クイズ① 兵庫県競馬の歴代調教師のなかで、
通算勝利数が1000勝を超えた調教師は何人いるか。
クイズ② 1000勝に到達したそれら調教師のなかに現役調教師は何人いるか。
正解はあとにするとして、今回の中塚猛調教師は
今年4月10日に1000勝を達成した園田レジェンドのニューフェイスである。
残り2勝に迫っていたこの日(4月10日)、
中塚厩舎の馬に騎乗した永島太郎は
2つのレースで勝利し、あっさり決めてしまった。
「まわりからプレッシャーかけられるもんやから、
意識せんわけにいかん。
いずれは到達すると思ってたんですわ。
まさか永島がうちの馬で2勝すると思わなかった」。
達成の瞬間、やれやれ、これで肩の荷がおりた…と胸をなでおろしたという。
1987年11月の初出走から足かけ32年目の今日まで、
目立った活躍があったわけではない。
コツコツと地道に勝ち星を積みあげてきた印象がつよい。
「継続は力なりでね、牛のヨダレみたいなもんですわ(笑)」
ここに至るまでの歳月の重さを照れかくしで、そう表現する。
華々しい記録こそないが、一つひとつ積み重ねた努力の結晶が
1000勝であり、長い調教師人生へのご褒美といえるだろう。
達成後、かつて所属騎手だった高馬元紘と
玉垣光章(ともに現調教師)をつかまえ
「お前ら二人がうちにおったから、だいぶ邪魔された」と冗談を飛ばした。
「お前ら二人が所属やなかったらもっと早うにな…(笑)」。
言われた二人は返す言葉も思い浮かばず、赤面したことだろう。
これも弟子に対する照れかくしにちがいない。
「いまでは二人とも調教師になって頑張っとるからね。うれしいですよ」と
中塚師は相好をくずす。
1000勝達成の要因はたゆまぬ努力があったからですか、
と水をむけると…「いや、その自覚はないんや…」と笑って
「無事是名馬でね、馬を大事に育て馬主さんの信頼を得る、
そのことが一番大事やと思ってやってきました。
馬主さんがね、馬は勝たせへんけど、
先生と一緒にいたらおもしろいって言うんや」。
馬は勝たせないけど一緒にいて話しているとおもしろい。
変な褒め方もあるものだが、
まわりの馬主たちはそんな人柄に惚れこんで馬を預けている。
そうした多くの中塚ファンに支えられたことが第一の要因とみるべきだろう。
「こんなええ加減な調教師についてきてくれた馬主さんのお陰です」
飄々とした雰囲気を漂わせ笑わせる、なかなかの器量人である。
中塚師は調教師会会長をこれまで3期6年務めてきたが、
今年の総会で4期目の継続がきまった。
会長職以前に副会長を2期4年務めているからこれまで都合10年、
調教師会の要職を務めたことになる。かねてより懸案だった
〈厩務員の社会保険の制度化〉を競馬組合と馬主会の協力を得て、
今年ようやく実現化にこぎつけた。
「強い馬づくりが第一義であることは当然ですけれど、
それより先に人づくりが大事だと。
いい人材を入れ、育てることがなにより優先されるべきだと思ってます。
この商売、機械化できないからね。
そのことを組合も理解してくれた。
兵庫県もようやく施行できることで、
今後は厩務員の質の向上と生活の安定をはかりたい」と言う。
園田の競馬サークルで生まれ育った中塚師にとって、
ひとつの悲願が叶ったことになる。
父親の中塚木一(きいち)さんは戦前からの園田の騎手で、
猛(たけし)少年は馬を友として育った。
「ぼくが記憶してるのは椎堂や田能に厩(うまや)を借りてたんで、
レースのある日はそこから馬をつれてきてましたね」。
厩が整備されていなかった外厩当時の思い出である。
※椎堂や田能は園田競馬の周辺地域
「姫路、明石、岡山に行くときは尼崎港まで馬を曳いていくわけ。
馬運車のない時代やから厩務員が馬を曳いて公道を歩いてね。
尼崎港で船にのせて、姫路の飾磨港で馬を降ろす。
そこから姫路競馬場まで歩いて引っぱっていくんや。
いまの長居競技場、あそこには長居競馬場があった。
(1周)1マイルの馬場で、ぼくはよく親父について行ってました」。
少年期の思い出は、すべて馬につながっている。
年の近い橋本忠男、和男兄弟とは幼なじみだった。
兄の英勝さんは父親を追いかけ騎手の道へ進んだが、
体が大きかった猛少年は騎手を諦め、
母親のすすめもあり手に職をつける道を選ぶ。
高校卒業後、調理師を志し日本調理師学校で学んだ。
「ぼくは調理師免許と大阪府のふぐ調理免許を持ってます」。
調理師免許を持つ調教師というのは中塚師ぐらいだろう。
しかし、職人の世界は自分では適わないと感じて、
その後サラリーマンに身を転じる。