1985年にニュージーランドで生を享け、31年の生涯だった。
人間齢でいえば優に100歳を超え表彰状がもらえるほどの長寿。
昨年10月に現役を引退してからは穏やかに余生を過ごしていたが、
まわりのだれもがその日の来ることをおそれていた。
9月25日15時20分。マコーリーは天寿を全うした。
亡くなってから3日後の9月28日に彼を偲んで献花台が
1階映像ホール横に設けられた(~10月21日まで)。
開催初日のこの日、献花台には花束、バナナ、ニンジンがファンの手によって
供えられていた。
ガラスの向こう側に思い出のよすがとして、マコーリーが付けていた馬具、蹄鉄などが
展示されている。
凛々しく前を向いて立つ遺影。折々の愛らしいスナップ写真が飾られている。
そうした思い出の品々のなかにマコーリーの尻尾の毛があった。
白いその尻尾の毛が、彼がもうこの世にいないことを示していた。
献花台の横に、別れを惜しむファンの声が記されている。
“思い出メッセージ”と題されたスケッチブック。
「園田での生活は楽しかった?私たち園田ファンはマコーリーのおかげで、
いっぱいいっぱい楽しかったよ!本当にありがとう」
「マコちゃん、よ~がんばったな!ゆっくりし~や」
「おつかれさまでした。バナナ食べてな」
「長い間ほんとありがとう!マコのことは忘れないよ」
「マコーリーありがとう。天国から園田のみんなを見守っていてね。大好きだよ♡」
一人の老人がスケッチブックに別れの言葉を書いていたので近づいていった。
「マコーリーってどんな馬でした?」と訊ねると、気さくに応じてくれた。
「誘導する場面を見てても安心して見てられたね。
馬場にマコーリーが出てきたらどっしりとしてて、堂々たるもんでね。
あの姿を見ると、わたしなんか安心してレースが楽しめた。
園田にはもう20年以上、定年になってからしょっちゅう来てるけど、
マコーリーも長いあいだよう働いてくれた。ありがとうと言いたい」
74歳になるというこの園田ファンはスケッチブックに次のように記した。
「よう頑張ったね。天国で安らかに眠ってね。(京都の園田ファン)」
兵庫県競馬組合副管理者・米沢康隆氏はこう語る。
「マコーリーはうちのアイドルのような存在でした。
私はこちらに来て6年目になりますけど、マコーリーに接した最初の印象は、
なんて気性の穏やかな馬なんだろうと思いましたね。
鼻すじを撫でたりなんかしてもフーンって感じで、とてもやさしげでね。
うちの施設利用協会でいろんなグッズをつくってお客さまに販売してるんですけど、
そのほとんどがマコーリーがモデルになってます。
マコーリーの尻尾やたてがみの入ったお守りなんかもありますしね。
そのたんもマコーリーがモデルですからね。それだけ存在は大きかったですよ。
引退後もお客さまから『マコーリー大丈夫か』『元気にしてるか』という声を
いただいてました。私も担当の職員に聞いたりしてたんですけど
『痩せてるけどよう食べるんですよ』と。
食べるけど、やっぱり高齢ですから身につかない。
『誘導馬3頭のなかでマコーリーが一番よく食べるんですよ』と訊いたので、
まだまだ元気でいてくれるんだと思ってたんです。
誘導馬として活躍してくれたときも、馬体が大きいからもの凄く映えるんです。
あの姿もう一度見たいなと思いますけどね。
ああいうアイドル的な誘導馬はもう出てきてくれないんやないかと思う。
マコーリーに声をかけるとしたら、本当に長いあいだ、ありがとうございました、
という言葉しかないですね」14年間、誘導馬マコーリーに導かれて本場馬へ向かった
田中騎手のコメント。
「個人的な思い出ってとくにないんですけど、よう頑張ってくれたよね。
これまで何回もダメダメって、もうアカンかな、今年の夏もつかなって言ってたけど、
奇跡的に回復した。もう何年前から言われてたんかな…。
こういう言い方はよくないかもしれませんけど、マコーリー、ラクになったかなと。
マコーリーのおかげでファンがふえたということもあるし、ぼくら騎手にとって
ありがたい存在でした」
園田に入厩する以前のマコーリーを知る広瀬航騎手のコメント。
「マコーリーは京都競馬場の乗馬センターで僕の人生初騎乗馬です。
おとなしくて可愛いし号令通りに動く賢い馬でした。
園田で再会したときに感動したのを覚えてます。
馬乗りの楽しさを教えてくれてありがとう。31歳、よく頑張ったね。お疲れ様です」