logo

クローズアップ ホースマン達の勝負に懸ける熱き想い

人間も馬も鍛えてなんぼ

 

 

中津競馬から園田へ

尾林師が兵庫生え抜きではなく、
中津競馬からの移籍騎手だということを
知っている競馬ファンがいま、どれほどいるだろうか。
 
中津では1年あまりの在籍だった。
園田へは免許を持ったままでの移籍が許されず、
一年間の厩務員としての活動を余儀なくされた。
移籍先となる濱口正行厩舎での厩務員生活が始まった。
 
「その一年間が大きかったと思います。
厩務員としての経験がいまも活きています。
馬に対する考え方が変わりましたから」
 
当時は競馬学校で同期だった小牧太(現JRA騎手)が、
既に頭角を現し好成績を挙げていた。
 
「乗れない期間は悔しい思いもありましたし、
羨ましいという思いもありました。
だから再デビューのときは、やるぞ!という思いでした」
と並々ならぬ闘志で異郷の地のレースコースへ降り立った。
 
「ぼくは運が良かったと思います。
濱口先生に拾ってもらってありがたかった。
のちのヒカサクィーンとの出会いを繋げてくれました。
当時は厩舎の先輩に花村さん(10コ年上)
というトップジョッキーがいましたからね。
それでも乗せてもらえたわけですから」
 
中津市の漁師の息子として育った尾林少年。
中津工業高校(現・中津東高校)出身で、
工業科の電気科だった。
卒業したら九州電力にでも行こうかと
おぼろげに将来を考えていたという。
 
3つ年上の兄・幸彦氏が中津競馬で
ジョッキーとして既に活躍していた。
その縁もあって高校2年生のときにアルバイトで
競馬場の厩舎の手伝いをさせてもらった。
馬の手入れ、寝藁の入れ替えなど、
いまの世の中では考えられない職業体験をした。
 
そんな競馬界で一番華やかな騎手という職業に兄がいて、
次第に憧れを持つようになっていく。
 
「身体も大きくないし、やってみたいなと思いました。
親には反対されましたよ。
お前だけは普通に高校を卒業して就職してくれ
と言われました。騎手をするのは兄だけでいいって。
当時でも騎手は普通の仕事よりは稼げましたからね。
だから兄はハチャメチャなこともしてましたから(笑)」
 
親の反対があっても尾林少年の決意は固く、
高校3年の10月、競馬学校に入学。
「騎手になりたい」という夢への第一歩を踏み出した。
 
実際にジョッキーをやってみて、
厳しい世界だと感じた尾林騎手。
その後、諸事情により中津競馬を辞めることになる。
そんなとき、兄が他の競馬場に行けばいいと助言してくれた。
 
「中津の馬主さんが『これからは園田や』と言ってくれたんです。
そしてその馬主さんが馬を預けていた濱口先生に
話を通してくれて移籍が決まったんです」
 
そんな巡り会わせで兵庫県競馬に辿り着いた尾林騎手。
当時の中津と園田では、
賞金や手当は倍ぐらいの差があったらしい。
昭和60年に中津デビュー。
63年に園田で再デビューを果たす。
 
騎手として1135勝を挙げた功績を振り返ると
「確かに重賞も多く勝たせてもらったのは
ありがたかったです。
ぼくは40歳で辞めているんで、
いま思えばもうちょっと辛抱して乗ってても
良かったかなとは思います。
ぼくより上の川原さんも乗ってますし、
太だって乗ってますし、
武豊だって乗ってますもんね」
 
それでも将来的には調教師になるんだと、
ぼんやり第二のホースマン人生を描いていた。
そんなときにケガをした。
それまでしたことなかった骨折をした。
馬が転倒して、乗っかかられて足の親指を骨折。
自分でもケガするのかと自覚し、
真剣に将来を考え、
騎手としては潮時かなと思い至った。
 
「いまから思うともうちょっと続けても良かったとは思う。
体重も重たくなかったですし。
ただ、当時は売上が落ちだしていて辞める調教師も
増え始めていました。
いま調教師になれば一年を待たずにすぐに
開業できるという状況でした。
以前は3年ぐらい待たされることがありましたから」
というタイミングも手伝い、2005年10月に鞭を置いた。
開業は翌年の7月に迎えることができた。

 

クローズアップ

 

尾林厩舎の未来

ガリバーストームは、尾林師自身がセリ場で見初め、
350万円(税抜き)でセリ落とした。
 
「走らなかったどうしようという責任感がありました。
値段はアジアエクスプレスの産駒で馬格もあって、
この値段で買えたのは良かったと思います」
 
素質を見出し、ハードに鍛えて成長を促した。
そして手に入れた栄光。
生え抜きの馬が活躍すると、園田は自ずと盛り上がる。
 
「周りのオーナーも喜んでくれました。
尾林厩舎に預けようという声も聞こえてきて
嬉しく思います」と追い風が吹き始めている。
 
「チャンストウライ、オオエライジン、
園田から出た全国レベルのスターホースが
出てくれば競馬場は盛り上がる。
そういう馬になれるように、
ガリバーストームを育てて行きたい。
注目されればされるほど、
ぼくらももっと成長できるのだと思う。
そして、もっと貪欲にならなあかん。
この活躍で火が着いたと思う。
スタッフの士気も上がった。
切磋琢磨するし、相乗効果がある。
いいムードになってきましたね」
 
そんなスタッフの中に、注目の人材がいる。
 
「ガリバーストームを担当している子は20代で、
騎手を目指しています。
以前は競馬学校に行っていたけど、
ケガがあり一旦、競馬界から離れたんです。
それからまた騎手を目指そうと、いま頑張っています」
 
菊池大夢(きくち ひろむ)厩務員。
諦めた騎手の道だったが、
いま一度目指そうと熱意を持っている。
ジョッキーになれば、
厩舎の所属ジョッキーとして活躍が期待される。
 
中津で味わった挫折。
移籍した園田では一年間の厩務員生活を余儀なくされたが、
その経験がのちに大きく飛躍する一助となった。
この尾林師の経歴と、菊池厩務員が歩んでいこう
とする道とが重なり合うように見える。
 
師に厳しく鍛えられ、
それを乗り越えて彼が晴れて夢を叶えて
騎手になったとき、尾林厩舎の上昇気流は加速する。
 
『人間も馬も鍛えてなんぼ』の成功例が
また見られることを楽しみにしよう。
 

クローズアップ

 
 

文 :竹之上次男
写真:斎藤寿一

クローズアップbacknumber