新子雅司、盛本信春、飯田良弘…これが現在(9月末時点)の調教師ランキング
勝ち鞍トップ3である。
それぞれ持ち味はちがうものの、年齢的には最年少の新子師(39歳)と
1年、2年差の同世代トリオが上位を占める展開だ。
ここ数年のあいだに若手調教師軍団がめざましい成長をとげ、
園田に新しい風を呼び込む起爆剤的役割を果たしてきたのは周知のとおり。
そうした若手台頭の理由を、飯田師はこう分析する。
「ぼくら世代が調教師になったのは競馬場が低迷してた時期でした。
だから開業に際して、それなりに強い気持をもっていたと思う。
ぼく自身も不安でしたしね。これまでのやり方を脱して、
自分たちが開拓せんといかんという思いがあった。
そういうなかで、営業なり馬の鍛え方なりを若手たちが自分で考えて、
独自の方法を編みだしてきたんじゃないか。
そのへんが若手が伸びている要因だと思う」
競馬場存続か廃止か、その見極め期間(5年)がはじまったのが平成22年から。
そのころ調教師になった彼らは、いわば崖っぷち世代で、
きびしい状況のなかにあって、優秀な馬を育て迫力あるレースをすれば
園田は立ち直れる、その一心で馬と真剣に向き合ってきた。
その結果、従来のファン層をつなぎとめるだけでなく、
新しいファン獲得につながったことはたしかだ。その意味で若手の功績は大きい。
むろんナイター競馬やネット投票などの要因も重なってのことだが。
「競馬場の低迷期に辞めていかれる先生方もいたり。
ちょうどそれに取ってかわってきたのがぼくら世代だろうと思う。
だから同じ世代のなかでライバル意識はありますね」と飯田師は言う。
互いに切磋琢磨する若手軍団のなかで、飯田厩舎は毎年右肩上がりの成績を残し、
順調すぎるほどの成長ぶりだ。
「ホント、なんか順調ですよね…」と、他人事のような口ぶりで言葉を返す。
きっと照れくさいのだろう。
6年目を迎えての自己評価を訊ねると、「ほかの調教師の方々が、
競馬場で育った方や世襲でやってこられた方が多いなか、不安でしたけど、
なんか順調にきてますね。デキすぎだと思う。
自信がなかったところからスタートしてるんで、この成績ならまあまあ…」
自分の口からは言わなかったが、自己採点は80点をつけてもいいといった感じである。
過去5年間で見えてきた課題はいろいろあるようだが、
トップをめざすには何をすべきか、模索する段階でもあるようだ。
ターゲットは新子厩舎? と探りを入れると、
「いやあ、なかなか高い壁ですよ」笑ってごまかされた。
大阪・池田市出身。小さい頃から動物が好きで、京都産業大学に入学し馬術部に所属した。
ただ馬に乗ってみたいという単純な動機だった。
次第に「馬を仕事にしたい」気持に変化し、卒業後は石川県・金沢の乗馬クラブに就職する。
趣味で乗馬をたのしむ人たちを指導するインストラクターの仕事である。
その当時は競馬に関してまだ興味は湧かなかったようだ。
乗馬クラブには3年勤めた。インストラクターといっても、要は接客がメインで、
日々の業務に物足りなさを感じはじめた。プロの集団に入って仕事がしたい、
と思ったのがこの道に入るきっかけになった。
25歳のとき園田の溝橋厩舎に入門し、その後、森澤憲一郎元調教師のもとで
職人気質を叩き込まれる。基本的な考え方や飼養に関する知識、調教法など、
飯田師の馬づくりは、森澤厩舎時代に培われたものが原点にある。
「森澤先生のことはいまでも尊敬しています。
馬に関しては徹底して妥協のない人でした」
一家を成したのは35歳のとき。先に述べたとおり開業以来、
成績は右肩上がりで推移している。
厩舎経営のスタートにあたってまず考えたことは、
顧客満足度を上げるということだった。
そのために大事なのは「数字を残すこと」答えは明快である。
「勝つことで成績を残せる。お金を得ることもそうですし、
なにより勝つよろこびがある。勝つことによって信頼して預けてもらえる。
これまでを振りかえると、目の前の1勝を獲ることに集中してきたと思います」
もともと話し下手、人づきあいが苦手だそうだが、
「経営に携わる人間が接客を嫌ってるようではいけない」と覚悟をきめ、
弱点を克服するよう努めてきた。
いまでは「苦手な部分からもやりがいを見いだせるようになった。
いまはそういう部分をたのしんでやれてるかなと思います」と言う。