10月15日、木村健騎手が3000勝を達成しました。
兵庫県デビューの3000勝ジョッキーは田中道夫、小牧太、岩田康誠につづく4人目の偉業――。
いまや園田の大看板となったスーパージョッキーが、フルパワーで駆け抜けた21年間のオレ流を語る。
木村騎手が2000勝を達成したのが平成22年9月8日、
その2年後の平成24年9月7日に2500勝をクリアし、3000勝達成が平成26年10月15日。
「2年で500勝クリアの法則」がきっちり守られている。
2000,2500、3000という区切りの勲章は、騎手にとって大いなる達成感と
つぎの目標への励みになるものだが、そのあたり木村自身はどう感じているのだろう。
例えばゴールデンジョッキーの仲間入りを果たした2000勝と今回の3000勝、
どちらがより重みのあるものなのか。
「そうですね……、重みはそう変わらないですけど、まあ、これまで1頭1頭がんばった結果かなと思って。
2000勝のときはさすがに達成感があったと思います。
今回はあと一歩というところで腰を痛めて3週間乗れなかった。ああ、オレ3000勝できないんかな、と
正直あのときは思いましたね」
それは9月10日の最終レースだった。トラディションに騎乗した木村はスタート直後、腰に違和感を覚えた。
「ゲートを切った瞬間、プチッと…」。彼はそう表現する。
レース中はただ手綱を握っているだけで何もできず。それでも5馬身差をつけて1着でゴールを走り抜けた。
レースが終わっても馬を止められず、他の騎手たちに降ろしてらったという。
「結構な痛さでしたね。4年前に椎間板ヘルニアをやったときに似ていました。突き上げるような痛さが…」
ケガを恐れていては騎手はつとまらないのだが、アグレッシヴな競馬が信条の木村にはいっそうそのリスクが伴う。
とくにここ数年は腰の不安がつきまとっている。4年前の椎間板ヘルニアは恐怖心を植え付けたし、
騎手にある種の覚悟を迫ってくる。21年間のツケは大きい。
「乗っているときは完全に忘れてます。つぎ(腰を)やったときですね。
いつかはまたやるだろうと覚悟は決めてますけど、やってしまったら迷惑をかける人がいっぱいいるんで、
そのことが気がかりで申し訳ないと思っているんです」
フルパワーで妥協のない騎乗、それが木村の木村たる所以だ。騎乗回数はほぼ2万レース。
木村健の競馬は頭の先からつま先まで、全身を使って何かを表現しているように見える。
アスリートの魂か、闘う男の自己証明か。その何かがきっと、見ている人の心を揺さぶるのだろう。
このスタイルだけは崩したくない、それができなくなったらステッキを置くときだ、と彼は心に決めている。