弛まぬ努力で掴んだ好機 飛躍への足掛かりに
~井上幹太騎手~
4月17日(木)、笠松競馬場で行われた西日本交流重賞、第7回飛山濃水杯(1400m)。オグリキャップ記念に向けての重要なステップレースということで好メンバーが揃った。各地の実績馬を抑えて逃げ切ったのは兵庫のフクノユリディズ。持ち前のスピードを駆使してライバルの追い上げを完封した。同馬の初重賞制覇に導いたのが井上幹太騎手だ。
今月のクローズアップは激戦区「兵庫県競馬」で戦い続ける井上騎手にスポットライトを当てる。

9年ぶりの重賞制覇
「鴨宮騎手がオーストラリアへ行くタイミングで田中一巧調教師から騎乗依頼がありました。期待馬に乗せていただけて嬉しかったです」
主戦騎手の不在で井上騎手に白羽の矢が立った。年明け初戦から跨ると負けられないプレッシャーを跳ねのけて連勝を継続。前走は格上のA1との混合戦だったが堂々と逃げ切った。陣営の期待に応えて大舞台へと駒を進める。
「調教で跨ってみて凄く良い馬だなと実感しましたよ。スピードと根性を兼ね備えた馬ですね。行きたがる面は多少ありますけど、成長と同時にメンタル面も大人になってきた気がします。ゲートも若い時は幼い面をみせていたようですけど最近は大丈夫です」
2度目の重賞挑戦となったフクノユリディズは2番人気(単勝3.0倍)の支持を集めた。デビューから初めての輸送競馬となったが無事に克服。馬体重も微減にとどめて万全の状態でレースに挑んだ。
「陣営の皆さんが良く仕上げてくれました。笠松のような軽い馬場でも対応できると思っていましたよ。思い切って行くだけでした」
9番ゲートから五分の発馬を決めると先手を主張。理想通りの展開に持ち込んだが、後続も差を詰めて圧をかけてくる。しかし、フクノユリディズは余力十分で逆に差を広げて逃げ切った。
「厳しいレースになることは覚悟していました。道中で一旦迫られましたけど、よく勝ってくれました。直線でもうひと伸びを見せたので着差以上に内容が良かったですね」

フクノユリディズは8連勝で初重賞制覇。ホッカイドウ競馬でデビューしたフクノユリディズは新馬戦、2歳オープンを連勝するなど才能の片鱗をみせていた。兵庫へ移籍してからは下位条件から一歩ずつ階段を上がり、5歳の春に栄光を掴んだ。
鞍上の井上幹太騎手はストーンリバーで勝利した2016年の鎌倉記念以来、9年ぶりの重賞制覇。兵庫へ移籍してからは初めての重賞勝ちとなった。
「田中一巧調教師の管理馬で結果を残せたことが嬉しいです。終わってから『よくやった!』と、声を掛けてもらえました。兵庫に来たときからずっとお世話になっていて何度も良い馬に乗せていただきました。ニフティスマイルで挑んだ2022年の兵庫ダービー(2着)は悔しかったですね。道中も良い感じでいけていたので・・・。ただ、今回決められて恩返しができたかなと思います」
田中一巧厩舎はフクノユリディズを筆頭に重賞戦線で活躍するサンロアノーク、ドンカポノ、ドンフクリン。条件戦で連勝を伸ばしているヴィーリヤ。3歳ではサトノランデヴーなど精鋭が揃う。兵庫調教師リーディングでも首位争いを繰り広げている注目の厩舎だ。井上騎手は所属ジョッキーではないが有力馬に数多く騎乗。時間は要したが重賞の高い壁をついに乗り越えた。
「これまで重賞を狙える馬に騎乗する機会が少なかったので『ここで決めないと』と、思っていました。とにかく長かったですね・・・結果を残せて安心しました」
久々の重賞勝利に喜ぶというよりも期待に応えられたという安堵感の方が強いようだ。

騎手の道へ 同期の存在
井上幹太騎手は兵庫県北部にある香美町の出身。日本海側に面していて風光明媚な場所だ。競馬とは無縁の地域だが競馬好きの父の影響で興味を持つようになる。
「中学の時に進路をどうしようかと考えていたときに、体も小さかったのでやってみようと思いました。ただ、乗馬の経験が全く無かったので、中学卒業後は千葉県の『アニマル・ベジテイション・カレッジ』に行きました」
同校は馬の専門知識を身につけられる専門学校。騎手、厩務員、乗馬インストラクター、牧場スタッフなどを志す若者たちが門を叩いている。
「専門学校は3年間のコースで基本から学びました。基礎を身につけると同時に障害馬術の大会に出たり楽しい時間を過ごせましたね。その専門学校で同期の木之前葵騎手(名古屋)も一緒だったんですよ。在籍2年目に地方競馬の試験が通ったので、教養センターに行きました」
第91期騎手候補生として栃木県那須塩原市の地方競馬教養センターに入学。厳しい規律だけでなく、体重管理が求められる。成長期の10代にとって試練の2年間となる。
「体重を維持することは当たり前だと思っていましたし、大変ではなかったですよ。同期は騎乗技術の高い人が多かった印象です。レベルの高いメンバーと同じ時間を共有できたのは私にとって財産です」と、厳しい環境にも適応して騎手の夢を叶えた。

現在、地方競馬全国リーディング首位の笹川翼騎手(大井)、ホッカイドウ競馬トップジョッキーの石川倭騎手、名古屋で活躍する木之前葵騎手など層々たる顔触れが並ぶ。
同期の絆を感じる瞬間があった。笠松の飛山濃水杯で勝った後の口取り撮影でのことだ。その場に同レースに騎乗していた木之前葵騎手がいる。お馴染みの騎手服で撮影に加わる所が笠松競馬の配信番組に映っていた。
「『口取り写真入っていい?』って聞いてきて一緒に撮ることになりました」
井上騎手の右隣で口取り綱を持つ木之前騎手。お互い厳しい勝負の世界で戦う身だがレースが終わればノーサイド。素直に同期の勝利を喜ぶ姿は微笑ましい光景だった。
「今でも仲が良くてよく連絡を取りますよ。道営の時はレースが終わってから石川倭騎手と出掛けたりもしていました。兵庫に誰か来るときは時間があれば一緒に食事に行きます。一緒にやってきた同期の活躍は嬉しいですが、あまり意識しないようにやっていますね。心の中で応援はしていますよ」
切磋琢磨をしてきた仲間の存在は今後もかけがえのないものになるだろう。

道営から兵庫へ 環境への順応
2013年にホッカイドウ競馬で騎手としての第一歩を踏み出した井上騎手。2019年12月にホッカイドウ競馬から兵庫県競馬へ移籍を発表。研修期間を経て翌年の3月に兵庫で騎乗を開始した。
「兵庫へ来た当初は慣れるのに必死でしたが、徐々に楽しくなってきて『騎手をしているな』と実感しています」
通年でレースを実施している兵庫県競馬。基本、毎週3日間または4日間の連続開催で行われる。オフシーズンの無い兵庫では束の間の休みに心身ともに整えることも必要だ。週6日の調教にも顔を出してアピールを続けなければならない。
「オフの日はランニングや身体のメンテナンスを入念にしていますね。日々の調教で身体を鍛錬できているので、トレーニングとか特別なことはしていません。今年度から負担重量が変わったので体重管理の面は少し楽になりましたね」
井上騎手は園田競馬ジョッキー達の野球部「園田Jockeys『Baseballクラブ』」の一員としても活動。ポジションは捕手。重要なポジションを任されている。
「特別うまいわけではなく万遍なくできる程度ですよ。普段使わない筋肉を使うので凄く良い気分転換になります。交流の機会が増えて凄く楽しいですね。それ以外にも騎手仲間と野球観戦に行ったりして良い時間を過ごせています」

兵庫の環境に溶け込み充実したジョッキーライフを送っているが、移籍した当初は環境の違いに戸惑いをみせた。
「園田は坂路が無いのでコースでの調教になります。馬場だけで強い馬を作るのは大変なことですよ。やはり坂路施設で負荷を掛けて戻ってきた馬は良いですね」と、限られた環境で手を変え品を変え調教に跨り続けている。
「レースに乗り始めたときはビックリしましたね。高知や南関東へ遠征した経験はありますけど、道中のペースが他とは全く違うんですよ。園田は1~2コーナーのカーブがきついのでスローダウンしていきます。そうなると折り合いが大事になるので、行きたがるタイプの馬は苦労しますね。園田のレースに慣れさせるのが大変ですよ」
スピードを持続させたままこのコーナーを通過するのは至難の業。過去には1コーナーを曲がり切れずに外へと膨れていった遠征馬もいたぐらいだ。
「それに兵庫は『人』が競馬をしているという感じがします。道営の時とは強い馬に乗れば多少遅れても馬の能力でカバーできる面があります。ただ、兵庫ではそうはいかない。後手を踏むと足をすくわれるので、騎手の手腕が試されますね。発馬さえ決まればレースの選択肢が広がるので、ゲートだけは出すように意識しています」
百戦錬磨の名ジョッキーが名を連ねる兵庫では一瞬の油断が命取りになる。厳しい環境に揉まれながら技術を磨き続けている。

激戦区の兵庫で奮闘の日々
ホッカイドウ競馬から移籍して今年で6年目。ここ2年は30勝台で足踏みが続いていたが、昨年はキャリアハイを更新する47勝を挙げた。今年は5月31日時点で26勝とキャリアハイを目指せるペースでは来ている。今年の姫路開催は11勝をマーク。姫路リーディング8位と結果を残した。
「姫路は内が深いというイメージはありました。ただ、近年は内ラチ沿いも使えるようになってきていて乗りやすいかな?内の深さは気にしすぎないようにしていますね」
初めて参戦した2021年の姫路シリーズは未勝利と苦戦を強いられた。しかし、翌年から徐々に勝ち鞍を伸ばし苦手意識を払拭。園田に舞台が戻っても順調に勝ち鞍を伸ばしていったが徐々に勢いが鈍り始める。
「今年は3月末までは良い感じで来ていましたけど、4月以降はあまり勝てていなくて・・・。乗っている馬がクラスの壁に苦しんだり、休養に出たりしたのでそう簡単にはいかないです。今年も新人が入ってきて乗鞍の確保が大変なんですよね」
兵庫県競馬は春にルーキーが加入して現在35名の騎手が在籍している(休養中の田中学騎手を含む)。若手からベテランまで腕利きのジョッキーが揃う激戦区となっている。勝ち鞍を伸ばすことは容易ではない。
「兵庫は人数も多いし、層が厚いですよね。吉村さんはこれぞ全国リーディングという腕があるし、下原さんはそつのないレースをしてくる。廣瀬さんはレースに向けての努力が凄い。どれだけ良いレースをしても騎乗数がすぐに増加するわけでもありません。乗鞍を確保するのも大変な状況です。今は自分の与えられたチャンスで結果を出していくしかない。地道に頑張るだけですよ」

さらに近況は粋の良い若手騎手の奮闘ぶりが目立つ。減量特典をうまく活用して好レースを展開。中堅・ベテラン勢に牙を向いている。
「さらに4月から新人が2人増えて減量騎手が増加しました。少しでも重量が軽くなるなら関係者も乗せたがりますよね。軽斤量の馬は二の脚が違います。一瞬で『ビュン!』と前に出られてしまいますよ。51kgと55kgでは進みが全く違う。人気馬に乗っている時はその存在が気になるんです。相手は減量を活かして乗ってくるので。新聞を見て『こんなに差があるのか!』ってなりますね(笑)。レースに行ったら気にしないようにしています」
今の兵庫はまさに「群雄割拠」。乗り鞍を争うサバイバル状態にある。しかし、井上騎手は地道に続けてきた努力が9年ぶりの重賞制覇という結果に繋がった。継続は力なりだ。

挑戦を糧にさらなる高みへ
5月15日(木)、フクノユリディズと共に挑んだ第34回オグリキャップ記念(笠松)。今年から1着賞金が3000万円に増額。地方各地からスピード自慢が集まった。
「先生からは『自分のレースに徹してくれたら』と言っていただいたのでやる事は一つだけでした」
大外枠から先手を主張する理想の展開。しかし、そう簡単に逃げさせてくれる相手ではなかった。ライバル達は向正面から動き始めると、3コーナーで一気に飲み込まれて万事休す。ズルズルと位置を下げて11着での入線となった。
「しょうがないですね・・・自分の競馬はできたので悔いはありません。今回は相手が強すぎました。次走はまだ分かりませんが、オグリキャップ記念での経験は今後に繋がると思います。距離は1400mがギリギリですかね?まだ底を見せていない馬ですし、もうワンランク上がっていけると信じています」と、悔しさを滲ませながらレースを振り返ってくれた。
全国交流の壁に跳ね返されたがまだキャリアも浅くのびしろは十分。重賞初挑戦となった2年前の楠賞も11着に敗れたが、そこから怒涛の勢いでクラスのピラミッドを駆け上がっていった。この敗戦を糧にさらなる飛躍に期待したい。

続けて道営時代に乗った馬で印象に残っている馬について語ってくれた。
「騎手候補生時代に調教で乗せていただいたニシケンモノノフですかね。まだデビュー前でしたがとにかく背中が凄かった。モノが違うと思いましたね」
同馬は2013年の兵庫ジュニアグランプリ(Jpn2)を制し道営時代に重賞2勝。翌春にJRAへ移籍するとダートの短距離路線で活躍。2016年に兵庫ゴールドトロフィー(Jpn3)、2017年に北海道スプリントカップ(Jpn3)、大井のJBCスプリント(Jpn1)を制覇。重賞通算5勝を挙げて種牡馬入りしている。
「追っていなくてもスッと動くし止まらない。時計も出るし抑えるのが大変でしたよ。フクノユリディズとはまたタイプが違うんですよ。フクノは折り合いを欠くことなくリズムよく行けるタイプですけど、ニシケンモノノフは掛かりながら前へ行くタイプ。同じ前行きでも全然違うんですよね」と、分かりやすく解説をしてくれた。

「今回だけでなく継続して有力馬を任せてもらえるように頑張らないとですね。そのためにはまず成績を残していかないと。ここ数年は2着の数が多いんですよ。関係者は勝利数を見ているので勝ち切れるようにしたいです」
結果が全てのシビアな世界。これからも百戦錬磨の猛者と戦って騎乗馬を確保していかなければならない。その中で同い年の鴨宮祥行騎手は2024年に年間100勝の目標を達成。年明けからはオーストラリアへ武者修行を敢行。更なる飛躍を目指している。
「年間100勝は目指したい。乗り役をしているからには三桁は出したいですね。達成している人が身近にいるので意識はしています。獲りたいレースは兵庫優駿、園田金盃。まずは乗れる馬に巡り合うように。引き続きアピールを続けていきます!」
検量前での親しみやすい笑顔が印象的の井上騎手。馬に跨れば勝負師の顔に切り替わる。上位進出へ一歩ずつ歩みを進めて好機を伺う。再び大舞台で躍動する姿を見せてくれることだろう。

文:鈴木セイヤ
写真:斎藤寿一