大當さんに、マコーリーはどんなじいちゃんか訊いた。
「ほかの誘導馬(メイショウシャーク、アイスバーグ)と比べて感じるのはマコーリーの頭の良さ。
とても賢いんですよ。3頭のなかでは一番堂々としてます。
ニンジンを与えるときはすごく愛想よくて甘えてくるんですけど、そうではないときはそっけない(笑)。
ニンジンをねだるときの顔つきや表情は可愛いですね。
普段は身内にそっけなくてワガママなんですけど、ファンの前に出るとしきりに愛想をふりまく。
きっと外ヅラがいいんでしょうね。オンとオフの使い分けが上手です」
マコーリーの魅力を稲葉さんはこう語る。「夏場はナイターの1レースしか出番がなかった。
そのとき(馬房から)出してきてね、さあ、いまから仕事やというときに、マコーリーの目つきが変わるんです。
仕事に対する責任感といいますか、鞍をつけて出ていくときはシャキッとして、
たしかな足どりで頑張っていくんですよ。ああいうところは凄いなと思い、私は大好きなんですなんです。
自分がこれまでやってきた仕事に誇りと情熱をもってる、それを感じますね」
これこそが、マコーリーが生涯をかけて貫いた心意気であろう。
「マコーリーが昔、JRAの競馬学校にいたからかも知れませんが、
交流レースでJRAの騎手たちが来たときは、みんな声をかけてくれるんですよ。
和田竜二騎手とか武幸四郎騎手とかね。だいたいJRAの騎手が来たらマコーリーの鼻面を撫でてくれるんです。
あと何年つづくかわかりませんけど、最後まで園田のファンの人たちと触れ合ってほしい。
皆さんにお披露目して元気な姿を見ていただきたいと思ってます」
お二人の話を聞いていて、筆者もマコーリーへの思いが深くなりペンが走りすぎかもしれない。
孤高の誘導馬マコーリーに感服!
最後に、物言わぬマコーリーが、
そのつぶらな瞳で語ったファンに向けての仁義とも口上ともとれる一文を紹介したい。
「手前、生国と発しますはニュージーランドです、広々とした牧場で生を受け、
血統のほどは定かではござんせんが、芦毛の乗用馬として可愛がられ清き空気のなかで育ちました。
10歳の折り、金波銀波の波を越え、やってきたのがJRA競馬学校。練習馬として3年間の修行を積み、
京都競馬場で誘導馬デビューを果たしたわけでございます。
その後、2001年に園田競馬場に移籍後は、皆さまご存じとおり15年間の永きにわたって
誘導馬の務めを果たしてまいりました。園田ですごしたこの15年という歳月、
皆さまからマスコット的存在として愛されたことは無上のよろこび。誘導馬冥利に尽きる思いがいたします。
寄る年波に勝てず、このたび引退いたしましたが、ファンの皆さまのラブコールがある限り、
折り折りのイベントに全身全霊を傾け、皆さまと触れ合っていく所存にございます。
何卒、園田競馬、後輩のメイショウシャーク、アイスバーグともども今後も手前どもをご愛顧いただきますよう、
隅から隅までずずずい~っとお引き立てのほどお願い申し上げます」
文:大山健輔
写真:斎藤寿一