そういうなかの一人に作家の山口瞳さんがおられます。
瞳先生は『草競馬流浪記』という本を書くのに全国の地方競馬を廻っておられたんです。
(中略)
そのとき、わたしは競馬のレース実況のむずかしさにオタオタしてるんです、
と言いました。ちょっとグチっぽく、メソメソ言いました。
そしたら先生が、王や長嶋をご覧なさい。
あれだけ素晴らしい才能をもった人が、人の何倍も何倍も稽古をつんで、
それでシーズンを終わってみたら三割しか打ててないじゃないですか。
あの人たちにおいて七割の不満をもってシーズンが終わるんです。
だから三割でいいんですよ。ただ三割でいいと思ったときから、
もう三割は打てなくなります。
十割打ちたいと思うから三割が打てるんです…。そうおっしゃった。
あの先生がいろんなことを教えてくださいました」
これまで吉田さんの口から何度となく聞いたこの話を、
この日この場所であらためて聞くと、なにか特別の重みを感じる。
そうなんだ、吉田さんはいつも十割をめざして実況していたんだ、と。
そのあとスピーチは競馬実況をいつどのタイミングで辞めるべきか、
悩みつづけた日日を振りかえり、
「きょう第6レースをもって終わるという決断をするのにたいへん時間がかかりました」
と胸のうちを明かした。そして、あいさつをこう結んだ。
「わたしは競馬場で涙を流したことがないのに、
きょうはいろんなところで涙を流しました。
これだけわたしに水分があるのかと思うほど、きょうは泣きました。
ファンの皆さん、永いあいだわたしの実況を聞いていただきまして
本当にありがとうございました」
深々と頭を下げる吉田さんに、しばらく拍手は鳴りやまなかった。
別室で行われた記者会見の席でも、
まだ夢のなかにいるような「気持が浮わついてまともに答えられない」と、
吉田さんは困った表情をしていた。
司会役の山田雅人が「6レースが終わったとき、
観客席から実況席の吉田さんに向かって大声援が起こった。
あのときはどんなお気持でしたか」とたずねた。
「自分がそんなに凄い人間なのかと錯覚するような、
夢を見ているような、そんな気持でしたね。
これから何時間かして独りになったとき、また涙を流すんじゃないかと思う。
いやあ、なんという日なんでしょう」
筆者も質問した。
「今朝、目がさめたとき、きょうは自分にとってどういう日か、
なにか感じるもの、特別な想いがありましたか」
「きょうで自分の競馬実況は終わりなんやというおもいで
本当は寂しい気持、それをどういうふうに抑えるかと思ってたけどね。
それとはまた違うんやな。
これ、どういう言葉でいえばいいんやろ。
朝、起きたときに、きょうはなにを喋ろうかな…
ひとつも気持がまとまらない。どこに気持が集中してるのかがわからない、
というぐらいの今朝やったですね」
夢のなかの浮遊は今朝からすでにはじまっていたのだろう。
吉田さんという人はつねに謙虚で、周囲に気をくばり、
笑わせたり泣かせたり、せっかちで怒りっぽいかと思えば、
ときにおどけてみたりして…じつに人間味に富んだ人である。
その半面、人にどう見られているかを意識し、
スマートであろうと努める人でもある。
会見で吉田さんは子どものようなういういしさで一つ一つの質問に答えてゆく。
気遣い上手の吉田さんらしく、ユーモアをまじえ、
質問者への配慮が行き届いたスマートなものだった。
「今後、ファンの方々にどういう姿を見てもらいたいか」という問いに、
「しばらく、とにかく休みたい。ゴメンね、何ひとついい返事ができてないなあ…」。
そう答えたあとで、「ぼく、いま一番思ってることはね…ビールが飲みたい。
もうこのあたりで解放させてもらえないでしょうか」
記者たちが笑い、会場は拍手に包まれた。
1月9日、吉田さんはてんやわんやの1日を終え、
実況席のマイクの前から去っていった。
しかし、競馬実況はもうしないということであって、
競馬場から身を引いたわけではない。
競馬のある日は竹之上、三宅両アナウンサーを支え後方支援をする、
とご本人は言っている。
監視役兼雑用係の仕事はこれからもつづく。
ファンの皆さん、競馬場で見かけたときは声をかけてあげてください。
64年間、泣いたのはきょう1日だけ、思いっきり泣きました、
セレモニーで吉田さんは言っていたが、
しかし全体としては明るい雰囲気の1日だった。澄んでいた。
それが、いかにも吉田さんらしいと思った。
多くのファンに愛され、支持された吉田勝彦アナウンサーに
筆者も声をかけてみよう。
吉田さん、あしたから日本一の雑用係をめざしてください。
隠居を考えてる場合じゃないですよ。