澄男プロフィール

 

ラストラン、そして新たな道へ―

 7月15日の第9レース、向正面3番手の好位につけていた8枠10番チャンピオンホーク号は直線に入って失速、
8着でゴール板を通過した。有馬澄男の42年間のジョッキー生活は、こうして無事に幕を閉じた。
生涯勝利数7151勝の佐々木竹見氏を頂点に、地方競馬歴代7位の勝ち鞍4185勝を挙げての堂々たるラストランだった。
まずは「長い間、おつかれさまでした」と言いたい。

 

 この日の前日、有馬騎手のもとに朗報が届いた。調教師免許試験に合格したという知らせだった。
兵庫県では北野真弘騎手、徳本慶一氏(元福山競馬調教師)が同時合格し、今年は3人の新調教師の誕生となる。

 

 「まぁ、なんとか合格してほっとしました」そう言って、有馬騎手は安堵の表情を浮かべ、いつもの笑顔になった。

 

 調教師への転身を決めたのは昨年のことだという。58歳という年齢を考えると勇気ある決断といわねばならない。
「年齢(とし)が年齢ですから、定年(70歳)まであと10年ちょっと。調教師としてやっていく年月が限られています。
そのへんが不安材料。すべてはこれから、という心境です」と58歳の新人調教師は言う。
これから始まる調教師人生は、1年1年が勝負になる。ハンデを背負ってまで厩舎運営に賭ける思いは相当なものだ。

 

 昨年の勝ち鞍が14勝。それまで毎年40勝ラインを維持してきただけに、昨年の不振は重く肩にのしかかっていた。
「騎手ですから。勝つことが第一条件ですから…。
勝ち鞍から遠ざかると気持ちがだんだんと…。このまま乗りつづけても意味はない」。
そう判断しての転身だった。有馬騎手には、騎手人生のあとに馬のいない生活など考えられなかった。
「とにかく馬で一生を終えたい」という強い思いがあった。

 

 開業時期は未定で、有馬厩舎の看板を掲げるまでの準備作業がこれから始まる。
開業までの準備がじつはたいへんなのである。

 

 「いままで携わってこなかった分野の仕事ですからね。スタッフの指導育成という面でもゼロからのスタート。
この準備期間のあいだに馬のことを一から勉強して知識を身につけたい。
実際、調教師になって厩務員さんを指導するにも自分が勉強していないとできませんからね」

 

 幸い、騎手時代に所属していた雑賀厩舎の立ち上げ時(4年前)を見てきたことで、
設立当初のたいへんさを肌で感じてきた。「一番たいへんなのは、やはり営業面です。
これまでやったことないですからね。
馬主さんにお願いしにいくという経験が。開業して最初に管理する馬は9頭ぐらいです。
とりあえずその数を目標に集めるようにしたい」

 
 
 

騎手生活42年、4185勝の重み

 園田で再デビューしたのが2002年秋。「45歳の新人ジョッキーです」とファンにあいさつしたときの、
あの照れた表情がいまも印象に残っている。

 

 園田での13年間で、有馬騎手が挙げた勝利数は669勝。大分・中津競馬でリーディング獲得14回、
3516勝をひっさげて移籍してきた男にとってはけっして満足のいく数字ではなかったと想像するが、
当の本人は「やり残したことはないですね。騎手として充実した満足のいく結果を残せた」と、サバサバした表情で語る。
とくに印象深いのはロードバクシンで園田金盃を制した2004年暮れのレース。
「岩田(康誠)君の乗り替わりで金盃を勝ったときはうれしかったですね。
あの年はマタカッタで兵庫大賞典と摂津盃を勝った。2頭の重賞馬には思い出が詰まってます」

 

 2004年は有馬騎手の当たり年だった。
前述の重賞3勝に加え、年間117勝を挙げてランキング4位の好成績をおさめた。
さらに、金盃を制した4日後の12月5日には、園田の所属馬ホウヨウソウルでJRAに挑み、
殿(しんがり)人気ながら驚異の逃げ切り勝ちをやってのけた。

 

 「そう、あの年は馬に恵まれた一番いい年でした」。ラストランを終えたばかりの騎手は、感慨をこめて言う。

 

 騎手人生42年、4185勝の重みとは、どんなものなのだろう。

 

 「まわりの人に恵まれて、支えがあったからこそこの勝ち鞍を与えられたのだと思っています。
馬主さん、調教師の先生方に感謝の気持ちでいっぱいです。もうそれしかないです。
園田に単身で来た当初、西脇で厩務員をやってるときにぼくはケガをした。
あのときは嫁さんが西脇まで来てくれてね、支えてくれました。
まわりのみんなに助けられてここまでやってくることができた。つくづくそう思いますね」

 

 西脇での事故は左膝下を馬に蹴られ、骨を移植するほどの大手術に及んだ。
4ヶ月の過料とリハビリを経て、ようやく秋に再デビューしたという苦い経験がある。
“禍福はあざなえる縄の如し”というが、これまでの騎手人生は波乱に富んだ42年間だった。
17歳でデビューして中津時代28年間で14度のリーディングジョッキーに輝き、その絶頂期に突然の競馬場廃止、
失職~園田に移って1年間の厩務員生活(不慮の事故)~ 騎手免許再取得して45歳で再デビュー…と、
栄光と挫折を味わってきた。そうして、いままた苦難を伴った新たな道へ踏み出そうとしている。
有馬騎手は長く、険しかった42年間を胸にしまいこみ、

 

 「いまは、ぼくを支えてくれたまわりのすべての人たちに感謝しています」と言う。
晴々とした表情で、そう言うのである。

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