昨年の10月、11月、12月――リーディング争いのもっとも重要な3ヶ月を
破竹の勢いで駆けぬけたのが下原理だった。
きっちり計算したかのように1ヶ月25勝、3ヶ月間のトータル勝ち鞍は75勝。
その結果、21年間の騎手生活(1995年~2015年)でキャリアハイの212勝を挙げ、
初のランキング2位を勝ち獲った。
木村健と田中学が腰痛で離脱したとはいえ、トップ3の牙城を崩し2位に躍進したのは快挙だ。
なんといっても初の200勝超えは称賛に値する。
この200勝超えに関しては、じつは岩田康誠(JRA騎手)との約束があった。
前回登場願った新子雅司調教師が岩田から「100勝をめざせ!」と尻を叩かれ約束どおり達成したのと同様に、
下原も先輩岩田からプレッシャーを与えられていたのである。
「秋口のころだったと思いますけど、200勝せえよ!って約束させられて…。
実際200勝を超えたら岩田さんから財布をプレゼントされました(笑)」
4歳年上の岩田は下原を弟のように可愛がり、下原は兄貴のように慕い、いい関係が長くつづいている。
その岩田から「今年はリーディングを獲れ!」とハッパをかけられているのだという。
「まあ、頑張りますわって感じで、ぼくも気楽に返しましたけど…。
出来んかったらオレと一緒に坊主にするかと言われて、ああ、いいっスねって。
まあ、岩田さんと一緒ならいいわって(笑)」
今年にはいって1月の勝ち鞍は15勝。決して悪くない数字なのだが「それ以上にまわりが勝ちましたからね。
勝ちすぎですよ」と下原も驚いている。
木村21勝、吉村18勝、川原17勝と、年間250,勝ペースで1月を走りぬけた。
そして逆に、2月は下原が連日の固め勝ちなどもあって勢いを盛り返し、
序盤のデットヒートがつづいている。
「ちょっとのことでは慌てない、安心して見ていられる騎乗」と、
競馬関係者は下原の乗りっぷりを評価する。
1ヶ月25勝ずつを挙げた昨年の後半ごろから、下原を後押しする風が吹きはじめていたのはたしかだ。
主戦ジョッキーを努める新子厩舎に加え、ほかの厩舎からの騎乗依頼もふえてきた。
ネームバリューでいえば川原、木村、田中となるのが順当なのだが、
実質面からみて下原の信頼度はきわめて高いといえる。
「そういうふうに思ってもらえるようになればいいんですけどね…。橋本忠明厩舎とか盛本厩舎とか、
急に乗せてもらえるようになって…。走る馬が教えてくれるというか…感覚がよくなったのは事実です」
下原のいう「走る馬に乗っていい感覚が身についた」とはどういうことなのだろう。
格言としてよく使われる「向上心のある騎手は馬から多くのことを学びとる」ということと同じ謂(いい)か。
「いい感覚」の正体を知りたいと思った。
「これまでの経験の積み重ねがあって、さらに去年1年間の(走る馬たちから得たもの)経験が大きいですね。
自分でもそこまで行けると思ってなかったです」
若い騎手がつぎの段階にステップアップするのとは格段のちがいがある、
考えている次元がちがう、と下原は言う。掴み取った感覚は言葉で言い表せない抽象的なもののようだが、
その背後にある経験の深さから推しはかるしか手はない。
並のレベルアップとは別次元の、言葉で言い表せない、彼の経験値から生みだされた「いい感覚」なのであろう。
それを掴み取った、と彼は言った。
「岩田さんと話したことがあるんですけど、岩田さんはデビューして10年で、ぼくのこの感覚を知ったらしいです。
そう考えたらスゴいなと。ぼくが20年かかって掴んだ感覚を…やっぱりスゴいなと思いました。
感覚は口では言い表せないし、言葉にだして言いたくない。それぐらいの財産を得たと感じてます」。
そう言ってから「大げさでなく、そうなんです」と彼は重ねて言った。
「いい感覚を掴んだ」というだけで、わかる騎手にはわかる。
そういう新しいステージに下原は到達したということだろう。
「川原さんとか木村先輩とか(田中)学さんとか、ああいうベテランのよく勝つ騎手とたくさん乗れたのもいい勉強、
刺激になってます。よその競馬場に行ってもね、大井に行ったりしても、ああ、凄いな、って思う。
それだけどこの競馬場でもトップクラスはレベルが高いんです」
以前なら「年間目標は100勝」と言っていた彼が、今年はためらいなく「200勝」を宣言する。
ケガなく現在の好調を維持すれば、秋には2000勝ジョッキーがまた一人誕生することになる。
「間に合えばゴールデンジョッキーカップに乗れたらいいなと思ってます。乗りたいですね。
ぼくら騎手にとって特別なものですし、羨ましい存在ですから。あの中にはいって空気を感じてみたい」。
下原理のゴールデンジョッキーカップ出場は本人のみならず、
ファンが待ち望んでいることでもあり、彼の成長の証でもある。