「今までは追う立場でやっていたから、
追われるのは苦手ですよね。
新子先生、盛本先生が上位だったんで、
深くはもう考えていない。
うちは馬房数も22で、上位の厩舎は28なので。
自分のところのペースで、
負けるんだったら仕方がないと思って使っています。
相手も勝ちたくてやっているから。
使おうと思ったら使える馬もいるけど、
無駄撃ちしたくない。1戦1戦に込める。
馬の状態を見極めて、でも“相手にこの馬が出てくるから
もう1週待とうか”というのは厩務員に伝えますけどね」。
と保利師。
そしてここからは厩舎を代表する1頭、
コウエイアンカについての話に。
5月13日のA1ツツジ賞では最後方から上がり36.1
の末脚を繰り出し、直線だけで他馬をごぼう抜き、
圧巻の強さを見せた。
「コウエイアンカなんて中1週で使いましたけど、
乗り始めも1回使って状態がぐんと上がったのが
わかったんで、1230mを使ったんですけど、
他に合う番組もなかったし、あの馬に合わせるように
使いました。
この馬はレースの2週間前にすごく速い稽古して、
翌週は調整程度。その方が走るんですよね。
ゲートも直前にやるとエキサイトしちゃうし、
中1週だとその心配だけがありました。
ただ状態は良かったんでね。
大山真吾騎手にも“ゲートで出られなければ
出られなくていいよ。いつもの競馬に徹してくれたら。
自信持って乗ってくれたらいい”と伝えました。
騎手もそういう風に言われた方が乗りやすいし
それが良かったかなと。
キャンターではそんな良い感じはしないんですけどね。
特別何が良いというのはなく、我が強い、
自分を持っている。
ただ、持っているポテンシャルはやはり感じるし、
行き出してからのパワーとかは他の馬とは違うけど。
それであれだけ走るんですから、
まぁ競馬はやってみないと分からないです」。
今後は1200、1400路線を使いつつ、
まずは連覇がかかる秋の園田チャレンジカップへ。
その後兵庫ゴールドカップ、さらには去年4着に敗れた
笠松グランプリを視野に入れている。
「他場も行きたいんですけど、ゲートが何せ悪いんで。
これだけの脚があるだけに、新子先生のとこのイグナイターの
活躍とか見ていると自分もって気持ちになりますけどね。
あの馬とは程遠い感じなんでしょうけど。
ダートグレードに対する思いはありますよ。
だから去年笠松グランプリも行ったし。
こっちで負かした高知のダノングッドに負けたし、
来年は負かしてやろうかなとか。
でも去年はゲートが酷かったんで。
遠征となるとそこですね。大きな課題は」。
ポテンシャルへの期待とゲートの不安。
そのジレンマに悩まされている、そんな保利師の表情だった。
ちなみ保利師が自ら調教しているのは基本的に
このコウエイアンカのみだという。
「乗り難しいから自分が乗っています。
大山騎手が乗ると追い切りになってしまうんですよ。
追い切りの時だけ乗ってもらっているからスイッチ入っちゃう。
とにかく賢いんでね。馬が分かっている。
ただ基本的には“見たい”んでね、稽古を。
これまでは騎手として乗ってきたから、
見る勉強ができていないんです。
今日はちょっとおかしいなとか、
乗って感じるのと見て感じるのは全然違うから。
セリに行く時も皆乗らずに見て判断するでしょ?
セールも見ていますけど、
10年経ってようやく目が肥えてきたかなと。
最初の頃はこの馬を買ってほしいと言って買ってくれる
オーナーさんもいないし、実際見に行って、
セリ名簿にデビューした馬をチェックしていました。
“この馬やっぱり走ったんや”とか。
その後まさに答え合わせをするように。
それが固まってからですけどね。
馬を買ってくださいと馬主に言えるようになったのは。
自分が気になった馬が中央のオープンや
準オープンで活躍するようになってから。
ちなみに、うちの厩舎の3歳はAとBクラスだけなんですよ。
そうした経験が自信にはなりました。
失敗の方が多いですけど。
セリ市は出会いの場なので、
中央の調教師とも繋がりができた。
やっている規模が違うんで牧場もどこでも知っているし、
僕も“ちょっと牧場に付いて行きたいんですけど”
って言って紹介してもらって。
それも3年越しの営業なんでね。
それがあって“こういう馬いるけど、
先生のとこでできない?と言われて預かることもあって。
みんなそうやと思いますけどね。
今年に関してはそういうのが大きいかなと思います」。
保利師は元々騎手出身。17年間で鞭を置いた。
「あんまりうまくなかったんで。体重が重かったんです。
減量も大変で。レースの厳しさもわかりました」。
騎手時代も中堅になった頃、2歳馬の調教中の落馬で
馬の下敷きになり、脳震盪と左目の負傷を負った。
病院に運ばれた時の記憶もなかったという。
その負傷と元々の減量の厳しさも相まって、
心は引退へと動いた。
「ここが自分の限界かな。
騎手で成功したかったんですけど。
父親(保利良次調教師)から“騎手で1番を目指さなくても、
1番を目指せるところが他にもある。
調教師だってそう”と説得されたのもあって
引退を決意しました」。
2008年に父である保利良次厩舎の調教師補佐に転身したが、
意外にも当時は調教師になるという考えは全くなかったという。
「僕を変えてくれたのはオオエライジンで。
当時の橋本忠男調教師のとこの馬で。
2011年の兵庫ダービーと大井の重賞の黒潮盃を勝ったんです。
“園田の馬で大井の馬を破ったんや!”って。
それで調教師を目指そうかなと。
あの時の橋本忠男先生の嬉しそうな顔を見ていたらね。
“俺らでも何十年も当たらんかったけど、
こんな馬が1頭当たったんや。
調教師冥利に尽きる!”と言っていて。
父親が調教師なんで、そうでなくてもどこかでなっていたとは
思いますけど、タイミングですね」。
翌年の2012年に保利良次厩舎のメイレディが
兵庫ダービーを勝ったことも背中を押してくれた。
補佐ではなくて調教師になってダービーを取りたい。
調教師への思いが強くなった。
「開業してから忠男先生にいろんなことを聞きました。
一緒に草刈りも行って。馬が好むような青草を一緒に摘みに行って。
勉強になることは全て聞きました。
そういう人に聞かなかったら調教師としての技術も
上がらないだろうなと。
やっぱり一番勝ちたいのはダービーですね。
なかなか難しいですけど。自分で見つけた馬を勝たせたいな」。
保利師は当時を懐かしむように語ってくれた。
最後に調教師に転身して良かったですか?
と質問をぶつけてみた。
「向いているんでしょうね。まだね。
昔は本当に言えなかったから。“なんで走らへんねや!”
ってオーナーに言われたら“すいません”しか言えなかった。
それが今は自分の考えをオーナーに言えるようになったことも
大きいです」。
オーナーが自分を信頼してくれて、
コンタクトをきちんと取れるようになった現状に
手応えを感じているように見えた。
そして今後の目標について尋ねたときも、
やはり返ってきたのはあの言葉だった。
「とりあえず勝たすことですよね。
オーナーさんに信用してもらうというか。
1頭だけじゃないんで。
“またお前のところでやってもらいたい”と言われる
調教師を目指して。勝ちたいですよね。
重賞レースだけじゃないんですよ。
確かに重賞は特別なものがあって賞金も高いですけど、
でもC3でもA1でも勝ちたいんですよ。
1戦1戦を勝ちたいという意味では重賞も他のレースと
変わらない。普通のレースなんですよ。
多くは上手くいかないけど、1頭1頭に手をかけなければ、
馬も応えてくれないし。
“運動量”と“会話”ですよ、やっぱり。毎日が勉強ですわ」。
現状に甘んじることなく、常に進化を目指し、
ただ実直に目の前の勝利を掴みにいく。
保利良平調教師はどこまでも勝利に渇いている。
これから下半期にかけての活躍にも大いに期待したい。