騎手を志したのは中学2年のとき、京都競馬場にある乗馬センターに
通いはじめたのがきっかけだった。
まわりに騎手をめざす少年が多く、影響されて自然と将来の道が決まった。
乗馬センターの同期にはJRAの菱田裕二騎手と原田和真騎手がいる。
デビュー当初から騎乗センスは光るものがあった。
彼自身「まわりに流されず、あせらず自分のペースで競馬を進める」のが
セールスポイントだと心得、そのことをつねに心がけてきた。
冷静さを失わず、馬のリズムに自分を合わせ、そして押すべきところは押してゆく。
そんなクレバーなレースを積み重ね着実に数字を残す、
内にポテンシャルを秘めた騎手であることは間違いない。
田野は「自分には営業力が足りない」と弱音を洩らす。
まわりの調教師、廐務員たちとのコミュニケーションのとり方が不得手なのか、
取材中も口数が少なく、ぼそぼそと聞き取りにくい声で話すのが気になった。
乗り鞍をふやしてこそ結果が出る仕事である以上、
まわりに自分を売りこみアピールすることはジョッキーにとって大事な必須条件である。
明るくハキハキ喋る訓練も必要だろう。
営業の第一歩は自分を表現できる溌剌さと笑顔なのだから。
その点、田野は申しぶんのない笑顔を持っているのだ。
素直な性格がにじみ出た、じつにいい笑顔をしている。
内気な性格と営業力不足を克服して、これからはもっと強気でアグレッシブな一面
を身につけるべきだと思うがどうだろう。
「道営ではそういう部分を試してみたりしたこともあったんで、
これからは伸ばしていきたい」。
か細い声ではあったが意欲的な言葉を聞けた。
ライバル杉浦に対しても「もうこれ以上は引き離されたくない」と決意を口にする。
田野自身、言葉に出さないが、これだけは押し通したいという頑固さ、
こだわりを内に秘めていることはなんとなく想像できる。
自分の信じるジョッキー哲学というと大袈裟だが、
そういう信念を言葉で表現することにためらいがあるようだ。
自分程度のレベルで大きなことは言えない、とブレーキをかけているのだろう。
押し通していいところと変わらなければいけないところの両方を
かかえ自己矛盾に悩んでいる、そんなふうに映った。
「ロバが旅に出かけたところで、馬になって帰ってくるわけではない」という
西欧のことわざがあるけれど、騎手の世界では武者修行を経験したジョッキーが
ひと皮もふた皮もむけて帰ってくることは大いにあり得る。
ともかくも、北の大地で川島洋人というよきトレーナーと出会えたこと、
その指導のもと実りある3カ月間をすごしたことは、
田野にとって貴重な旅の財産となった。
「北海道で学んだことはいっぱいあるんで、ひとつひとつ自分のなかで消化し、
いい成績に結びつけたい」
遠征でつかみ取った手応え、まだカタチになっていない自信のようなものが
そう言わせるのだろうか。
この日、彼から聞けた一番たのもしい言葉だった。
“厄年”のあと、昨年今年と勝ち鞍を上積みしている。
キャリアハイの44勝に届く日もそう遠くない。
「来年は44勝以上、できればガーッと上げたいです。厄年がとれたんで…」と、
とびきりの笑顔を見せた。
25歳、イケメン独身。北海道滞在中、プライベートでいい出会いがあったとか
なかったとか。聞きだそうとしたけれど、シャイな彼は何も語らなかった。
そっとしておいてやろう。