ニュージーランド競馬でデビューしたのが19歳のとき。海外競馬歴は通算5年。
プロフェッショナルがしのぎを削る厳しい環境でキャリアを積み、今年は園田の重賞を初制覇した。
JRA名門厩舎の血筋を引くバイリンガル・ジョッキー笹田知宏の成長の軌跡を追う――。
今年デビュー6年目。30歳で初めて重賞制覇(4月7日・菊水賞)というのは遅咲きの印象だ
が、それだけにひとしおの喜びを感じている。
「以前は重賞を勝ったら泣くのかな、と思ってましたけど、いざ勝ったらうれしさが爆発しすぎ
て泣いてる余裕はなかったですね。会う人会う人に『おめでとう!』って言ってもらって、その
たびに実感が湧いてきました」
優勝馬のシュエットは自厩舎(新子厩舎)の管理馬で、昨年末の園田ジュニアカップについで今
回が二度目の重賞挑戦だった。
「前回はヘタに乗ってしまった」と、笹田自身が言うように悔いの残るレース内容だっただけに
勝利の喜びをいっそう大きくしたようだ。レース後、新子雅司調教師からかけられた言葉が「完
璧やな…」のひと言。
「最高の褒め言葉をいただきました」。重賞制覇に花を添える、なによりうれしい言葉だった。
今年はここまで18勝(5月末現在)。過去5年と比べても順調なペースで勝ち鞍を積み上げて
いる。「いままでのなかでは一番いいペースで来てると思います。38勝(2014年)はクリア
しないといけない」と、今年はキャリアハイを達成するチャンスの年だと自覚している。
有力馬を数多く管理するリーディング厩舎の所属騎手として日頃のプレッシャーや周囲の視線も
気になるところだが――「いまは新子厩舎というだけで人気を背負いますし、結果をだして当たり
前というような状況。負けるにしても納得のいく負け方をしないといけないなと思って乗ってま
す」と、その点においても自分の置かれている状況を十分に自覚している。
朝の調教は午前2時半に馬場に出る。馬場にはすでに新子師の姿がある。1頭1頭すべての馬
を触って、入念にチェックしている。そうした作業を眺め、笹田は攻め馬のコツを学ぶ。馬の鍛
え方では定評のある師匠の動きひとつひとつが勉強になるという。
「たとえば、ぼくが乗るのに苦労する馬を新子さんはふつうに乗ったりする。なんでなんかなと
思うんです。『なんでなんですか』と訊いたりもします。新子さんは『甘いなぁ…』と言うだけ。
肝心なところは教えてくれません(笑)。まぁ、たまにクセを言ってくれたりしますけど…。スタ
ッフの意見交換もしっかりされてますし、やっぱり結果を残す厩舎だなと思える。周囲にはわか
らないキメ細かさがあるのは感じますね」
自厩舎の仕事ぶりを客観的な眼で分析し、チームワークによる厩舎力の総体を笹田は感じ取っ
ている。その基礎をなすのは「馬を大切にする」新子師の根本的な考えが厩舎全体に浸透してい
るというたしかな事実である。
「家を一歩外に出ると馬がいる」という環境で育った。
父親は笹田厩舎を率いる笹田秀和調教師、祖父は名伯楽と謳われた伊藤雄二元調教師である。
笹田が騎手にあこがれ、騎手をめざすには十分すぎる環境であった。「うすうす考えだしたのは
エアグルーヴが走っていたとき。小学5、6年の頃」だったという。伊藤厩舎の管理馬エアグル
ーヴを調教していたのが調教助手(当時)の父親であった。「一歩外に出ればエアグルーヴがい
る」という生活環境が、少年の未来を運命づけたといっても過言ではない。通常は別世界である
はずの競馬社会が身近に存在した、そのことが笹田知宏の将来を決定したのだ。
「そうですね。正直、馬の仕事以外は考えたことがなかった」と言う。しかし同時に、競馬社会
で生きていくということは、厳しい師弟関係を受け入れることを意味する。「祖父に対してはい
までも敬語で話します」と笹田は言う。さらに「祖父以上に怖い存在が父親です」とも言う。和
秀調教師は息子に師弟関係の厳しさだけでなく、一般社会の礼儀作法を含めた厳格な規律を求め
た。「だから、普段から競馬以外の話をするときも敬語で話します」。父親を“ボス”と呼び、違
和感なく敬語で話をするのだという。
17歳のとき、彼はニュージーランドに旅立った。「牧場と厩舎が一つになったようなところ
でずっとお世話になってて、そこから別の牧場に移って…」19歳で騎手デビューを果たす。
「向こうは騎手になるのは難しくないんです。そのかわりプロ騎手になって生き抜いてゆくのが
厳しい世界」。
秀でた能力を持つプロ集団のなかに身を投じ、笹田は23歳までの4年間を頑張り抜いた。
通算120勝ほどの成績を残し、2つの重賞を勝った。したがって厳密にいえば、菊水賞は重賞
3勝目ということになる。