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クローズアップ ホースマン達の勝負に懸ける熱き想い

まだ若い子には負ける気がしない。/竹村達也 騎手

PROFILE

竹村達也(たけむら たつや)
1983年3月1日、大阪府生まれ。
2001年4月デビュー。
同期には、板野央騎手、
広瀬航騎手がいる。
 
同期の中では最多騎乗を誇り、
まもなく10000回騎乗を迎える。
 
スタートから積極的に先行する騎乗
がウリで”逃げの竹村”の異名を持つ。
 
趣味はパチンコで、
今年は幸先良く、
かなりのプラス収支とのこと。
 
家族は妻、一男一女。

写真

悩み、苦しみからの脱却

子ども時分から運動神経バツグンだった竹村は、
中学時代はバスケットボールと陸上の中・長距離で注目され、
有名高校からスポーツ推薦を受けるほどの目立ったスポーツ少年だった。
ところが、運命の糸は競馬の世界と少年を結びつける。
きっかけは名馬ライスシャワー。
 
「ライスシャワーが宝塚記念で脚を折ったとき、それを見てて、
もし、ぼくが乗ってたら壊れてなかったと思ったんです」
 
無論、それは子どもの無邪気な妄想にすぎない。
父親が競馬好きだった影響もあったのだろう、
中学2年になると乗馬クラブに通いはじめる。
乗ってみるとおもしろい。
スポーツ推薦で高校に進学するより騎手をめざそう。
少年はそう決心する。が、現実は甘くなかった。
JRAの騎手試験を受けるも学力が足りず失敗。
中学卒業後1年間は浪人生活をおくる。
その後、地方競馬にシフト変更したが視力不足で入学は叶わず。
その間、新聞配達で得た収入を”家庭教師のトライ”で
学力アップに役立てたというからなかなかの努力家だ。
 
「いま思えば親に甘えてなかったですね」
 
その後、視力不足はレーシック手術で回復し、
2001年春に騎手学校を卒業、4月にデビューした。
 
当時の園田競馬は小牧太、岩田康誠、赤木高太郎、平松徳彦
といったトップ騎手がひしめく黄金時代で、
総勢40数名の騎手をかかえていた。
当然、新人騎手に騎乗チャンスはめぐってこない。
 
「20頭以上調教しててレースに乗れないのはなんでかなと思った。
レースに出してもらってもなかなか勝てなかったしね。
自分の技術不足もあるし…そこでいろいろ悩みましたね。
辞めようと思ったことも何度かあります」
 
「ネガティブになってた時期は長かったですね。
人と接することが怖くなって、誰とも会話したくなくて。
まあ、調教だけは出てたんですけど、
ひたすら馬に乗って調教してるだけという日がつづいてました」
 
がむしゃらに頑張っていたころの焦躁と不安、悩みや苦しみを、
いまはこだわりなく語れるようになっている。
精神的な苦しみから脱することができたのは、
ポジティブに気持を切り替えようとする
自身の努力があったからにほかならないのだが、
「そういうふうに開き直ることができたころから成績が上向いた」
のだという。
ネガティブからポジティブへの転換が成績に反映したことで竹村は救われた。
 
「ぼくだけじゃないですよ。
そういう精神状態を経験してる騎手は何人もいます。
上の人(上位の騎手)はまた違った意味で苦労してると思うんですけど、
中間から下はみんな同じ悩みをかかえてますね」
 
“ポジティブ竹村”に戻ってからは悩むことはなくなった。
しいていうなら腰痛ぐらいか。
 
「体力的には全然衰えは感じてないです」
 
まもなく36歳、意気軒昂である。

 

スタートのコツは馬の向きにあり

質問にじつに丁寧に答えてくれる。
話してみて感じる印象は”まっすぐで軽快な男”といったところか。
精神的ダメージを経験したとはとても思えない、
明るく社交的な青年である。
おおらかで素直な人柄に好感がもて、
取材している時間がたのしかった。
 
「明るい性格やなとよく言われます。
ぼくは人に対してムカつくとかキライとか考えないで、
苦手だと思うようにしてます。
気軽に話しかけるタイプなんで、
苦手な人に対してもよく話しかけるようにしてますね」
 
誰とでもフランクにつきあえるので、
若手騎手からは恰好のイジられキャラになっているらしい。
イジられてもちゃんと受け流す度量があるから
イジる若手も安心して慕ってくる、そんな関係であるようだ。
 
「あんまり先輩やと思われてないんです。
ぼく、ほかに取り柄がないんで…」。
そう言ってケラケラ笑う。
 
スタートのよさと先行馬をハナに立たせる巧みな騎乗が竹村の売りだが、
“逃げの竹村”といわれるのは嫌なのだそうだ。
性格的にそういうタイプではないという。
ただ、騎乗依頼する側は「竹村ならこの馬でハナを奪ってくれる」
という信頼度が高く、ファンもそういう目で見ている。
それに応えられるスキルがあるから自然とイメージが定着しているようだ。
 
素早くスタートを切るコツを教えてくれた。
 
「(馬を)出しにいかないことです。出しにいくと出遅れる。
(馬を)軽く横に向けてると開いたときにうまく出てくれるんです。
正面を向いてると突っかけたりするので、一瞬おくれる。
軽く横に向けて待つのがコツ」。
ゲートと正対しないで馬の鼻先を軽く横に向けてスタートを待つ
というのが経験から学んだ竹村流のスタート術。
一朝一夕に身につく技ではないだろう。
 
同期デビューの板野央、広瀬航のがんばる姿にいい刺激を受けている。
通算勝利数では板野、竹村、広瀬の順だが、
三人三様それぞれにめざましい活躍をみせた実績をもつ。
「広瀬もずっと苦しんでたけど、ここ2年ぐらい好調を維持してますし。
あいつとは(騎手)学校時代をともにすごした仲なんで、
最近の調子のよさを見ててぼくもうれしいです」
 
同期デビューは互いに意識するものだし、
まわりもそういう目で見ているが、
ライバルである以前に騎手仲間であり、
互いに高め合える同志なのである。
 
将来的には調教師への道も頭の片隅にあるようだが、
第2のホースマン人生はまだ先のことだと考えている。
それが証拠に「まだ若い子には負ける気がしない」と竹村は言う。
 
「若い子がもっと頑張って、ぼくのレベルぐらいを
抜いてくれたら勝負服を脱いでもいいかなと思うんですけど。
なかなか若い子たちも伸び悩んでるんでね。
ぼくも体力的にはまだまだ頑張れるんで、
50勝のカベはなんとしても乗り越えたい」と、
力強く宣言した。
 
別れぎわ「これ、いつ載るんですか」と訊かれたので、
3月1日だと答えると、「ぼくの誕生日です。たのしみにしてます」
 
まっすぐで軽やかな印象は最後まで変わらなかった。

 

文 :大山健輔
写真:斎藤寿一

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