松平師個人に話を移す。
長い騎手生活(27年間)を経て、平成26年に厩舎を開業した。
現役時代は派手さこそなかったけれど、
シブく巧みな騎乗で長くファンの支持を得たジョッキーだった。
松平師の人柄を示すエピソードとして、
関係者はこぞって引退セレモニー時の彼のあいさつの素晴らしさをあげる。
競馬主催者をはじめ、周囲の人たち、さらにファンに向けて、
胸に去来する想いをおさえながら、過不足のない言葉で感謝をのべた。
最後のスピーチは心に残る完璧なものだった。生涯勝利数1205勝(重賞9勝)。
1996年にイワノダイドウで初重賞を勝った広峰賞が忘れられない思い出だという。
第2のホースマン人生をスタートして5年がたった昨年末、
厩舎に変化の兆しがみえはじめた。
吉行龍穂調教師の逝去に伴い、吉行厩舎所属の厩務員2名が新しく加入し、
同時に彼らの担当馬4頭も転厩してきたことである。
「いままでいなかったオープン馬を管理させてもらうことになったので、
ぼく自身も励みになりますし勉強になる。ありがたいことです」
思いがけない状況の変化が厩舎に刺激を与えたことは間違いない。
加入馬ではハタノキセキ、ゴールドスーク、
この2頭のオープン馬のはたらきが厩舎を活気づける要因となっている。
「注目されている2頭だけに責任を感じる」と松平師。
引き継いだ馬だからこそ、恥ずかしい競馬はできない。
そのプレッシャーがいい緊張感を生みだしているようだ。
と同時に、厩務員の加入で厩舎内にもいい風が吹きはじめている。
吉行厩舎から移った二人は、かつてトーコー軍団を担当していた腕利きの厩務員で、
人柄がよく、新しい厩舎に溶けこもうとする仲間意識も強いという。
「二人ともメチャメチャよく仕事をしてくれるので、
もともといるスタッフにもいい刺激になってみんながよくなってる感じがします」
厩舎の活力を盛りあげる相乗効果が生まれたことが、
なにより松平師は嬉しいのである。
「勝ち鞍はまだまだダメなんですけど、今年はもうちょっと結果を出したい。
5年間やってきて、いまが一番たのしいです」
2頭のオープン馬の能力をきっちり維持し、
バンローズキングスはじめ生え抜きの馬たちをさらに成長させてゆく。
やり甲斐ある使命を与えられた松平師が「いまが一番たのしい」というのもうなずける。
自分は調教師として課題だらけだ、と松平師は言う。
それはおもに営業面。人との交渉術、売り込み、説得といったことが苦手で、
「そんなこと言ってる時点でダメなんですけどね…(笑)」と、
当人も重々承知している。
裏をかえせばハッタリが言えない人、周囲に対して気遣いのできる人だと思うのだが、
それだけではこの稼業は成り立たない。
人のよさが仇(あだ)となりかねないのが勝負師の世界である。
日常の作業においても「なんでも自分でやってしまう。
(厩務員に)指示する前にやってしまう」のだそうだ。
スタッフに対する管理能力がないと言わんばかりに自らの弱点、力量不足を吐露する。
「力量、ないですね(笑)。なんもないですね。課題だらけです」。
もしかして松平師、自虐趣味かも。
「どこかでやり方を変えていかんとあかんのはわかってるんですけどね。
調教師を辞めるまでにどれだけ課題をクリアできるか…」
騎手時代の最晩年、森澤憲一郎厩舎~友貴厩舎に所属して馬のつくり方を学んだ。
森澤憲一郎師といえばストイックなまでに馬の飼育、鍛え方に情熱を注いだ名伯楽である。
「調教師の仕事に関しては、森澤先生父子をぼくはベースにさせてもらってます。
飼料ひとつにしてもそうですし、
仕事に対する姿勢においても、ぼくの目標です。
森澤(憲)先生も人に指示する前に自分が動くタイプだったんですけど、
すべてが馬中心だったので、あの姿勢を見習っていきたい」。
森澤父子の精神を引き継ぎ、黙々と作業にいそしむ姿が目に浮かぶようだ。
厩舎運営するうえで、今後はバンローズキングスが
広告塔の役目を担ってくれるにちがいない。
いい風が吹きはじめていることは自身も自覚している。
ダービー馬を輩出した実績に加え、腕のあるスタッフが加入したこと、
それに伴いオープン馬が転厩してきたという運の良さもある。
「これをきっかけに勝ち星をふやしオーナーに喜んでもらいたいですね」と、
松平師は意欲をのぞかせる。
これまでは自分の身の丈に合わせた厩舎運営で済んだが、
今後はそういうわけにはいかないのではないか。
まわりの見る目がちがってくるだろうし、期待度も高まる。
ただ、追い風にのって、その勢いにまかせ押しまくるというタイプではない。
謙虚で控えめな松平師にはそれは似合わない。
その意味において、ダービートレーナーに驕りはない。
「ぼくの話なんか書くネタがないでしょう。ホンマ、すみません」
取材の最後に松平師は恐縮しながら言った。
地道にコツコツと努力を積み重ねる堅実な姿勢がこの人の魅力であり、
人柄を際立たせていた。