8年前になるが、下原の師匠だった寺嶋正勝調教師を囲んで座談をしたことがある(チャージVol.20収録)。
吉田勝彦アナが聞き手となり、下原も参加していた。話題が長手綱(ながたづな)の話になった。
寺嶋師の現役時代の騎乗スタイルがいかにカッコよかったか。その部分を少し紹介したい。
寺嶋 武邦さん(武邦彦元JRA調教師)のフォームがぼくは好きでね。無理せず軽く乗ってる、あの感じが…。
吉田 長手綱でスッーッと乗ってる姿はじつに美しい。騎乗というのは、ひとつの美学だと思うね。
あの乗り方に憧れた岩田康誠もやっぱりそのように長手綱でのってきたもんね。
寺嶋 カッコよく乗るというのが好きやから、それにこだわりましたよ。
同じ勝つにしてもカッコよく、力強くという見せ方がね。
だから下原にもよく言うんや「カッコよく乗って、カッコよく負けてこい」って。
ぼくはそういうのが好きやから。(以下略)
寺嶋師の長手綱は岩田に受け継がれ、いま下原が同じフォームで園田のファンを魅了している。
競馬を点でなく線で眺めると、そうした系譜がみえてくる。
寺嶋師が亡くなってまもなく1年がすぎる。下原にはつらく重い1年だった。
「そうですね。去年はまわりの人からの応援があって頑張れた。
大変な1年だったですけど、なんとか乗り越えることができました」と周囲への感謝を口にした。
多難の年には不幸が重なるもので、寺嶋師のあと身内の不幸が2つもつづいたという。
下原にとって2015年は「禍福はあざなへる縄のごとし」の1年だったといえる。
新子厩舎の主戦ジョッキーといわれることについて訊いてみた。
騎乗依頼を受ける騎手の立場はつねに微妙なものがある。声をかけられるのは喜ばしいことなのだが、
ひとつの厩舎に集中するのはなるべく避けたいし、できればよその厩舎の馬にも乗せてもらいたい。
その点、下原の場合は比較的恵まれている。
依頼が重なりそうなときは調教師同士が事前に話し合って調整し、
騎手本人が交通整理しなくてもスムースにいっているようだ。
「だから、ぼくはすごく恵まれています」これはすなわち、調教師たちからの高い信頼の証にほかならない。
以前ははげしかったレース前の緊張感も長年の経験で克服し、そのコツを体得している。
あれこれ考えない、自分を無にする、開き直る――これが平常心を保つための極意。
「まあ、出てからどうにかなるでしょ、みたいなね」とコメントにも余裕が感じられる。
レースにおける心得のひとつとして「1コーナーまでのまわりの(騎手の)入り方をいかに把握するか、
その判断が大事」と明かしてくれた。
「誰がどう動くかをしっかり見てると、とっさの判断が必要なときに
ああ、あいつ、ここでこの前こんなことしたなとか、一瞬の判断で対処できる。
要は慌てないこと。冷静に判断することを心がけています」
ベテランになればなるほど、レース中のかけひきが老練であるのは当然だ。
外へ出すと見せかけ一瞬、内が空いたように見せて、そのスキを狙ってまた内に戻る。
フェイントをかけたり相手のタイミングを狂わせたり。そうした手練手管は騎手の技量の見せどころでもあるのだ。
さて、今年のリーディングである。追い風を力に下原が初のリーディングを獲得するのか、
それとも岩田と二人して坊主頭を披露することになるのか。
「まあ、年末になってそのへん(トップ争いの一角)にいたら抜けたいと思うでしょうけど…
いまはとりあえず目先の1勝が欲しい」。勝負はまだまだ序盤戦。目先の1勝を積み重ね、
早期の2000勝達成に狙いを絞っているようだ。
「木村先輩と学さんが復帰しているので、流れはまた変わると思うんです。
バタバタしてもはじまらないんで。もともとそんなに勝ってたわけじゃないんで気楽にいきます。
チャンスをもらったときはしっかり結果をだせるようにがんばります」
いつもの下原らしい控えめなことばではあったけれど、穏やかで落ち着きはらったその語り口が、
これまでとは微妙にちがう空気をかもしだしている。
そこには新境地を得たゆるぎない自信が漂っているように感じられた。
文:大山健輔
写真:斎藤寿一