1998年から兵庫県競馬で
実況をスタート。
今年で22年目を迎える。
これまで、ラジオなどの
メディア出演や、
JRAや場外発売所施設などでの
イベントにMCとして数多く参加。
家族構成は、妻、二男、一女。
体内構成は、酒、競馬、子育て。
Twitter:@tsuguo_sonoda
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ブログ
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新型コロナウイルス感染拡大防止のため、取材に規制がかかっている。
取り上げる人物に時間を空けてもらい、
じっくりと向き合って話を訊くなんてことは、
いまはできないことになっている。
まったく、どうなってしまったんだこの世の中は…。
と、そんなことを言っていても仕方がないので、
今月は竹之上次男が、まさかのセルフインタビューを敢行!
ぼくの見つめる先など、一体だれが興味あるのだろうと
思いながらのクローズアップの記事。
どうぞご覧ください!
ありがたいことに50歳を迎えることができました。
キャリアとしても22年目、
もうちょっと頑張ろうかと思っています。
ぼく自身、60歳まで実況ができればいいかなと思っています。
いや、60歳までと言うのもおこがましい話で、
させてもらえることが決まっているわけではないですから、
そこまでできるように頑張りたいなと。
声も良い状態がどこまで続くのか分からないし、
ケアはしっかりした上で、
60歳まで元気に実況できればと思います。
ただ、10年後のことは誰にも分からない。
いまのコロナ禍で、ほんの数ヶ月先も見通しが立たない
状況が続いています。
数年もしたら世界が大きく変動しているのかも知れないですから。
競馬場が実況アナウンサーを必要としなくなる可能性だってある。
例えば、無音でレースの映像を流して、
実況は我こそはと思う喋り手たちがインターネット上でライブ配信をして、
聴く側がお気に入りの実況者をチョイスするという
未来があっても不思議ではない。
そこに抗い続けて60歳までやりたいと考えているわけではありません。
でも、その実況者の中には割って入ろうとは思います。
そうなっていたらの話ですが…。
あの人は別格です。
81歳まで競馬実況アナウンサーとして現役でいられた
ということは本当に凄いこと。
吉田さんの何が凄いかと言うと、まず健康であるということ。
目を患って右目の視力を失いながら続けて来た
というのは有名な話ですが、
それ以外は大病したというのは聞いたことがない。
そして、何より歯が丈夫であるということ。
一本か二本は入れ歯があるかも知れませんが、
殆どがご自身の歯。コレ実は意外に重要なことで、
高齢になっていながら現役を続ける有名芸能人もいらっしゃいますが、
その多くは自身の歯が少なく、言葉に明瞭さを欠くことが多い。
どうしても息が抜けるような感じに聞こえてしまう。
その点、吉田さんは明瞭で、いまでも言葉がハッキリしている。
実況はさすがに瞬発力を求められますし、
厳しくなってやまめしたけど、語り部としては健在で、
講演活動なんかすればすごく人気になると思いますよ。
ただ、本人はすごく嫌がってやりたがらないですけど(汗)。
1998年10月12日、緊張の中
その日の第1レースを実況させてもらいましたが、
意外にも吉田さんからまずまずの評価をいただいたのです。
まぁ、なんとか喋れたかなぁって感じでしたね。
それでも、調子に乗って4レースぐらいまで実況したと思うのですが、
あとはもう全然ダメでしたね…。
初めて喋ったレースは落馬があり、
11頭立てのしんがり人気サンユウラピート(長南現調教師騎乗)という馬が
勝って波乱になったことなど、緊張を忘れさせてくれる事象が
次々に起こったことがよかったのかも知れません。
とはいえ、いまその実況があるとするなら、聴いていられないですよ。
現在のようにすぐにネットで検索できるところになくて
よかったとつくづく思います。
これからデビューする新人(鈴木セイヤ)アナウンサーは、
すべてが検索される中で喋るわけですから大変。
また最近のファンの皆さんは耳が肥えてらっしゃるから、
気が休まらないのではないでしょうか。
どうか皆さん、温かく見守ってやってください。
当時はまだまだネット社会がしっかり構築されていなかったことを
ホントに感謝します。と同時に、たった20年ほどの間に
これほどまでネット社会やメディア環境が変わるとは
思いもしませんでした。
ちなみに、吉田さんはデビューの地、
長居競馬場で、最初の実況はその開催のオープン『貝塚市長賞』だったそうです。
さすがや。