“親は子が出来てはじめて親になる。親と子は同い年”という言葉があるけれど、
小谷家は子沢山だけに、本当の意味において父親が父親になることのむずかしさを
周平はひしひしと感じているのだと思う。
子育てにおいて父親の務めはこれとこれ、と限定されるものではない。
際限なくつづくものであり、夫婦が力を合わせてやっていくしかないものだ。
大事なのはお互いを気遣う気持ち。
その点で、周平はやっと父親になれたといえるのではないか。
「一番思ったのは嫁さんの心のケアですね。家事をやろうが料理をつくろうが、
もう、そんなじゃないんですね。
相手の気持ちをわかってあげられることができたら、うまいこといきます。
それしかないです」
「子どもらのことに対してもそうなんです。
5人目、6人目と経験をつんでいくなかでわかったことなんですけど、
子育てするなかで親がシアワセじゃないと子どもだってシアワセじゃないんですよね。
ぼくらがいるからパパとママが好きなことでけへんわ、大変やわって思われたらダメなんですよ。
子どもを迎えにいかなあかんから自分のやりたいことを諦めるんじゃなくて、
ママも好きな(趣味の)時間をすごしてシアワセにならないと。
だから、嫁さんには自分のシアワセを考えて生きてほしい。5人目が生まれてそれに気づいたんです」
騎手という職業はつねに危険と背中合わせである。
6人の子の親である周平はそのへんはどう考えているのか。
「子どもがこんなにいて、悩むことは正直あります。
ただ、子どもらのせいにして騎手を辞めたくないんです。いまの状況って誰のせいでもない。
成績が伸びないのはぼく自身のせいですから」
周平の場合、ここ数年は騎乗回数がふえ一昨年は768戦(33勝)。
昨年は739戦(38勝)と700戦超えの安定した乗り鞍をこなしている。
「乗り鞍だけじゃなく、勝たないとそれ以上の依頼はこないじゃないですか。
数がふえても結果が出なければどうしようもない。やっぱり勝ち鞍がほしいですね」
自己の成績に関してはつねにイライラしっぱなし、歯痒い思いだという。
キャリアハイを残した2009年は57勝を挙げ、ランキング10位まで伸ばした実績があるのだが、
その年は騎手業に徹し、家庭を顧みない日々の連続だったらしい。
「あのときは家のことはほったらかしにして仕事してましたね」。
乗り鞍を確保するため西脇に連日調教に出かけ、競馬に専念した結果のキャリアハイだった。
当時はまだ2人目が誕生したころで問題はなかった。が、いまは状況が一変している。
やりたいことは限りなくあるけれど、時間には限りがある。その頃合いがむずかしい。
「子どもは授かりもの。自分が授かったものは大事に育てる義務がある」
「家庭があって自分がある。家を大事にしなかったら両方失うかもしれないと思う」
「だからといって仕事をないがしろにしてるつもりはない。力の限り精いっぱい頑張りたい。
ジョッキーっていい仕事ですもん」
言葉の断片ひとつひとつに、周平の苦悩と決意が見てとれる。
周平の母親は50歳をすぎてから一念発起して看護師を志した人で、
その姿を見てきた彼には母親の生き方が励みになっている。
「ぼくら兄妹3人を育ててくれて、そのあと自分のやりたいことを始めた。
看護学校で勉強しながら孫を見てくれて、いまは正看(護師)でやってますからね。
それを見てるので、好きなことは何歳から始めてもおそくないと思ってます」
やりたいことは何歳から始めてもおそくはない――という考えが周平を勇気づけている
「いましかこの子らと一緒におれないから」と周平は言った。
「もう少し時間がたって子どもたちの手がはなれたら、
もっと騎手として打ち込めるんじゃないか」と、自分自身に期待している。
まだ30歳なのである。やりたいことは何歳から始めてもおそくない。
少なくとも40歳までは現役をつづけるつもりだ。その覚悟でいる。
その想いを失わないかぎり騎手・小谷周平の明日に期待がもてる。
内で我慢してじっくり乗るレースに、あるいは大外をまわして豪快に追い込む
周平の騎乗スタイルに快哉を叫ぶファンは多い。
勝負にかけるがむしゃらな思いと秘めたる情熱をこれからも見守ってゆきたい。
いやぁ、ほっこりとした取材だった。
この連載、勝負師たちの本音をさぐる「アスリートの魂」のつもりなのだが、
今回は「鶴瓶の家族に乾杯」になってしまった。