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クローズアップ ホースマン達の勝負に懸ける熱き想い

三代目勝負師のつくり方。/田中一巧 調教師

PROFILE

田中一巧(たなかいっこお)調教師
1981年11月24日、兵庫県生まれ。
祖父の代から続く競馬一家。
父は兵庫県最多勝記録となる1852勝を
昨年の11月30日に樹立
(1月25日現在、1871勝に
伸ばしている)した。
名伯楽の父のもとで厩務員、
調教師補佐として活躍。
昨年の12月6日園田競馬第9レース、
ホクセツプリンスで開業初戦を迎え、
そのレースで見事に勝利した。
その後も順調に勝ち鞍を量産して、
わずか2ヶ月足らずの間に25戦9勝。
勝率36%、連対率52%と驚異の数字を
叩き出している。
管理馬である好素質馬ダイリンエンド、
マイフォルテが厩舎の看板的存在。
ダイリンエンドは短距離で、
マイフォルテは中長距離での活躍が期待される。
 
家族構成は妻、二男一女。
ちなみに、名前の一巧は、「いっこう」ではなく
「いっこお」が正解。

写真

強運と勢いを味方につけて

田中一巧調教師は昨年12月6日に開業、
初出走を果たしたばかりのピカピカの1年生トレーナーである。
父親は過去二度のリーディングに輝き、
昨年は兵庫県の最多勝利記録更新という金字塔を打ち立てた
田中範雄調教師であり、祖父もまた往年の園田競馬で活躍した田中義治師。
競馬一家の血筋をひく三代目である。
 
その12月6日の初戦、ご存じの方も多いと思うが、
ホクセツプリンス(5番人気)で初出走初勝利の快挙を
遂げ周囲を驚かせた。というより一番驚いたのは当の本人で
「頭の中が真っ白でパニくった状態」だったという。
レース前「開業初戦のレース、なんとしても勝ちたい」と
強い意気込みでのぞんだ鞍上・田村直也騎手が、
1着ゴールしたあと歓喜のあまり号泣するひと幕もあった。
 
「開業時の目標はとりあえず1勝あげること。最初のレースで
1勝できたので気持ちを切り替えようと思った。
だから、勝つことよりきっちり馬を仕上げていこうという意識で
その後は冷静にのぞめました」
 
大晦日まで11戦して5勝をあげ、勝率4割5分を超える好成績。
強運と勢いを味方に、今年に入っても14戦4勝(1月25日現在)と
順調な滑りだしをみせている。
これだけ幸先のよいスタートを切った厩舎も珍しい。
 
いまの状況はデキすぎ、と一巧師自身も自覚している。
「怖かったですね。こんなにうまいこといきすぎていいのかなと。
で、これが止まったときが怖いな…ずっとそれを思いながらいまもやってます」
 
開業するにあたって厩舎運営に関するビジョンというものは
とくに考えなかったという。
親方のサポートもあり、範雄厩舎の管理馬(ホクセツプリンス、
マイフォルテ、ダイリンエンドなど数頭)を譲り受けてのスタートだった。
その範雄厩舎も、優秀な馬が抜けたにもかかわらず、いま絶好調なのである。
 
息子の活躍に俄然、火がついたのか。
「65を迎えようとしている齢で急にスイッチが入ったようです」と、
父親のヤル気にあきれ驚いている。
息子には負けられない範雄師の意地というのは、
肉親を超えた勝負師の本能みたいなものなのかもしれない。

 

もがき苦しんだ8年間

競馬社会に飛びこんだのはハタチをすぎてから。
範雄厩舎で馬のいろはを学んだ。
もともと幼少期は西脇で暮らしていたが、
小学3年のとき両親の離婚で龍野(現たつの市)に移る。
十代の多感な時期を母方の里ですごした。勉強がきらいで、
やんちゃな思春期を送っていたらしい。
ところが、競馬と無縁の生活もハタチになって一変する。
母親が亡くなったことで父親のもとに戻ることになったのである。
「オカンが亡くなって嫌でもこっちに帰らざるを得なくなって…」。
父親の家業を手伝うより仕方がなかった。
馬の世話をすることに抵抗があったようだが、
担当する馬がレースで勝ったときは、ああ、面白いなと感じたという。
 
下積み生活は長くつづいた。そもそもが仕方なくはじめた仕事。
身が入らないのも当然で、父親に言われるまま調教補佐の試験を受けるが、
そのたび撥ねつけられる。
 
「いやいや試験を受けてましたけど、
近くに橋本くん(忠明師)がいたので助けられました。
彼の存在は大きかったですね」と一巧師は言う。
 
忠明師と接しているうちに、自分も同じ立場であることを
感じはじめるようになる。
競馬社会における大事な家系を守り、受け継ぐ立場だと自覚し、
その宿命に身を投じた。
そう思いだしてからは迷いは吹っきれたようだ。
 
厩務員から調教補佐時代までをさらっと記したが、
そのあいだの8年間は人並み以上にもがき苦しんだ、と
一巧師は胸の内を語る。
それは「早く一人前の番頭になれ」と願う
父親の厳しさゆえの受難だった。
獅子がわが子を谷に突き落とし試練を与えるように、
範雄師は厳しく鍛えた。

 

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