平成最後の本場所となった大相撲春場所は3月24日に千秋楽をむかえ、横綱白鵬の優勝で幕を閉じた。
15戦全勝。平成の最後はオレだ、といわんばかりの圧倒的強さで3場所ぶり42度目の優勝である。
大阪で行われる春場所は東大寺のお水取りの時期と重なることもあって、
関西に春を呼ぶ恒例行事といわれている。
二横綱三大関が揃った今場所は、ご当所力士豪栄道への期待、
大関昇進のかかった貴景勝(場所後、新大関に昇進)など見どころは多かったが、なかでも田子ノ浦部屋が
わが園田競馬場に稽古場&宿舎を構えたことがメディアに取りあげられたりして話題を呼んだ。
全国初のこの試みに敏感に反応したファンも多かったようだ。
企画広報課によると、競馬開催日の開門時の入場者数は通常5~600人だが、
稽古初日(2月26日)は1100人が、翌27日には1455人が入場門に並んだという。
3月7日までの10日間の入場者は前年比140.6%と四割増を示した。
「予想を超える見学者の数だったのでびっくりしました」と橋本久人課長は話す。
「当初はどれくらい来場されるか見当がつかなかった。
親方は、それほど来ないでしょうとおっしゃってましたけど、早くから問い合わせの電話がたくさんあった。
こちらとしては力士と見学者、双方にケガのないよう気を遣いました。
それと、親方サイドの要望にできるだけ応えたいというのが競馬場側が留意した点でしたね」
稽古を見学できたのは都合11日間だったが、非開催日の3月2、3、4日は
朝9時から13時まで無料開放にした。
2日土曜日は延べ1600人が来場し、見学時間を15分間の入替制にせざるを得なかったという。
年に一度の大阪場所、すごいフィーバーぶりである。
3月7日、本場所初日を3日後に控えた稽古場をたずねた。
第4投票所の1階中央に周囲を木枠で固めた土俵がしつらえてある。
きめ細かい粘土質の「荒木田土」を11トン運びこんで呼出しさん数名で築いた土俵だ。
体がぶつかり合う鈍い音が部屋に響いている。
四股を踏む力士、スリ足、腕立てに励む若い衆がいる。
土俵を囲むように数人の力士が並び、兄弟子が順ぐりに後輩力士に稽古をつけている。
投げられ転ぶ、立ちあがる、突進する、また転ぶ…ゼェゼェと荒い息を吐き、
何度も何度も体当たりをくりかえす。
紅潮した体、乱れた髷、砂まみれの巨体に熱い汗の玉がほとばしる。
テレビで見る稽古風景がそこにあった。
「なにやってンだ!」
「脇が甘い!」
親方の声が飛ぶ。
地方巡業を力士の鍛錬の場とすれば、本場所は力士の登竜門、出世の関門である。
出世のかかった本場所を目前にしているだけに力士全員、場所に向けて気迫もちがうようだ。
ひときわ巨漢の見慣れた力士がいた。
先場所で引退した横綱稀勢の里(現荒磯親方)である。
引退後は部屋付き親方として本場所に帯同、若手の指導に当たっている。
大関高安は時津風部屋に出稽古に出かけ、この日は姿はなかった。
田子ノ浦部屋の所属力士は13名である。高安を除けば全員が幕下以下で、十両も幕下力士もいない。
序の口、序二段、三段目の力士たちに混じって坊主頭の新弟子もいる。
今場所は部屋に所属する行司、呼出し、床山、マネージャーを含め、総勢21名の大所帯。
10時をすぎて見学者がガラス越しに稽古場を取り囲んだ。
ファンの視線はやはり荒磯親方に集中している。
本場所中は夕方になると落ち着かなくて困るという相撲好きは結構多いと思う。
筆者もその一人である。
出走前のファンファーレを聴くとソワソワする競馬ファンと心理状態は同じで、
部屋が園田にやってくるとなったらもう居ても立ってもいられない、
そんな気持をかかえ競馬場に押しかけたファンがほとんどだと思われる。
そんなファンの視線を一身に集める荒磯親方が、動いた。おもむろに土俵に歩み寄り、
仕上げのぶつかり稽古がはじまった。
ぶつかり稽古では、俵の外から勢いをつけて相手の胸めがけてぶつかり、
反対側の土俵の外へ押し出す。
稽古の最後にこういう苦しい突き押しをするからこそ心肺機能や精神力が鍛えられるのである。
荒磯親方に胸を借りたのは三段目の淡路海だった。
四股名のとおり淡路島出身の25歳。まわしをポンと叩いて気合いをいれ、
親方めがけぶつかってゆく。
が、巨漢の親方を土俵の外へ押し出すことができない。圧が足りないのだ。
転んでは立ちあがり、また突進。同じ動作を淡路海は何度もくりかえす。
力のこもった稽古は昼近くまでつづいた。