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クローズアップ ホースマン達の勝負に懸ける熱き想い

座談会「さらば、平成」

 

クローズアップ

 

平成12年~16年 小牧太vs岩田康誠

木村  待ちに待ってたよね。
 
北防  あれはエポックメイキング。凄かった。
 
三野  馬の交流と同時に、騎手がJRAで乗れるきっかけにもなった。
 
竹之上 当時、笠松とか他の競馬場でもJRAとの交流は盛んでしたしね。
    見ていて羨ましい、もどかしいと感じていたと思う。
    で、導入されて兵庫ジュニアグランプリも行われ、でもやっぱりJRAの壁は高いなと思った。
    ところが半年後、サラブレッド初年度世代のダイトクヒテンが若駒ステークスを勝ちましたよね。
 
三野  学(田中学)がなあ。あれはびっくりしたなあ。
 
竹之上 あのとき京都競馬場へ北防さんと一緒に行ってましたね。
 
北防  パドック見てたらダイトクヒテンがめっちゃ良かったんや。
 
竹之上 だから単・複を買って枠連も買った。
 
北防  あれ、みんな当たってたよね。俺も単を持ってたな。
    まさかこんなに早く勝てるとは思ってなかった。
 
竹之上 ダイトクヒテンが勝った平成12年には、リーディング争いで
    岩田と太さんのデッドヒートがあって岩田が初のリーディングを獲った。
    その後、太さんが盛り返しツートップ時代がつづく。
    二人の熾烈な争い、そばで見ていてどうでした?
 
木村  いや、凄かったですよ。
 
北防  あのときのガチンコぶりは、駆け引き一切なしの文字どおり力勝負で…。
 
三野  レース自体が、ほかの騎手ももちろん勝ちにいってるんやけど、
    でも流れがあの二人で作ってしまってるという感じ。
    もう二人のレースになってるという感じがたしかにあった。
 
竹之上 で、ロードバクシンがその翌年に三冠馬になる。
    ところが、そのロードバクシンがアラブのサンバコールに負けちゃった。
 
木村  負けたよね。
 
北防  あれは衝撃やったけど、でもサンバコールという馬は強かったよ。
 
竹之上 タケちゃん、自分が乗ったアラブでいまでも憶えてる馬は?
 
木村  う~ん、あれやね。ガバナマイウェー。初重賞(アラブ優駿)を獲った馬。
    泣きましたよ(笑)。
    吉田さんがインタビューしてくれてね…うれしかったな。
 
竹之上 当時のアラブは本当に強かったと思う。
    ニホンカイユーノスなんてね…。
 
木村  それにエーランボーイ、ヤングメドウ。
    ぼく、結構、森澤厩舎の馬に乗せてもらってますもんね。
    ヤングメドウの2400mのレースで、馬がグイグイ行く。
    どうやって引っぱろうかと思った。森澤先生から言われましたよ。
    「まだまだやな…」。折り合いが大事やなと思ったのはあの馬に教えられてからです。
 
三野  アラブのほうが馬力的には強かった気がする。
 
木村  攻め馬もちがうしね。アラブ馬は全体的に丈夫やった。
 
北防  アラブで一番強いと思ったのは、ぼくはニホンカイユーノスやな。
    サンバコールの決め脚は相当やったけど、レースのうまさでいえばユーノス。
 
竹之上 そんなアラブの時代があって、アラブ単独の最後のレースが平成16年。
    ここでひとつの時代が幕を閉じた。
    と同時に、この年に小牧太、赤木高太郎がJRAに移籍しました。
    赤木高太郎はいま飲食店のオーナーになんですよね。
 
木村  こないだ行ってきました。全然変わってない。そのまんま、若い若い。
 
三野  京都・祇園やろ?
 
木村  そう、祇園の店。一緒に5時まで呑んだ。
 
三野  呑むなあ、こいつは…(笑)

 

クローズアップ

 

平成17年~20年 木村初リーディング・JBC開催

竹之上 1230m競走がこの年(平成16年)に導入されました。
    どうでした1230m?
 
木村  なんか知らんけど、よう躓いたな。気をつけても何してもあかん。
 
三野  上っすべりするんや。
 
木村  でも、1230mができてファンの人たちはうれしかったんじゃないですか。
    一番近くで見れて迫力あるもんね。
    レースをもっと作ればいいのにって言われる。
    ファンからすればああいうの見たいもんね。
 
竹之上 翌17年になると難波場外の発売がスタート、売り上げは大きく伸びました。
    難波場外の開設は大きかったと思います。
    アラブの在厩馬がゼロになったのもこの年でした。
    翌平成18年、岩田がJRAに移籍して、その年リーディングになったのが木村健騎手。
    おめでとうございます。
 
全員  (拍手)
 
木村  いや、よう獲れたなという感じでしたね。
    まだそのときはガムシャラに乗ってた時期で、技術面もそんなになかったもんね。
    追い方を見ても、なんやねんって感じやったと思います。
 
北防  そやけど、あの元気さがよかった。
    成績面でも徐々に上がってきて3着が2着に、2着が1着にと目に見えて伸びていった。
    そうなるといい馬も集まってきて成績が上がっていった。
    木村健はなるべくしてリーディングになったと思ったね。
 
三野  彼のあのスタイルがね、いまだにファンの人気、支持率では圧倒的に高い。
    グッズの売り上げをみても圧倒的に木村なんや。
    いまでも木村なんや。
    ファン人気という点では木村健という男は圧倒的なものがある。
 
竹之上 タケちゃん、この年、アドノス7が登場してます。
 
木村  ああ、あれね。知らん間に消えたよね。
 
竹之上 タケちゃんをリーダーに7人の独身騎手を集めたアイドルユニットでした。
 
三野  ファン用のうちわ、それにカレンダーも作ったよね。
 
竹之上 その翌年には馬インフルエンザが起こって7日間の開催中止。
 
北防  7日間の中止といっても日にちにすれば20日間ほど競馬がなかったから、
    結構大変やったな。
 
三野  馬運車の出入りや俺らの車の出入りも、すべての車両のタイヤを消毒した。
    菌を拡散させないように。
 
竹之上 この年のリーディングが田中学。
    ここから木村・田中時代がはじまるわけやけど、どうでした?
 
木村  やっぱ悔しかったね。獲り返さないとあかんという思いが…。
    二人とも同じ思いで、一緒に呑んだりしてた仲やから。
    「こんど負けへんでェ」って言い合ったりして。
 
北防  お互いにリスペクトし合ってる仲やったもんな。
 
竹之上 きっちり獲り返したのが次の年(平成20年)ということになります。
    そしてこの年、11月にJBC開催。
 
北防  あのときは凄かったでェ。
 
竹之上 この年の平均入場者数が4377人。
    それが2万人はいったからね、盛り上がりは凄かった。
 
木村  あのときはアルドラゴンに乗ったね(JBCスプリント3着)。
    それから最終レースでバンバンバンクで一気に捲って…喚声が凄かった。ワァーワァー!
 
北防  俺はテレビ中継が入ってたから外で見てないねん。
    それだけが心残り。ホンマ、見たかったなあ。
 
三野  (平場スタンドが)真っ黒やったもんな。
    上から見下ろしても地面が見えへんぐらい入った。
    それにゴール前のどよめきが…。
 
北防  もういっぺんやりたいよなあ。
 
後編(6月号)へ続く…。

 
 

文 :大山健輔
写真:斎藤寿一

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