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クローズアップ ホースマン達の勝負に懸ける熱き想い
02 木村 健 騎手インタビュー3000勝騎手のオレ流フルパワー競馬

フルパワーで妥協の無い騎乗

  • 木村 健

勝ち星や記録への執着心は…?

 JRAに移籍した小牧太(‘03年)、岩田康誠(’05年)からあとをまかされたかたちで、
初のリーディングジョッキーに輝いた’06年、木村は年間200勝の大台(216勝)を初めてクリアした。
以後、田中学というライバルを得て、ともに園田の大看板を背負ってきたわけだが、
年間勝利数や全国リーディングといった数字や記録に対するこだわりはあるだろう。
そのことを訊ねると「いや、ぼくはないです」ときっぱり否定する。

 

 「毎年6月7月で何百勝、これなら300勝ペースやなとか、全国リーディングが狙えるとか言われるけど、
そんなこと気にしたこともない。記録にこだわったところで、焦ったりしたらかえって結果は出ない。
それより1頭1頭全力で乗ることだけを考えて。だから、これまで1回も数字を追いかけたことはないです。
ただの1回もないです」

 

 周囲は数字を表すことで木村の気持ちを鼓舞したり勢いを煽ったりしているのだろうが、
本人はどこ吹く風。記録にはまったくこだわらないらしい。
そうした目先の数字にとらわれない堅実さがメンタルの強さを支えているのかもしれない。
「昔はプレッシャーにつぶさていた時期もあったけど、まあ、これだけ重賞を乗せてもらってるから
鍛えられたんだと思いますよ」。経験を重ねてメンタルは強くなる、
だから失敗を恐れる必要はないんだ、と言いたげだ。

 

木村健と園田競馬の関係

 木村の研究熱心さは騎手のあいだでも有名で、誰もが認めている。レース後、映像で振り返り位置取りや
騎乗フォームを細かくチェックするのが西脇に所属していた若手時代からの習慣になっている。
それも負けたレースに重点を置くのが木村流。

 

 「負けたレースをよく見ますね。ぼくも結構セコく(ロスなく)乗るタイプですから、
ここもっと内を突っ込めたらとか、ここはロスがあったなとか。ぼくはひと通り2回ぐらい見て、
ここ行けたん違うんか、このクビ差はどうにかなったなとか。勝ったレースにしたって、
もっと強い勝ち方できたん違うかなって考えてます」

 

 小さなミスや課題を見つける鋭敏な感性。より高みをめざそうとする強い向上心。
そんなところに彼の競馬に対する思いの深さが感じとれる。

 

 ところで、小牧太や岩田康誠がそうしたように、これまでJRAへの移籍を考えたことはなかったのだろうか。
その質問をぶつけたときも「1回もないです」。またもきっぱり否定した。
理由を聞くと「園田が好きやからでしょ。愛してるんやろね」と、まんざら冗談でもなさそうに真顔で言う。
園田を愛する理由の一つに「騎手が上手い、勉強になる」ということがあるらしい。
ちなみに田中学騎手については「なんといっても折り合いが上手い、
馬を殺さない、柔らかくフワッと乗れる」と、好敵手の素晴らしさを素直に認める。

 

 3000勝をしたとき、父親の隆さん(元紀三井寺~園田騎手)からは「おめでとう」とひとこと声をかけられたという。
隆さんは息子のデビューが決まったときに引退を決意したので、親子で競馬をした経験はない。
「あとはお前に任せる」と言って馬場を去った。現在は西川厩舎で厩務員として、同じ世界に生きる父と息子。
勝と負の二つしかない世界に生きる男同士だから「おめでとう」のひとことで十分想いは伝わったのだろう。

 

 さて、木村が直近の目標に置いているのが12月24日のダートグレード競走(中央、地方交流レース)
『兵庫ゴールドトロフィー(JpnⅢ)』の制覇だ。今年4月29日(名古屋競馬場)、タガノジンガロで
ダートグレードを制覇したが、なんとしても地元開催でジンガロを優勝馬にしたい。

 

 「地元で獲りたいですよね。ジンガロがどれくらい力をつけてるのか楽しみです」。

 

 数字や記録にこだわらない木村が、このときは一瞬、勝負師の貌(かお)になった。ファンが多く詰めかける地元で
ダートグレードを獲ってこそ園田の木村。木村健と園田競馬の相思相愛の関係は、まだまだつづきそうだ。 

 
文:大山健輔
写真:斎藤寿一

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