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クローズアップ ホースマン達の勝負に懸ける熱き想い

アセらずリキまず、現状維持をめざす。/渡瀬寛彰 調教師

PROFILE

渡瀬寛彰 調教師
1981年1月30日、宮崎県生まれ。
実兄の和幸は騎手として活躍中。
 
16歳のとき、佐賀競馬場で厩務員と
なり、ホースマン人生をスタートさせる。
その後に兵庫県競馬に移り、
碇厩舎、橋本忠男厩舎で活躍。
調教師補佐を経て、2015年に厩舎を開業。
順調に勝ち鞍を重ね、
まもなく地方通算100勝が
近づいている(7月30日現在、93勝)。
今年はさらに好調で、昨年の勝ち鞍
31勝に対し、今年は今の時点で29勝と
クリアは時間の問題。ランキングも
第9位とベストテン入りを果たしている。
 
看板馬はエイシンエール。今年3月に3歳
になってからの遅いデビューとなったが、
そこから6戦6勝。前走で初対戦の古馬(B1)
を撃破。秋は新設重賞『オータムトロフィー』
が大目標となる。
 
趣味はお酒、料理。

写真

ベテラン厩務員に全幅の信頼を

連日猛暑日のつづく暑い日の取材だったが、渡瀬調教師はスーツ姿に身を正して
取材場所にあらわれた。
チェック柄のシャツに淡いブルーのサマースーツを上手に着こなしているあたり、
なかなかの洒落者とみた。
 
1981年1月生まれの37歳。
兵庫県競馬では最年少(田中一巧師と同年生まれ)の調教師である。
知ってのとおり兄は園田のベテラン騎手渡瀬和幸。が、本人は騎手の経験はない。
「中学2年3年と一気に背が伸び、体重もふえたので諦めた」らしい。
子どものころの話では面白いエピソードがあるのだが、それはのちほど。
 
今年開業4年目の、いわば駆け出しの調教師は、
年々右肩上がりの成績を残し今年もすこぶる快調なのである。
7月19日の時点で27勝、ランキング9位につけている。
好調の要因として真っ先にスタッフの充実ぶりをあげた。
 
「うちの厩務員は質がいいです。
多分よその厩舎でも見当たらないぐらい経験豊富で、騎乗技術もある」と、
軸になっている二人のベテラン厩務員(40代)の存在をあげる。
固定メンバーは、この二人に19歳になったばかりの若手を加えた3人体制で、
渡瀬師自身も1頭だけ担当している。
若手厩務員というのは装蹄師をめざしている渡瀬師の長男敦さんで、
修行の一貫で厩務員の仕事を勉強中だそうだが、
調教技術も巧みで欠かせない戦力になっている。
 
「この道20年30年のベテラン二人の存在は大きいです。
それに、もちろん管理馬の素質の高さがあります。それは年々よくなってきています。
開業当初はいい馬が集まらないときもありましたけど、
いまは大手の馬主さんがいてくれるのが大きいですね」
 
独立前は橋本忠男厩舎で力を蓄えていた渡瀬師だが、
当時から有力馬を任され結果を出していた実績があり、
オーナーたちから信頼を得たことが今日につながっている、と分析する。
 
馬産地九州・宮崎出身の渡瀬師が園田の碇厩舎で厩務員の仕事をはじめたのが
18歳のとき。碇厩舎でほぼ10年勤めた。
その後移った橋本忠男厩舎での経験がホースマン人生の転機となる。
仕事に対する意識が大きく変化したのだ。
 
「きっかけになったのは重賞を勝ってからですね」。
エーシンクリアー、エーシンユリシーズ、エーシンサルサなどの担当馬で
つぎつぎと重賞勝ちをおさめ、結果を出すことで自信を深めていった。
と同時に上をめざす決意が固まった。
 
「忠男先生ってカッコいいじゃないですか、オーラがあって。
ああ、こうゆう人になりたいなと、純粋にそう思いました」。
忠男師の人柄や人間としての器の大きさにあこがれ、
同じ世界で生きるならこんな人になりたいと意識が変わっていった。
当時、厩務員として一緒に働いていた橋本忠明師の仕事ぶりを間近で見ていて
「勉強したらこんなになれるんだ」と触発されたことも大きかったという。
 
忠男厩舎に移って3年後に調教助手の試験を受け、二度目の受験で合格。
その翌年には調教師試験に挑み、なんと一発合格を果たしたのである。
意識を高く持ちはじめてわずか3年、人生が変わったように思えた。
「まわりからは、お前はまだ早いって言われたんですけど、
受かったからにはやるしかないと…」
 
開業してからの3年間を振り返って渡瀬師は言う。
「質のいい馬が徐々にふえてきたことを実感してます。
調教もそうですけど、飼料に関してもすごく研究するようになりました。
ある程度できる自信はあったんですけど、勉強すればするほど奥が深い。
探っていけば得るものがいっぱいありましたね」
 
そういう時期にレベルの高い二人の厩務員がつぎつぎと仲間入りし、
厩舎力アップにつながった。二人の加入で一気に勝ち鞍もふえた。
 
「二人とも腕のある職人なんで、ぼくは一切口を出しません」。
渡瀬師は彼らに全幅の信頼をおいている。
一軒の家に大黒柱が2本あるようなもので、少々のことでは屋台骨は揺るがない。

 

豊富な遠征経験で勝ち獲った初重賞

出身が宮崎であることはすでに書いたが、
渡瀬兄弟が競馬の世界に進むきっかけというのが面白い。
オグリキャップが関係しているのである。
オグリが有終の美を飾った1990年の有馬記念。
熱狂したのは競馬ファンだけではなかった。
 
「母があの引退レースをテレビで見てて感動したんです。
兄が小5、ぼくが小4のときで、
二人とも騎手にさせると決めてしまった」のだという。
 
ふとしたことで人の一生は決まってしまう。
オグリのラストランが幼い兄弟の人生を決定づけたわけだ。
母親がオグリのレースを見なければ、見て感動しなければ、
二人の未来はちがっていたはずである。
 
兄がまず乗馬クラブにかよい、つづいて弟も馬に乗りはじめた。
ところが、先に書いたとおり身体が大きくなったために渡瀬師のほうは
騎手の道を諦めざるを得なかった。
高校で乗馬部に入ったが、
学業と乗馬と片道2時間の通学に耐えられず中退することになる。
 
その後も馬への愛着は強かったのだろう、
佐賀競馬の九日(くにち)厩舎で厩務員の仕事をはじめたのが16歳のときだった。
その佐賀競馬でまたも人生を左右する出来事が待っていた。
隣の厩舎で働く三つ年上の女性厩務員と恋におちたのである。
16歳と19歳。周囲の猛反対を押しきって若い二人は2年後に結婚した。
 
すぐに敦さんが生まれ、渡瀬師は18歳で父親になった。
その年、碇厩舎で厩務員の空きができたことを知り、
兄のあとを追うように園田にやってきたというわけだ。
母親のオグリ感動にはじまった馬人生も、
ようやく落ち着くところに落ち着いたのである。

 

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