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クローズアップ ホースマン達の勝負に懸ける熱き想い

事業をやり終えた、満ちたりた男の顔/橋本忠男 調教師

PROFILE

橋本 忠男(はしもと ただお)
調教師
1947年6月25日、兵庫県生まれ。
 
兵庫県競馬の名門・橋本有慈男調教師の長男として
誕生するが、後を継がずサラリーマンの道を歩む。
 
その後に馬主の声掛けで競馬界に入る。
厩務員、調教師補佐を経て1987年に
調教師として開業。
 
以来、1374勝という輝かしい戦績を挙げる。
人望も厚く、調教師会々長も務めた。
重賞51勝。その内他地区で21勝と遠征で
無類の強さを発揮した。
最後の重賞挑戦となった2017年『新春賞』で、
写真判定にもつれこむハナ差の大接戦を制し、
エイシンニシパで劇的な優勝を飾った。
これで取材時は51勝だった通算重賞勝利が、
52勝となった。
 
息子は橋本忠明調教師。
名門の血が脈々と繋がっている。

写真

マッキーローレルとオオエライジン

 1987年10月の初出走から数えて29年3ヵ月。調教師生活30年目の年に橋本忠男師は勇退を
むかえた。身を引くことを決めたのは昨年(2016年)の夏ごろだったらしい。
「自分のなかで辞めると決めた時点で気持ちは整理できています。
ぼくなんかは65歳定年が5年延びて、余分にしてるからね。
納得できるところまでやったという満足感はあります」
 
 取材したのは暮れの押し詰まった時期で、実際は現役最後のレース(1月4日)を終えてはいなかったが、
忠男師の心境としてはすでにリタイアしたかのような晴ればれとした表情であった。
 
「いまにして思えば30年、短かったね」と心情を吐露する。
「でも道中はね、いい時期、悪い時期、全部経験してきた。
で、悪い時期に(調教師会)会長を務めて……
いちばん底のときにやってきてるから、そのへんの思い出は多いね」
 
 やり残したことはないですか、と訊ねると、「いや、もうないです――」すぐさま答えがかえってきた。
「まさかここまで出来るとは思ってなかった。
人に恵まれて……ほんとに人に恵まれましたね、まわりの人に。
しんどい時期も思い起こせばないことはないですけど、
でも、やっぱり人に恵まれてここまでこれたと、つくづく思います。
いい馬主さんに出会えて、馬にも恵まれ、優秀な厩務員にも恵まれて……」
 この言葉は謙遜でなく、感謝の思いをより強く伝えたいという師の本心からでた言葉と受けとれる。
 
 30年間でもっとも印象深い馬は、アラブではサウンドランナー、
サラブレッドではマッキーローレルとオオエライジンを挙げた。
マッキーローレルとオオエライジンは自ら見つけ入厩させた馬だけに思い入れは強かったようだ。
「ローレルは脚が曲がってた馬やったけど、なにか光るものがあったんやね。
あの馬は忘れがたい。
410キロほどの馬やったけど、それが500キロになった。
走る馬は大体そういうふうに成長するもんやけどね……」
2004年4月に菊水賞を制覇し、忠男師が初めて他地区の重賞(金沢・MRO金賞)を制した
記念すべき名馬である。
 
「(オオエ)ライジンは最初に見たときはお尻をポンと押したらドテッとこけそうな感じでね。
ひ弱でたよりない馬やった。
かつて見た馬ではハッタダイドウがそうやったね。
トモが悪いんじゃなしに甘いんやと。
うしろ(脚)の甘い馬が変貌すればあれくらいの馬になるんやね。
だから走るたびに馬がしっかりしてきた。
この30年で、ああ、いい馬やと惚れ込んで育てた馬で期待どおり成長した馬というのは少ない。
そこそこ走る馬はいるけどオープンまでいけなかったら成功とはいえないからね。
看板馬をつくりだすというのはむずかしいもんや」
 30年の経験から得た教訓として「走る馬がそう何頭も何頭もあたるわけないんや」と、忠男師は言う。

 

サラリーマン生活10年を経て、園田へ――。

 調教師の家に生まれた忠男師は、幼いころから馬に馴染んで育った。
朝は馬にカイバをつけてから学校にいく。学校から戻れば馬の世話が待っている。
それが当たり前の日常で、めしを喰ったり歯を磨くのと同じ生活の一部だった。
 
 大学に進んでからも馬との関わりは変わらなかった。
ちょうどそのころ、弟(和男元調教師)がトレーナーをめざすと言いだした。
それなら俺は馬をやらなくていいんだ。多少は気がラクになった。
大学を卒業して、電子部品の絶縁材料をつくる会社に就職、サラリーマン生活は10年つづいた。
このまま競馬とは無縁の人生を送るんだと思っていた矢先、転機が訪れた。
 
「親父(有慈男元調教師)が60歳になったとき、ある馬主さんから言われたんです、戻ってこないかって。
親父が抜けると、一門は弟だけになってしまう。
そうなると管理馬をさばききれなくなるって言われた」
先細りを心配した馬主からの強力な勧めに、忠男師の心が揺らいだ。
家業が嫌で飛び出したわけではなかったし、またサラリーマン生活に不満があったわけでもない。
馬に血統があるように、調教師にも親から受け継いだ血の縁みたいなものがあるのだろうか。
忠男師の場合はまわりの情況がそうさせた、ということだったろう。
 
「まったく抵抗はなかったですね。
自分の育った世界やし、知ってる顔ばかりでしたから。
新しく入ったというより戻ってきたという感じだった」
 外の世界でめしを喰い、世間でもまれ、時代を肌で感じたのち水が低きに流れるように、
ごく自然に戻るべき場所に戻ったのである。

 

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