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クローズアップ ホースマン達の勝負に懸ける熱き想い

不屈のアラフォー騎手は2000勝へ突き進む。/永島 太郎 騎手

PROFILE

広瀬 航(ひろせ わたる)騎手
1984年3月22日、大阪府生まれ。
1991年4月29日にデビューし、その初戦
で63戦未勝利の人気薄の馬に騎乗して勝利を
飾る。同期には松浦政宏騎手と
長南和宏現調教師がいる。
 
JRAの騎手試験を受けたが、2次試験で
不合格になり、地方競馬の道に進む。
そのときの同期受験者が、橋本美純現調教助手。
そして、亡くなった後藤浩輝元騎手だった。
競馬学校時代は劣等生だったと本人は言うが、
プロとなってからメキメキと頭角を現し、
デビューした年に新人賞を獲得する。
6年目には138勝を挙げて上位騎手の仲間
入りを果たす。以降数年間、100勝圏内の
勝ち鞍で推移し小牧太、岩田康誠に続く
“第3の男”と評された。
その後は大ケガや、所属厩舎変更などがあり
100勝越えは遠ざかっている。8月25日
現在、地方通算1940勝で、ゴールデン
ジョッキーまではあと60勝。来年中の達成
が期待されている。
家族構成は、妻、三女。

写真

24時間で減量10キロ

いつの間にかアラフォーの仲間入りをした永島太郎だが、彼に言わせると、
朝の調教こそ体力維持に欠かせない最高のトレーニングなのだそうだ。
その点、攻め馬が重要な仕事として課せられている地方競馬のジョッキーは、
それがキツい仕事であっても、自分で調教することの少ない
中央の騎手よりも有利なのだ、と彼は言う。
 
「生きた馬に頭数多く乗れば乗るほど、絶対に上手くなります。
それにジムで何時間走るよりトレーナーをつけて鍛えるより、
朝の攻め馬が最大最高のトレーニングなんです」。生身の馬こそが教材。
騎乗感覚を養い、ブレを矯正し、
体力をつけるトレーニングマシーンなのである。
 
一方で、闘争心というか、強いメンタルを持ちつづけるための鍛練も
アラフォー世代には厳しいのが現実だ。
心が折れそうになったときはどうするのか。
 
「結局、勝ったときの快感、充実感は騎手でしか味わえない。
あの感触を忘れないかぎりモチベーションをなくすことはない」。
挫折を乗り越えた男の言葉は、力強い。
 
「成績が落ちてレース数も減ったというときのモチベーションは、
いつか見てろよ、あのときのあの感覚はまだ失っていないぞと
自分を奮い立たせる。
どん底になったときは、なぜか馬が勝たせてくれるんですよね。
もう嫌や、と思ったときに不思議と馬が勝たせてくれるんで、
ああ、これこれ、この感覚って感じでまた頑張れるんです」
 
減量に関しては、いまでこそ1キロ、2キロ落とす程度ですんでいるが、
若いころは相当キツかったようだ。
木村健とつるんでドカ食いしていたころのエピソードを聞かせてくれた。
 
火・水・木の3日開催では木曜の夜からが騎手にとっての
ゴールデンタイムになる。
「タケ、行くぞ!」木曜の夜にはじまり金・土・日と、
減量から解放された二人は大いに呑み、食いまくった。
その結果、51キロほどだった体重が月曜の朝には61キロに増えていた。
この事実にも驚くが、さらに困ったことが起きた。
翌日火曜の第1R、斤量53キロのレースに騎乗が決まったのである。
さあ、どうする。24時間で10キロ落とさなければいけない。
永島は汗取りに精をだした。月曜朝の調教を終えてから、サウナに直行し汗を流し、
そのあとカッパを着こんで馬場を走った。
「カッパ着て3周ほど走れば2キロは落ちるんです」。
そのあとアイスクリームをなめて1時間半ほど横になり、また走る。
サウナに入る。そうやってなんとか10キロ落とすことに成功した。
数週間かけて10キロ減量という話は聞くが、
それを1日でやってしまうのだからジョッキーのカラダというのはすごい。
 
「ふらふらでしたけど、そのレース、勝ちましたからね…」。
いや、それもまたすごい。

 

勝負魂が尽きるまでー

現在、通算1934勝(8月2日現在)。やがて見えてくる数字がある。
「2000勝というのは偉大な数字なんで、
その数字になんとしても到達したい。
今回はじめて確固たる目標ができました」
 
2000勝ジョッキーを夢見て精進してきた男の偽らざる本心だろう。
夢を叶える瞬間を、ぜひこの目で見たいものだ。
永島太郎と接して、いつも感じるのは頭の回転のよさ、
ボキャブラリーのゆたかさである。
さらにいうと、巧みな会話術。ツボを心得た表現、言い回しがじつにうまい。
彼は一方的に喋るのではなく、相手の言葉を真剣に聞く。
聞く耳を持っている。つまり紳士である。
相手を思いやることのできるジェントルマンである。
取材のなかで語った彼らしさを感じる言葉をいくつか拾ってみた。
 
「長いあいだやってきたから言えることなんでしょうけど、
ジタバタしてもしようがないんです。
レースに出るときは、本命であれノーマークであれドキドキするんですよ。
いまだにドキドキします。ドキドキはするんだけれど、
ジタバタはしなくなりました」
 
「これまで辞めたいという気持になったことはあるけれど、
辞めようとは思わなかった」
 
「100勝超えでランキング3位にいたころより、
いまのほうがぼくは上手くなれてると思う」
 
「20何年乗ってきて思うのは、勝ちにつなげるためにはどうしたらいいか
という引き出しがたくさんできたことですね」
 
「ホント、ちょっとだけでも上手くなりたい。
さっき乗ったレース、もう1回できるなら、たぶん勝てますもん。
それがままならないところが面白い。たのしいですね、ジョッキーは」
 
「衣食住にかかわる仕事をしてるわけじゃないんで…要らないじゃないですか、
競馬なんて。馬券を買ってもらうことで成り立ってる仕事なんで、
どんなアスリートもそうだと思うんですけど、まず”ファンありき”ですね」
 
経験と知識と判断力、これに勝るものはない。
永島はそれらすべて持ち合わせているように思うのだが、どうだろう。
 
第2のホースマン人生(調教師への道)については、まだ未知数だという。
勝負魂が尽きるまで、その日までは1騎手でありつづけたい。
自分の信じる道を突き進み、その足跡をダートに刻みこむ生き方を押し通すだけだ。
 
永島太郎にとって園田競馬とはなに? と訊くと、
「始発点であって、骨を埋める終着点」と答えた。
ここをなくしては生きてゆけない場所なのだ。
 
騎手生活27年、43歳。不屈の精神を支えたものは”継続はチカラ”であったろう。
その信念に揺るぎはない。騎手・永島太郎の終着点は、まだまだ先なのである。

 

文 :大山健輔
写真:斎藤寿一

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