下原自身、自分はハートが弱いほうだと感じている。
緊張やプレッシャーに負けず、落ち着いていつも通りに乗る――
若い頃から自分にそう言い聞かせて闘ってきた。
レース前の緊張感について、彼には面白い経験談がある。
チャンストウライで2400mのレースに出走した時のこと。
いつも以上に彼はプレッシャーを感じていた。ゲートに入ると緊張がピークに達した。
これまで感じたことのない激しい重圧。
彼はゲートの中で、緊張しすぎたあとの脱力感に襲われたという。
「ゲートが開く前に一瞬、訳がわからないぐらいゼロになりました。
放心状態で、頭が飛んでしまったような、
力が入らんような。記憶はあるんですけど、ただ、なんか自分の世界に入った感じで…
走ってるあいだは頭の中、ゼロです」
緊張がピークをすぎると、人間はそういう世界に入り込むのだろうか。
「ゲートがバァーッと開いたときに、あっ、あの馬が行ってあれが行って、自分はめっちゃ最高の位置にいて、
あっ、いけそう!と思う。ゲートが開いたときにストーリーが始まったみたいな。
あんな経験はしたことないですね。それ一回だけです」
瞬間、一歩先の未来が見えたのかもしれない。それともトランス状態のようなものか。
脳科学の分野なら説明のつくことなのかもしれないが、常人には理解しがたい神がかり的な現象である。
「それを岩田さんに言ったら『俺もある!』って言ってましたよ。
ゲートの中で訳わからん状態になって、頭が飛んでしまったと言ったら、その感覚をわかってくれました」
ちなみに、そのレースでチャンストウライは1着だった。
この話でもわかるように、いつもプレッシャーと闘ってきた。いかにメンタルを鍛え、プレッシャーに打ち勝つか――。
悩んだ末に出した結論は「開き直り」だった。ぼくが負けてもしゃーない。負けてもともと。
若手の時代からつい最近まで、自分を「無」にする方法がそれだった。
「バタバタ慌てて負けたときは、寺嶋先生にメチャメチャ怒られてましたからね。
だから、そういうレースをしないよう落ち着いて、冷静に、自分に言い聞かせて…」
我が子のように叱ってくれた寺嶋正勝調教師が今年の春、急死するという悲しい出来事があった。
63歳、あまりにも早すぎる死だった。亡くなった直後1週間は「気持ちが病んでいた」と言う。
「この前、四十九日の法要をすませ少し落ち着きました。まわりの人から声をかけてもらったりして、
いまは精神的に以前と変わらない状態に戻りましたね。気にかけてくれている人たちには、ホント感謝しています」。
この言葉に彼の人柄がにじみでている。
取材をした日の3勝を含め、この日で通算1680勝に達した。区切りの1700勝はカウントダウンの状態だ。
当面の目標は2000勝――「それも、できるだけ早く、無事に。ぼく、これまでケガが多かったですから」
トップ3のカベに関しては「少しでも影が踏めるぐらいまで近づきたい」と、上位を狙う意欲を見せる。
けっして4位に満足しているわけではない。
「ミスを極力減らして、勝てるレースはきっちり勝たないとダメだと思う。
3位の騎手に、おーっ、ヤバいなと思わせるぐらいじゃないと。
いっぺんには抜けないと思いますから、ちょっと慌てさせたいですね」
トップ3の背中を追いつづけてきた下原だから見える景色が、感じ取る手応えが、きっとあるはずだ。
かつて緊張の果てに見た一歩先の未来、岩田康誠と共有したその一歩先の未来で、彼は何を掴みとるのか。
2000勝に向かって走りつづける下原理の一歩先がたのしみだ。
文:大山健輔
写真:斎藤寿一