「いつも向上心だけは失わなかった」と彼は言う。
そうして、悔しさや失意から学んだことを糧に、ようやく花が開きはじめたのである。
これくらい成績が伸びたら、さぞかしレースも面白いだろう。
「そうですね、たしかに。以前だったら人気馬に乗るのってシンドイなと思ってましたね。
プレッシャーがね…。
いまは乗せてほしいなと思えるようになりました」。
大きな変化だ。
「自信がついたって言うか、ある程度は乗りこなせるんじゃないかと思う」
キャリアハイを残した昨年が一過性のものではなく、
今年はさらにハイペースで数字を伸ばしているところにたしかな成長が感じとれる。
このレベルを「死ぬ気で維持していきたい」と言う彼は、
このチャンスを自らの騎手人生の分岐点ととらえているようだ。
広瀬には少なくとも今年は50勝をクリアしてほしいものだ。
「50では足りないと思ってます。これまでメチャメチャ悔しい思いしてますから」。
その悔しさは昨日今日にはじまった悔しさではない。
苦節15年を積み重ねた思いなのである。
取材した6月29日の第2R、キタノスズランに騎乗して彼は勝った。
ふつうなら勝てそうにないレースを2番手から抜けだし完璧な勝ち方を見せた。
馬の能力を目一杯引きだすクレバーなレースだった。
「以前なら道中アセリまくってましたけどね。いまは周りを冷静に見れるようになった。
落ち着いて乗れるようになってます」
そう言って、少しなごやかな表情を見せた。体力強化や攻め馬における貢献度、
DVDを見てチェックする研究熱心さ、
そうした不断の地道な努力が彼の競馬の質を高めてきたことは間違いない。
一方で、日頃の努力が周囲に認められ、乗り馬のレベルが上がり、
チャンスを生かして結果に結びついている。
昨年から今年にかけての成長の軌跡はそういうことだろう。
「そう思いたいですね」と、広瀬はあくまで言葉少なだ。
最近ではまわりの調教師から「絶好調やな」と声をかけられたことが
最高にうれしかったという。
これまでの15年間が無駄ではなかったと思えた瞬間だったのではないか。
「今年の目標」を訊かれ、彼は毎年同じ答をくりかえしてきた。
[リーディングジョッキーになること]ジョークや大風呂敷ではない、
本気でそう考えている。
「つねに思ってますからね。誰にも負けたくないですから」。
過ぎた日々の悔しさが詰まった言葉だ。
手の届きそうな目標ではなく、でっかい夢を追いつづけるその気概に拍手をおくろう。
33歳という年齢は騎手人生で一番脂の乗った時期であろう。
そしてジョッキーとしての今後のプランを考えるときでもある。
とりあえず今年やるべきは50勝ラインのクリア。
「月5勝ぐらいはしたいなと思ってます」。
ランキング10位という順位についても「もっと上にいきたいですね」と本音をもらす。
50勝まで勝ち鞍を伸ばせばランキングひと桁も見えてくる。
彼はあまり自分の考えを述べない。ポツリポツリ断片的に言葉を口にするだけだ。
考えを整理できず口ごもってしまうのか、
あるいは自己の正体を露わにすることを怖れて寡黙に徹しているのか、
そのへんのところはわからない。
かっこいいお題目をペラペラ喋って本来の自分とちがう騎手像を演じたくないと
思っているのかもしれない。
まあ、喋らないのもひとつの個性なのだと受けとめよう。
「こういう場は苦手ですね」
彼にはつらい1時間だったようだ。思うような取材とはいかなかったが、
騎手人生の再スタートを切った広瀬航という騎手が競馬と正面から向き合い、
苦闘する姿をこのリポートから感じとってもらえれば幸いである。