忠明師には開業当初からめざした一つの理想のカタチがある。
全スタッフ(厩務員8名)一人ずつにオープン馬を用意するということ。
7年目の今年、それが現実のものとなった。
「スタッフ全員がA1クラスの馬を担当するようになったことで、
自然と作業も丁寧になってきますし、(馬を看る)感性も優れてきます」
大役を任されたことでスタッフそれぞれの意識が高まったこと、
技術力も感性もアップしたことが重賞制覇のバックボーンを
成しているのは間違いない。
勝ち鞍は一昨年78勝(ランキング3位)、
昨年76勝(4位)とレベルアップしている。
年間60勝と定めていた目標設定にいまも上積みはないという。
「60勝という目標は変わらないです。
いまの馬房数(32馬房)で年間60勝でいいと思ってます。
獲得賞金1億円というのは目標としてありますけど、
勝ち鞍をふやして100勝をめざそうとは考えてないですね」
最近になって気づいたことがある。
調教師である自分とスタッフとの間の微妙な温度差である。
この馬を勝たせるため、重賞を獲るために厩舎の人間は全精力を
馬に注いでいると考えていた。が、それは間違いだったのだと。
「馬を勝たせるために仕事をしていると、ずっと思ってました。
でも違ってたんです。
家族があって子どもがいて、家庭のために仕事をしてる厩務員がいる。
お金がほしいから仕事をしてる人もいるわけじゃないですか。
それに気づかなかった。ぼく自身、馬を勝たせるためだけにずっと厩舎にいた。
馬のために生きてるみたいなところがあったんです。
まわりのスタッフもてっきりそうだと思ってた。
ようやくそのことに気がついたんです。恥ずかしながら…」
そのへんはスポーツでいうところのチーム競技のむずかしさに似ている。
先頭に立って独りで旗を振るだけではどうにもならない。
そのことに気づいてからは「みんなが良ければ(ランキングが)3位でも
いいかと思うようになった」という。
そして忠明師は、スタッフとの温度差は必要なのだ、とも認識するようになった。
しかし一方で、「ランキング3位で重賞8勝してる厩舎があるか、
スタッフみんなのおかげやからな。
とりあえず、あと重賞2勝しよう!」と全員に言葉をかけ、
士気を鼓舞することも忘れてはいない。
重賞ローテでいえばジンギは楠賞へ、ニシパは園田金盃へ、
さらに兵庫ゴールドトロフィーへと重賞戦線がつづくだけに
年間10勝を達成する確率は高い。
「年間10勝というのは、かつてうちの父親がやってるんです。
オオエライジンのいた時期に、ちょうど10勝してる」。
忠明師が”あと2勝”にこだわる理由がそれでよくわかった。
「重賞だけが競馬じゃないといわれたらそのとおりなんですけど…
だけど、園田の重賞、全部獲りたいですよね」。
これから何十年とつづく調教師人生、
その長い道のりの集大成として全タイトルを制覇したい、
と野望を秘めているところはまさしく重賞請負人である。
かつて忠明師は、厩舎運営に関して
「営業から厩舎管理、経理まですべて一人でこなしている。
そうしないと仕事の全容がつかめないから」と言っていた。
厩舎がここまで成長した現状では、
さすがに一人ですべてを管理するのはむずかしいと理解したのだろう。
厩舎管理は調教助手に一任し、経理面は妹さんに任せている。
で、自身は何をしているかというと、
やがて厩舎から巣立ってゆく次世代の調教師たちのために、
馬主たちとのつきあいを深めているのだという。
軽妙洒脱な人柄と懐の深さで多くの競馬関係者から一目置かれた
父親・橋本忠男師のDNAがジュニアにも受け継がれている。
幅の広い、分厚い人間力といったものを忠明師からも感じとれるのである。
「まあ、こうやって重賞を勝たせていただいて、
ある程度自信もついたんですけど、やっぱりね、
JRAの馬たちと勝ち負けできる質の高い馬、質の高いスタッフを育てあげたい。
ぼくは全然、諦めてないんで。JRAのG1で闘うという夢を…」
JRAの育成牧場で修行を積んだ経験をもつ忠明師にとって、
それはけっして絵空事ではない現実味のある到達点なのである。
「この夢だけはずっと持ちつづけてきたので、諦めずに追いかけていきたい」。
感情のこもった、力強い言葉だった。
重賞馬でとくに思い入れの強い馬はテツ(牡3)だという。
セリ市で自分の眼でこれだ、と決めて購入してもらった馬だけに
金沢での勝利(MRO金盃・7月)は格別だったようだ。
「1400頭ほどの馬の中から自分で選んで、予算はオーバーしましたけど、
なんとか手に入れられた馬でしたからね」。
今年の重賞勝ちナンバーワンの喜びをこの馬がもたらしてくれた。
そうして今年のセリ市で購入したヘニーヒューズ産駒の牝馬。
来年7月ごろデビューするであろうこの若駒にも大いに期待を寄せている。
4年前に勇退した忠男師から馬に関するアドバイスを受けることも
たびたびあるらしい。
「この職業、やればやるほど奥が深くて、わからないことがいっぱいある。
父親からは馬のつくり方で怒られることもあります。
なんや、あの馬のつくり方は!って。
電話が掛かってくるんです。
古い人間なんで、いまの教科書に載ってないことをいろいろ知ってるんですよ。
父親が元気なうちに学べるところはもっと学べればと思ってます」
入門当初から父親を師匠と位置づけ、尊敬し、
勇退したあとも素直に意見を聞く姿勢をもちつづけている、
その柔軟性とリスペクト精神が伝わってくる。
「(管理する)1頭1頭の馬のためにという気持をずっと忘れずに持ってるんで。
A1でもC3でもそうですけど、この馬を無事に走らせるためには
何をしなければいけないか。
そのことを深く考えてやっていきたい」
43歳。
“チーム橋本”を束ねる若き調教師の夢と野望にエールをおくろう。
重賞10勝は目前だ、父親を超えろ! JRAをあっと言わせろ!