ニュージーランドから帰国後、こんどは以前から親しくしていたミルコ・デムーロ(現JRA騎
手)に誘われてイタリアで9ヶ月間騎手生活をおくる。イタリアでは30鞍ほど乗ったが勝ち鞍は
なく「自分の未熟さを思い知らされた」。イタリアから戻った翌年(2011年)10月、彼は園
田デビューを果たした。
ニュージーランドで鍛えられた経験から、あるいはデムーロとともにイタリアで騎乗した経験か
ら日本人騎手と外国人騎手との違いを訊ねると――「騎手を育てる環境の違い」を指摘した。
「競馬に対する厳しさが違いますね。自分の腕で勝ち上がって行かないといけない、なんとしても
結果を出さないといけない、ハングリー精神の違いを強く感じます」
「ミルコを見てて、体型の違いはあまり感じないですけど、日本と外国では調教の仕方も違う。日
本は手綱をフワッとしてハミを抜いたところで折り合いをつける。ヨーロッパだと手綱を短く持っ
てハミをかけたところで折り合いをつける。そういう姿勢の違いだったり馬とのコンタクトの取り
方で、付いている筋肉も違ってくると思うんです」
ミルコから技術面で教わったりすることはたまにあるらしい。
「ミルコも言うんですけど、結局は自分の感覚の問題だと。たとえば、ミルコがこういう追い方を
する、こういう進路の取り方をする。それは自分に合った追い方だからって。この追い方が一番自
分に力がはいる追い方だからって言う。要は、自分自身でいろんなことを試して自分の追い方とい
うものを見つけろ、ということなんでしょうね」
園田デビュー後の5年間をふり返ってもらった。
「ウーム、どうなんですかね…。正直まだまだやと思ってます。レースを取りこぼしてるケースが
多いんで…」と物足りなさ、歯がゆさを口にする一方で、「手応えって感じではないんですけど、
重賞を勝ったことで自分自身のなかでは多少自信になったかなと思います」とも。そのことに関し
て新子師は――「課題をあげるとすれば、こぶしが硬いところですかね。ここが柔らかくなれば、も
っと折り合いがつきやすくなると思う。それでも結果を残して本人も自信がついてきたんでしょう
ね、そのあたりが(今年の)成績につながってきてるんだと思います。性格的にも変わってきたよう
に思いません?いい先輩たちに恵まれて成長しているのが感じられます。課題はすぐにでもクリア
してくれるでしょう」と愛弟子にあたたかい眼差しを向ける。
自分は緊張するタイプではない、と笹田は言う。スタート前のゲート内でも緊張感で押しつぶさ
れるようなことはない。自分がレースに乗るときより、他人のレースを見ているときのほうがドキ
ドキするらしい。どんな状況であっても平常心を保てるというのは、勝負の世界でこれほど強力な
武器はない。生来の性格の強さが彼には備わっていて、ポジティヴ・シンキング(積極的思考)ので
きるタイプなのだろう。
「どうなんでしょうね。まぁ、父親からずっと教わってきたことなんで。馬も生き物だし、人間の
気持ち(緊張感)が馬に伝わって馬の持つ本来の力が発揮できなかったら、それは人間のせいだ、と
教わってきました。(調教する立場の)父親たちが気持ちが入りすぎて馬のテンションが上がれば、
当然レースで結果は出ない、と父親は言います」
尊敬する騎手は武豊とミルコ・デムーロ。遠く憧れる存在ではなく、2人とも長く交流がつづい
ている騎手だ。その点において笹田は恵まれているといえる。武豊やデムーロと内輪のつきあいが
できる騎手なんてそうそういないのだから。競馬一家に育った笹田には恵まれた条件がある一方、
恵まれているゆえの苦悩もあるだろう。同じ勝負の世界に生きるものとして祖父や父を超える存在
に成長したい、自分の存在を誇示したい、プロの意地と反骨心があるはずだ。目の前に立ちはだか
る壁は巨大だが、持ち前のポジティヴ・シンキングでもって一歩一歩、駆けあがっていってほしい
ものだ。
「いろんな国の競馬をもっと経験したい」と、彼は夢を語った。「日本の競馬も楽しいですし、ぼ
くは馬が大好きなんでどこで乗っても楽しい。ただ、ミルコからいろんな国の競馬の話を聞くと興
味が湧いてきます」。そうして、彼はさらに大きな夢を語る。
「究極の夢は父親の管理する馬で凱旋門賞を――」
日本馬が近年何頭も海外GⅠを勝ち、凱旋門賞でも勝てずとも好結果を残している現実をみれば、
けっして雲をつかむような話ではない。夢と目標はまったく別のものだ。夢はかぎりなくデッカク、
目標は足元を見つめ堅実に。キャリアハイをめざす笹田知宏のステップアップの1年に注目したい。