背中に乗せてもらって幸せでした
ホクセツサンデー、ニシノイーグル、そしてオオエライジン。
同じ2008年に生まれた3頭の名馬は数多くの名勝負をくりひろげたが、
ライジンの2走目以降、(移籍するまで)鞍上にはいつも木村騎手がいた。
その初戦、はじめてコンビを組んだレースで木村は記念すべき2000勝ジョッキーの仲間入りを果たす。
奇しくもメモリアルホースにオオエライジンを選んだことになる。
ホクセツサンデー、ニシノイーグル、そしてオオエライジン。
同じ2008年に生まれた3頭の名馬は数多くの名勝負をくりひろげたが、
ライジンの2走目以降、(移籍するまで)鞍上にはいつも木村騎手がいた。
その初戦、はじめてコンビを組んだレースで木村は記念すべき2000勝ジョッキーの仲間入りを果たす。
奇しくもメモリアルホースにオオエライジンを選んだことになる。
「とにかく乗りやすい馬でした。それに、どんなレースでもこなせる力がある。
はじめの頃から、あの馬の規格外の強さは感じていました。
デビュー戦であれだけ820mをぶっちぎったのに、1400mでも全然かかることもありませんでした。
追えば追うほど伸びるって感じでしたもんね。
兵庫ダービーのときは久しぶり(90日ぶり)のレースで、ホクセツサンデーの方が有利かなと思ったけど、
でもやっぱり潜在能力が違いました」
「10連勝できる馬って、そうそういないですもんね。それをやってくれたってのは凄いこと。
で、園田だけの連勝じゃなくて大井、笠松の重賞を勝っての10連勝、それが凄い。
ああいう馬にはなかなか巡り会えないですよ。もっともっと一緒にレースがしたかったです…」
そして迎えた6月25日。
大井競馬場に雄姿を見せたオオエライジンの鞍上には下原理騎手がいた。
天候曇、馬場不良。ライジンにとって帝王賞への挑戦は2度目。
前回(2012年10着)と同じ1枠1番からのスタートだった。
「4コーナーを向いて直線に入ったところぐらいですかね。急にガガガーッとなって。
そんなふうになる馬じゃないですからね。ケガをして馬が転倒するというのはありがちですけど、
グッとこらえて、よく耐えたなと思います。おかげで、ぼくは落馬しなかったわけですから。
ライジンに感謝してます。そして降りて脚を見たとき、ああ、これはもうダメだと思いました…」
「園田に復帰して1年2ヶ月、ぼくが騎乗したのは帝王賞で6回目でした。
復帰戦を迎えるまではとりあえず鼻出血が心配で。だから、初戦は無事にまわってこれたらいいと思って乗ってました。
園田金盃を勝ったときは、ああ、これはやっぱりケタが違う馬やなと思いました。
これまで乗ってきたチャンストウライやアルドラゴン、あの馬たちと同じように高いレベルを感じました。
ああいう馬に乗れたというのは幸せでしたね。
背中に乗せてもらったというのはね。得難い、いい経験をさせてもらいました」
最後の管理者となった寺嶋正勝調教師は「ライジンを思うと、いまでもこみ上げてくるものがある」と言う。
“競走馬の宿命”という言葉で済ませたくない強烈な印象が心の奥底に残っているからに違いない。
ドラマのクライマックス、最後の目撃者になったことは、さぞ無念だっただろう。
「もう何日も日がたつというのにね、事あるごとに思いだすよね。献花台に立ったときは涙が出た。
大井競馬場でも献花台を設置してくれて有難かったね。そんな馬ってそうそういないよ。
だから余計にこみ上げてくるものがある」
「うちの厩舎に来たのが去年の4月12日。すでに兵庫の看板を背負ってた馬だっただけに、
管理するのに神経を使いましたよ。一度鼻出血をした馬は能力が半減すると言われます。そういうなかでの入厩、
かつて10あった能力の7ぐらい出せたら成功かなと思っていました。
でも、じっくり時間をかけて調整すればもっと引き出せる、と思って。
2ヶ月たった6月15日からようやく調教をはじめました。復帰戦(10月25日)を勝ったときは正直、
以前と変わらんぐらいの走りでびっくりしたよ。マイナスからのスタートやったから、うれしかったね」
「いまもって不思議なのは、あの馬、蹄鉄を一週間に1回打ち直さんといかんかったこと。
よく運動する馬は頻繁に打ち替えることがあるけど、ライジンはゆっくりポッカポッカと運動するだけ。
ふつう、運動だけなら2週間は保(も)つのに、すぐ擦り減る。調教もしてない、
ただゆっくり運動するだけやのに一週間保たない。あれは不思議やったな」
「最後の故障がなかったら、短距離路線を走らせて、年末の兵庫ゴールドトロフィーを今年の最終戦に考えていた。
それだけに残念な想いが強い。ライジンがいなくなって、ある程度の反響を予想していたけど、
これほどまでとは思ってなかったね。あらためて馬の凄さがわかります。
この仕事をしてたら仕方のないことなんやけど…、でも誰にも見送られずに消えてゆく馬が多いなかで、
これだけ惜しまれながらというのは幸せなことかも知れないね。
オオエライジンとチャンストウライ、対戦したらどっちが強いやろと何回も思った。
ライジンとチャンス、脚質は違うけど一緒に走らせたら、さあ、どっちが勝ったやろ…」
今回の思い出を語ってくれた3人の調教師と2人の騎手に、最後に問いかけた。
「いま、オオエライジンに言葉をかけるとしたら――?」
返ってきた言葉は皆さん同じだった。
「ありがとう。お疲れさん…」
オオエライジンは多くのファンの胸に、消え去ることのない強烈なパフォーマンスと一種の輝きを遺し、
天馬(ペガサス)となって空の彼方へ駆け昇っていった。
文 大山健輔
写真 斉藤寿一