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クローズアップ ホースマン達の勝負に懸ける熱き想い

やさしさ、甘さをバネに変える。/渡瀬和幸 騎手

PROFILE

渡瀬和幸
1979年11月6日、宮崎県生まれ。
1999年にデビューして、
今年で20年目を迎える。
 
スタート勘の良さと、
身体を目一杯伸ばして
ゴールへ入線する
勝利への執念がウリ。
 
身体が柔らかいことから
ケガが少なく、
今回が初めての
2ヵ月以上の戦線離脱。
 
弟は調教師の寛彰氏。
 
家族構成は妻と一女二男。

写真

 
ここで、ちょっと話を変えてプライベートな一面を紹介しよう。
園田の誘導馬ジョッキーをやっていた弥玲(みれい)さんと結婚したのは
韓国から戻って3年後のことだった。
二人が付き合いはじめてから、結婚にこぎつけるまでの苦労話がおもしろい。
 
「最初は彼女が実家を出て、独り暮らしをはじめるというときに
引っ越しの手伝いに行ったんです。
そのときの印象がよくなかったのか、ご両親からいい反応がなくて…」。
先行き不安なスタートだった。
弥玲さんも両親を説得したがラチがあかない。
時間を置いて直接ごあいさつに伺ったら、
あろうことか、お母さんが逃亡してしまった。
 
「玄関をガラッと開けたら誰もいないんです。
それを2、3回繰り返しましたね」
 
つぎに考えたのが手紙作戦。真面目な気持ちで真剣に交際している、
と誠意をこめてご両親あてに手紙を書いた。
が、その手紙さえ読んでもらえず「やめときなさい」の一点張りだった。
先方は躾にきびしい家庭で、弥玲さんは三人姉妹の真ん中。
娘三人は自分たちのおメガネにかなったところに嫁がせたいという
思いがあったのだろう。
 
「もうこうなったら正月だと。正月ならみんなが集まってる。
正月元旦、それしかない。スーツ姿で押しかけていきましたよ」。
彼女のお姉さんと妹さんは渡瀬の味方で、
場の雰囲気を和ませようと努めてくれる。
ホームドラマのような展開だ。
 
「突然お邪魔したことを謝って、
おめでとうございますと挨拶したら、まあ、お上がんなさいと言ってもらって…」。
ともかくも受け入れてもらえることができたのである。
いまではご両親も孫が遊びにくるのを楽しみにしているというから、
てんやわんやの結婚狂騒曲も、まずはメデタシメデタシ。

 

サブジョッキーのプライドと存在意義

渡瀬に自己の性格分析をしてもらった。
「まわりの厩務員さんからは、やさしすぎるとよく言われます。
ちょっと甘いかな、と自分でも思うときがあります」
 
それはレースのことではなくて、
頼まれれば気安く調教を引き受ける、
自分に利益がなくても人から頼まれればやってしまう、
そういう人の良さをさしてのことらしい。
攻め馬を引き受けるからにはレースで乗せてほしいという積極的な売り込み、
がめつさ、したたかさが稀薄なのだ。
だから自分は甘い。そういう意味である。
 
「この商売、乗ってナンボ、勝ってナンボなんで…」と渡瀬は言った。
騎手であるかぎりは人の良さ、甘さを捨てて、もっときびしくやりたい、
と謙虚に戒め、自分を俯瞰した目で見ている。
 
寛彰調教師の開業以来の好成績を間近で見ていて、
「いい刺激をもらっている」とも言った。
「自分が現役のうちに、もう1回ぐらい弟の厩舎で勝ちたいなと思います。
乗せてくれないかな…」
 
弟の厩舎の馬に兄が乗ってレースを勝つ…
そんなほのぼのとした勝利の瞬間を見たいものだ。
 
新井師から調教を任された2歳馬レオタイザンに関しても、
優先順位でいえば新井厩舎所属の杉浦健太が有利なのだが、
「健太が乗れないときの受け皿として、いつでも準備しておきたい」と、
サブジョッキーに甘んじるやさしさがのぞく。
それが騎手・渡瀬和幸の甘さでもあるのだが。
リリーフ投手にはリリーフ投手なりの矜持がある、
と同じようにサブジョッキーにはサブジョッキーのプライドと存在意義がある。
これは渡瀬なりの周囲に示す懐の深さ、度量の広さだと考えたい。
 
ファンにここを見てほしい、
というセールスポイントにあげたのがスタート勘のよさである。
以前はアブミの長さを調節したり
誰かの乗り方を真似たりして試行錯誤があったようだが、
思いどおりにいかなかった。
「(鞍の)前で乗ったり後ろで乗ったりとか、いろいろ試したんですけど。
それが2年ほど前に長めのアブミにしてからゲートが決まりだした。
バランスがよくなったのか、馬が出やすくなったように感じてます」
 
体の柔らかさを利して、
上体を馬体にくっつけるようなフォームで逃げ切るスタイルが
渡瀬の得意とするところだが、
そこにスタートダッシュの鋭さが加わったことでここ数年、
結果を残しているのだ
(2015年28勝、16年24勝、17年29勝)。
アブミの長さがピタッと決まったことが上向きの一因かもしれない。
「光と影」でいえば、スタート勘のよくなったところが光の部分であり、
やさしさと甘さが影の部分かと思われる。
 
デビューして20年、重賞勝ちはまだない。
それだけに乗り役でもうひと花咲かせたい、
という思いは誰よりも強い。
「レオタイザンにかぎらず、チャンスがあれば重賞を狙いたい」と、
渡瀬は秘めたる思いを言葉にした。
 
女手ひとつで二人の息子を育て、騎手への道をつけてくれた母親には、
 
「ホントに感謝しています」
 
孝行息子らしいシメの言葉であった。

 

文 :大山健輔
写真:斎藤寿一

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