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クローズアップ ホースマン達の勝負に懸ける熱き想い

ありがとう、吉田勝彦アナウンサー。

吉田節フォーエヴァー

 

クローズアップ

 
 1月9日という日は吉田さんにとって、
これまで経験したことのない長い長い1日であったにちがいない。
 
 競馬の主役は馬と騎手、実況アナはあくまで黒子、
黒子に徹し騎手を男前にするのが務め…
それを信条にしてきた人が、この日ばかりは自分にスポットライトが
当たるのを覚悟している。自分はそんな人間か!? 何様でもあるまいし。
スポットライトを浴びるに価する人間なのか!?
そんなふうに悩み、とまどい、困惑している。
つまりは複雑な心模様をかかえた1日だったのである。
 
 地方競馬とともに歩んだ歳月は64年におよぶ。
ラジオドラマの声優を志し、関西芸術アカデミー放送研究科に通っていた
18才のとき、それはアルバイトとしてはじまった。
 
 昭和30年の長居競馬場。日給210円(時給じゃないよ)、
べつに30円の交通費が支給された。
以前、筆者は長居競馬場の初実況のときのことを訊いたことがある。
7頭立てのレースで、出走した7頭の馬名はいまでも諳(そらん)じて言える、
と7頭の馬の名前をスラスラ並べる吉田さんを見ていて呆気にとられたものだった。
たしかな記憶力に舌を巻いた。
 
 長居にはじまり、春木、園田と実況の場は移ってゆくのだが、
どの競馬場にも手本となる実況アナはいなかった。
時代はまだそこまで成熟しておらず、レース実況そのものが黎明期だったといえる。
だから、すべて我流だった。
我流のなかから”吉田節”といわれる競馬実況の新境地を切り拓いてきた。
64年と100日、約9万レースの金字塔を。
 
 この日、いつもがそうであるように序盤のレースを吉田さんは実況した。
1R、2R、5R、6Rの4つのレースである。
兵庫県競馬組合は最終12レースを「お疲れさま吉田勝彦アナありがとう記念」
と銘打ち、ご本人に実況してもらい、はなむけとしたいと考えていたようだが、
吉田さんはかたく辞退したという。
この人らしい処し方である。したがって第6レースが現役最後の場内実況となった。
全馬がゴール板を駆けぬけ実況を終えた直後に、予期せぬことが起こった。
 
 いや、だれもが予期していたことだったかもしれない。
メインスタンドにいた多くの観客が3階の実況席に向かって
いっせいに拍手をおくったのである。
最後の吉田節ありがとう、お疲れさま、の大拍手である。
こんな光景が競馬界でいまだかつてあっただろうか。
名馬、名騎手の引退ではないのだ。前代未聞のハプニングであり、
サプライズだった。
吉田さんは高い場所から下の観客に向かって、感謝の礼を何度もくりかえしていた。
 

山口瞳さんから教わったこと

 

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 そうしたファンへの感謝の気持をこめて、サイン会が2時半から開かれた。
これも吉田さんだから成立する催しである。
並んだ人の数は、ざっと200人。
カメラやスマホを手に、色紙を用意して行儀よく順番を待っている。
吉田さんは、そういうファンの一人ひとりと丁寧に接し、
色紙に「園田実況ひとすじ 吉田勝彦」と筆を走らす。
自分の番がくるとプレゼントや花束を差しだす人、伝えたかった想いを告げる人、
聞きたかった質問をする人…いろんな人がさまざまな想いを伝え、
礼には礼でもって吉田さんはこたえてゆく。
 
 1人に2,3分は要しただろう。サインをもらったファンの一人が言っていた。
「ものすごく丁寧にやってはります。あの人の人柄ですね」
通りがかったおじさんがサインしてる姿をみかけ、
「永いあいだ、ありがとう!」と声をかけた。
その声に吉田さんは言葉をかえす。「生意気なことして、ゴメン」。
サイン会なんかやってる自分が照れくさくて仕方がない。
何様でもあるまいしという思いがまたも頭をよぎる。
 
 3時50分になった。この日のメインレース「園田クイーンセレクション」の
発走時刻になっても、まだ列に30人ほどが並んでいる。
この調子だと最終レースまでかかりそうだ。
全レース終了後には引退セレモニーをひかえているので、
関係者が判断してサイン会はここで打ち止めということになった。
残った人たちとは握手と記念撮影のみ。
こうして予定を30分オーバーしてサイン会は4時すぎに終了した。
 

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 吉田さんのラストショーに駆けつけた人たちは園田の常連ファンだけではない。
東京からも多くの吉田信奉者、競馬関係者が顔を揃えた。
タレントの山田雅人がやってきた。講談師の旭堂南鷹の顔もあった。
園田出身の小牧太、岩田康誠も、むろん駆けつけた。
6年前に亡くなった藤本義一氏も園田の空から笑みを浮かべながら見つめていたと思う。
 
 4時45分、中央ウイナーズサークルで引退セレモニーがはじまった。
壇上に立った吉田さんの第一声は、
 
 「こんにちは、吉田です…」
 
 集まった観衆から柔らかい笑いが起き、瞬時に空気がなごむ。
うまいもんだなあ。
 
 「わたしがこの競馬の世界に入りましたのは64年前、昭和30年。
あのとき、競馬のことなんかなにも知らなかったわたしは、
朝早く起きて、調教が終わった廐舎に行って、馬の手入れをするのを
見よう見まねで手伝ってきました。
(中略)
競馬のレースの実況は先輩アナウンサーから教えてもらうんではなくて、
馬と騎手に教えてもらうものというふうにそのときからずっと思いつづけてきました。
だから、わたしの実況というのはまったく我流なんです。
藤本義一先生は、我流も極めれば一流なんやから胸をはってこれからも頑張りや、
と言ってくれました。
 

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