開業から2年間を西脇ですごした玉垣光章調教師は、昨年秋に園田に厩舎を移した。
1年目7勝、2年目25勝と勝ち星を重ね、園田に戻った今年は5月末時点ですでに
24勝(ランキング8位)を挙げている。
大躍進ともいえるここまでの好成績の背後に何があったのか、要因をたずねた。
「1年目2年目は手さぐりの状態で、西脇にいたころは勉強する時期だと
自分に言い聞かせてました。
だからいろんなことを試してみたりして…。
それで園田に戻ってからが勝負だと。
3年目が勝負の年になると考えてました」
1、2年目は布石の年、来るべき将来に備えて準備を整える時期であったようだ。
「園田に戻って態勢が整ったという感じですかね。
以前からもいい馬を預けてもらってたんですけど、
勝ち負けできるかどうか、まだ手さぐりだった。
で、こっちに帰ってきてそういう思惑がうまくいきはじめた」。
単身赴任だった西脇とはちがい、家庭に戻って落ち着きを取り戻し、
さあ、やるぞ!と気力が充実したことも大きかったようだ。
調教師になる以前から玉垣師は自分なりのプランを持っていた。
自分には何もない、ゼロからのスタートだ、
開業してから動きだしたのでは遅い、前段階でしっかり準備しておこう――
彼は戦略を立てて動きだしたのである。
1年目は「とりあえず馬を集めよう」と考え、北海道の牧場やJRAの競馬場にかよい、
そこで知り合った馬主に開業前の自厩舎をアピールし、
あるいは別のオーナーを紹介してもらい営業の輪を広げていった。
とはいってもまだ開業前、海の物とも山の物ともわからない時期に
自厩舎を売り込むのは無謀、無鉄砲ではある。
「頼みにいっても相手にされないのはわかってるんですけど、
余裕のあるオーナーさんは、なんていうか…
タニマチが若い力士を育てるじゃないですけど…
頑張ってる者を応援したいという馬主さんも多いので、
そういう方たちとめぐり会えたのは幸運でした」。
玉垣光章という人間に、馬主たちは何か手を差しのべたくなる人柄を見たのだろう。
自分は生来の人見知り、と玉垣師は言う。
シャイで消極的な人間が社会でもまれていくうち優秀な営業社員になったという話は
よく聞くが、彼もそのタイプであるらしい。
人は置かれた環境や情況によって変われるものなのである。
「はじめての人に声をかけるのって勇気いるじゃないですか。
だけど、そこで躊躇してたら何もはじまらない。ここを逃したら、
この人と二度と会えないと思ったら、勇気をだして声かけるしかないんですよ」
北海道の牧場で、中央の競馬場で、勇気をふりしぼって未知のオーナーたちに挨拶してまわった。
自分を気に入ってくれた一人のオーナーから新たな未知のオーナーへと
紹介の輪が広がったことが大きい、と玉垣師は述懐する。
そのころ出会った馬主たちからこんなふうに言われたという。
「きみのやってること、間違ってないよ。
ぼくらも若いころはそうゆうふうにやってたんだ」と。
「結局1年目2年目は結果が出せなかったので…
結果を出せなかった馬がいっぱいいるんで申し訳なかったと思ってます。
だから、実績も知名度もない自分を応援してくれた当初からのオーナーさんは大事な存在なんですよ」
開業の2年前から計画を立て、準備をし、営業にも着手して備えたプランニング能力には驚かされる。
伸びざかりの厩舎には、伸びて当然と思える緻密な戦略があったのである。