出身は京都府京丹後市。男ばかり3人兄弟の二番目。小学生のとき父親から言われた「幸祐は
チビやし体重も軽いから騎手になったらおもろいのになぁ…」という言葉が、騎手を志すきっかけ
になったという。中学卒業時に騎手試験を受け合格したが、高校に進学したかった幸祐は騎手学
校を蹴って、野村克也氏の母校で知られる府立峰山高校に進む。しかし、18歳になって再び騎
手を志し、騎手デビューを果たしたのは21歳のときだった。
「親はめっちゃ応援してくれてます。一番のファンは父親です。ぼく、ケガはないですけどいい
目をしたこともない。やっぱりいい目したいし、1個ぐらい重賞を勝ちたいです。ひとつ栄冠が
欲しいです」。チャンスを与えられたら必死で頑張りたい、と力強く言う。
彼のスタートの良さは定評がある。これまで落馬もケガもなく、怖さ知らずでいられたからだ。
ところが昨年、騎手生活ではじめて落馬を経験した。スタート直後のアクシデントだった。
「出てすぐ落ちて、吉田さん(実況アナウンサー)はぼくの名前分からんすぎて、名前呼んでくれ
んかった。馬だけひたすら走ってました。『あれっ、いま落ちたのはマツモト……』ぼくの名前を
出したときは3コーナーでした。木村さんだったら『木村騎手、落馬!』って1コーナーに入る
までに言ってますよ。ぼく、3コーナーでした(笑)」
このときのことを得意ネタでも披露するように、おもしろおかしく語る。
幸祐には「園田・西脇でだれよりも多く調教をこなしている」という自負がある。夜半12時
半に馬場に出て朝8時半まで「最低でも22、3頭は乗ってます。幸祐、乗ってくれ言われたら
乗ります。頼りにされてるから、喜んで乗ります」。住吉厩舎に移ってからこのペースは変わら
ない。理由はそれだけではない。1頭でも多く乗ることで精神力が鍛えられると考えている。
「ジョッキーは皆、攻め馬をするのが嫌いなんです、しんどいから。ぼくは攻め馬するのは昔か
ら好きやし、数が少なかった日は不安になるんですよ。多ければ多いほど安心感もあるし、どん
なバカっぽ(手なずけるのに苦労する気性の難しい馬)でも乗りこなす自信はあります。乗ってて
楽しいです」
だいだい1頭20分ほどかけて攻め馬をこなすが、ときに30頭近くの日は15分ペースで調
教するという。「攻め馬に関してはぼくはまちがいなくリーディングです」と幸祐は笑う。レー
スの乗り鞍がいくらふえても、攻め馬を減らすつもりはない。縁の下の努力を彼は惜しむことは
ない。その姿は献身的ですらある。見方を変えれば「上手に利用されている」ともとれるが、彼
はちっとも気にしていない。あいつは便利だ、と思われてもいいんだという気概を持っている。
「いいんですよ。調教してたら『幸祐、調教しとるから乗せたろか』と思ってくれる先生もいる
んです。それでいいんですよ」そんな彼の姿勢が“園田のムードメーカー”という評価につながっ
ているようだ。
辞めたいと思ったことはこれまで数えきれないほどあった。いまでも年に4、5回は考えるら
しい。「こないだも思いました、勝てんから。そう思うんですけど、きょうみたいに(取材日に
2勝した)勝ったら、やっててよかったと思います。めちゃくちゃうれしいです」
辞めたいと思う気持ちと、ピンクの勝負服で心機一転、巻き返しを狙う決意――そのはざまで揺
れながら、心の振幅を結構楽しんでいるのかもしれない。ジョッキーの35歳というのは微妙な
年齢ではある。現役生活の残り時間が頭をかすめる一方、ここから覚悟を決めリスタートできる
年齢でもあるのだ。
「たまに愚痴を言ってしまうことはありますけど、クサらんようにはしようと思ってるんです。
絶対クサったらあかんと思って。クサってええことなんか一つもないですもん。あいつ、頑張っ
とる、よう調教手伝ってくれとる、って言われるように、まだまだ可愛がってもらいです。気持
ちは20代なんで(笑)」
労多くして報われることの少ない騎手人生かもしれないが、クサらず、めげず、走り続けてほ
しいものだ。何度敗れてもよろしい。敗れるたび、挫折をくりかえすたびに騎手としての生きざ
まは厚みを加え、底光りをますのである。
「いままで辞めなくてホンマよかったです」と何度も幸祐は言った。心の奥底から出た本音だと
思う。
「40までは乗りたいです。あと5年は絶対やりたいです。ピンクの乗り役は松本幸祐だとイメ
ージづけて“園田のミスターピンク”をめざします。最終的には吉田さんにちゃんと名前を覚えて
もらうことです(笑)」
明るく快活に、終始笑わせてくれた松本幸祐。1時間のインタビュー中、彼のキャラは際立っ
ていた。
※デビューして15年「これまで一度もケガをしたことがない」と語っていた幸祐騎手が、8月23
日の調教中に負傷、長期離脱を余儀なくされた。新しいピンクの勝負服で心機一転を誓っていた
矢先の出来事だけに残念だ。一日も早い回復を祈りたい。(筆者注)