10月10日、再デビュー16戦目で初勝利を飾ったその瞬間を宮下騎手は、そう表現した。
まぶしいその光のなかに、きっと彼は明日への一筋の光明を見たに違いない。また新しい一歩がはじまった。
11年間のブランクを乗り越えレースコースに戻ってきた、40歳のルーキーとして――。
11年ぶりに馬場に戻ってきた感想をたずねると「気持ちいいですね。やっと来たかって感じです」と、
晴々とした表情で答えた。再デビューした日にいきなり7鞍に騎乗。その内5レースで掲示板に載る好スタートを切り
「スタミナ面での不安が払しょくできた」と言う。体力、知力を消耗する騎手という激務から離れて11年、
再復帰するのには思いきった決断があったと思うのだが、本人はブランクをどう感じているのか。
「年齢(とし)が年齢なんで。正直、不安はありました。たしかに昔ほどは動けないですね。
ぼくの本来の競馬スタイルは木村騎手や吉村騎手のような激しく追うタイプなので、
あれくらい動かせたらいいなと思っています」
40歳直前での復帰に際して、決断のキメ手になったのは3年前まで騎手をつづけた妹、
宮下瞳騎手の引退が契機だったという。瞳騎手は現役生活16年間で626勝を挙げ、
女性騎手の勝利数記録を打ち立てた第一人者であり、同じ名古屋競馬の同厩舎でともに
切磋琢磨した戦友でもある。
「妹の引退が大きかったですね。それに自分はずっと不完全燃焼だったと感じていたので、
どこまでやれるかわからないけれど奮起しようと。もう一度自分を試したい気持ちと、
騎手に戻った姿を妹に見せてやりたいという思いがあって…」
騎手人生が不完全燃焼で終わったという自覚があっただけに気持ちが屈する時期は
長かっただろうと想像するが、後悔や悲哀に押し流されることなく男の意地を通したのだから立派だ。
鹿児島県出身。騎手デビューは17歳のときだった。名古屋競馬 (9年間) を皮切りに、
新潟(1年半)~上山(7ヶ月)~金沢(8ヶ月)と渡り歩き、30歳を目前にした2003年、
大井競馬から誘いがあって調馬手(調教担当厩務員)に転身した。
「大井にいる馬主さんから、どうしても攻め馬できない馬がいるから来てくれと言われたんです。
その馬主さんには昔からよくしてもらってたので義理があった。
その頃、騎手を続けていくことに強い執着はなかったし、ほかに刺激がほしかった。
大井に行けるんならリタイアしてもいいか、ぐらいの軽い気持ちがありました」と、当時の胸の内を明かす。
3年半大井で調馬手として勤めたあと、茨城の育成牧場~高崎にある大井競馬の外厩で勤務。
騎手生活から離れても馬とのつながりを断つことはなく、つねに馬と関わり、馬の呼吸を感じながら暮らしてきた。
そうして、2012年に再デビューを志し西脇(兵庫県競馬のトレセン)へ。
西脇では厩務員として2年間馬の世話を努め、1頭1頭のクセを頭に叩き込んだ。
騎手復帰を果たした現在も、彼のそうした生真面目さは攻め馬の頭数にあらわれている。
誰よりも早く馬場に出て、みんなが帰ったあと1頭でも多く、なんと1日23、24頭の調教をこなしている。
「それが自分のスタミナ維持と筋トレだと思ってやってます(笑)」。
デビュー後の乗り鞍が確保できるのは、そんな彼の勤勉さによるところが大きい。