1995年に騎手デビューした高馬元紘は2010年、
16年間の騎手生活にピリオドをうち、生涯勝利数451勝で現役をしりぞいた。
そうして、第2のホースマン人生が翌2011年からはじまる。
今年で8年目。昨年は調教師としてのキャリアハイ51勝をあげ
ランキングも初のひと桁(9位)に押し上げた。
ここにきて俄然、上位をおびやかす存在になりつつある。
飛躍の要因はどこにあるのか。
今回の眼目はそれを探りだそうというところにある。
50勝ラインをクリアした昨年に引き続き、
今年も勝ち鞍10勝(2月14日現在・ランキング3位タイ)と
好調を維持している。
年始めにスタートダッシュをきめるのは高馬厩舎の通例であるらしく、
1月2月に上位を走っていることにはとくに驚きはないようだ。
それよりも昨年51勝止まりだったのが悔やまれるという。
「去年はもっと勝てる予定だったんです。10月ぐらいから、
まあ、60ぐらいはいくやだろう思ってたのが、
それ以降まったく勝てなくて…」
思惑どおり60勝に届いていればベスト5入りも十分可能だったのである。
数字の底上げにつながった要因のひとつに、
高馬師は「スタッフの成長」をあげた。
「やっていることを考えたら、もっと上位にいてもいいんだろうなと
つねに思ってるんですけど…」と、仕事内容の充実ぶりをアピールする。
高馬厩舎のユニークなところは、スタッフ全員(6名)が
開業時に募集した厩務員経験のない素人たちで
スタートしている点にある。
馬のことをまったく知らない(多少の乗馬経験がある者もいたようだが)
ズブの素人をいっぱしの厩務員に育て上げるまでには
大変な苦労があったと思う。
「教え足りないところやちゃんと伝わってない部分もあると思うんです。
まだまだ経験してないことも多いんですけど、
一つ一つの積み重ねが実を結びつつあるので、
それが結果につながっているのだろうと思いますね」
高馬師が中心になって一緒に馬をつくっていくという段階からはじまり、
昨年7年目にしてようやく蕾が膨らんだ。
ただいま半開といったところなのだろう。
「ようやく育ってきたなという実感がありますね」。
その言葉は重みがあり、積年の労苦が報われた喜びが感じられた。
姫路市出身で、今年41歳になる。騎手をめざしたのは中学時代、
一種の社会現象にもなった武豊ブームがきっかけだった。
といって、熱い志があったわけではなく、
背が低かったこととブームに触発されたことで
なんとなく方向が決まったらしい。
同期デビューに新子雅司現調教師がいる。
当時の園田競馬には人気と実力を兼ね備えた騎手が大勢いた。
小牧太と森繁がリーディング争いの筆頭で、
そのつぎに赤木高太郎、三野孝徳、平松徳彦、尾林幸ニ、松平幸秀らがひかえ、
岩田康誠も頭角をあらわしはじめたころ。
高馬師は「同じレースに乗っても勝てる気がしなかった」と言う。
そんな状況のなかで数年後には「(騎手で)上にあがれないんだったら
調教師をめざそう」と考えはじめる。
と同時に、JRAの騎手をめざし試験勉強にも精をだした。
「もともと勉強ぎらいなのに、あのころはメチャクチャ勉強しました」
むずかしい競馬法をテープに吹き込み、
朝の調教時にそれをイヤホンで聞きながら頭に叩きこんだ。
このJRA受験のための勉強がのちの調教師試験の折り、
大いに役に立つことになる。
何度も調教師試験にトライするもなかなか合格できない者が多いなか、
彼は一発合格したのである。