さて、産声をあげたばかりの有馬厩舎はどんなビジョンを描いているのだろう。
「それは開業してからのことで、いまはまだはっきりとは…。
どういうスタッフが集まるか、どういう馬主さんが付くかによって方向性が変わってきますから。
だから、はっきり言って素質ですよね。
馬にしてもスタッフにしても、素質を見極めてからでないとね」
「いまの段階で言えることは、馬づくりに精魂込める。それしか言えない。それが一番の仕事。
ぼくの場合は期間が短いし、大きな夢を描けない。どの世界でもそうですけど、
下積みを経験して10年過ぎたあたりから、ちょうどいい時期にさしかかる。
そうでしょ。10年過ぎてようやく軌道に乗りはじめる。
その時期にさしかかった頃に辞めるようなカタチですから、
ぼくの調教師生活は10年に賭けるということになります」
期限が定まった大仕事の厳しさがある反面、短い期間で何かをやり遂げようとする職人的妙味、
やり甲斐の詰まった10年ともいえそうだ。
漠然と思い描く夢として、有馬騎手はこう付け加えた。
「やはり、よその競馬場に遠征に行って勝ちたいですね。
地元だけやなくて外に目を向けて遠征で勝つ。
勝てるような馬にめぐり会えたら、という願いは持っています」
手本としたい調教師像の一人に中津時代の恩師、鋤田嵩(すきたたかし)氏の名をあげた。
「ぼくの義理の父でもあるんですが、ずっと長く全国表彰を受けてきましたし、
中津でぼくがいい成績を残せたのは鋤田調教師のおかげです。
とにかく馬に関しての熱心さは全然違った。
スタッフに対しても人当たりはよかったですね。怖い一面もあったけど、やさしさがありました。
まわりからの人望も厚くて人間的な魅力を持った人。そういう面は見倣っていきたいですね」
そう語る有馬騎手自身、人当たりがよく、温和でいつもやさしい風情をたたえている。
取材中も人をあたたかい気持ちにいさせる、あの笑顔を何度も見せた。
この人が怒りをあらわにする姿というのが想像できないのである。
勝ったときも自分の手柄を誇示せず、まわりの人たちへの感謝の気持ちを忘れない。
「中津が廃止になって、こっちにお世話になって、
まぁ、あまり結果は残せなかったですけど…
その恩返しじゃないですけど、そういう気持ちで強い馬づくり目指したい。
園田に来てから雑賀厩舎で3厩舎目です。人の有難みを感じます。結局、自分じゃないんですね。
まわりの人に支えられてもらって、自分がある。
感謝の気持ちは中津時代より。こっちのほうが大きいです」
その感謝の思いを有馬厩舎の将来につなげたい、と言う。
「馬で一生を終えたい」と、強い意志を通した第二の競馬人生だ。
ここ10年のうちに1頭でもいい、園田ファンを唸らせるスターホースを送り出してほしい、
そう願っている。
文 :大山健輔
写真:斎藤寿一