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クローズアップ ホースマン達の勝負に懸ける熱き想い

楽しいを提供したい、共有したい

PROFILE

三宅(みやけ) きみひと
1980年3月21日、大阪府生まれ。
 
園田・姫路競馬の場内実況の他、
毎週日曜にラジオ大阪
「OBCドラマティック競馬」で
中央競馬実況中。今年2月に
競馬実況通算10,000レース到達。
他にJリーグ、Bリーグなどの実況も。
 
獣医師免許を活かし、辻調理師専門
学校で「食品の安全と衛生」の
非常勤講師も務める。
今年3月、40歳を機に個人事務所
「きときとヴォイス」を設立。
 
趣味:馬券(穴党)、ゲーム(SLG)、
城巡り、天体観測
特技:4着になる人気薄の馬に
本命を打つこと

 
Twitter: @kitovet
Instagram: @kimihito_miyake
>YouTube

 
兵庫県競馬関係者の生の声をお届けする
毎月恒例の「クローズアップ」記事。
園田競馬場でも新型コロナウイルス感染拡大防止策が取られ、
3月から取材ができない状況が変わらず続いている。
 
騎手や調教師の皆さんとも、たまたますれ違った際に
挨拶を交わすだけという寂しい状況。
しかし、新規感染者も経時的に減少し、
その結果ついに緊急事態宣言も全て解除された。
出口の光がわずかに見え始めた感じだが、
それでも油断することなく引き続き感染症対策はしっかり取りながら、
園田競馬場にファンの歓声が1日も早く戻る日を待ちたい。
 
先月の竹之上次男アナウンサーのセルフインタビューに続き、
今月も実況アナシリーズ。
私、三宅きみひとの自分語りにお付き合いいただければ幸いです。

 

クローズアップ

 
私三宅が園田・姫路競馬の実況陣に
加わらせていただいたのが2010年11月。
当時所属していた事務所の社長からかかってきた
突然の電話から全ては始まった。
 
「園田競馬実況の吉田さんから連絡があり、
新たに場内実況のアナウンサーを探しているそう。
『三宅君はうちを手伝ってくれる気はないかな?』
とのことだけどどうだ?やる気はあるか?」
私にとってはまさに僥倖だった。
二つ返事でオファーをお受けし、
もうその翌日から園田競馬場に通い続ける日々が始まった。
 
当時私は30歳。
その後に兵庫を代表する名馬へと駆け上がることになる
2歳のオオエライジンが兵庫若駒賞を勝った直後のことだった。

 

クローズアップ

 

遡れば、元々私は大阪市の公務員として仕事をしていた。
食肉の安全衛生に携わる業務をやりながらも、
高校生の時から抱いていた「大好きな競馬に携わる仕事がしたい」
という夢を諦め切れなかった。
趣味でやっていた“競馬実況”でプロにはなる道はないものかと
アナウンススクールに通い、そして思い切って人生の舵を切った。
2008年のことだった。
 
安定安泰の公務員から不安定極まりない世界へ・・・。
当然年収は激減し、メイン収入はアルバイトという日々が始まった。
それでも一歩一歩頑張っていけば
必ず認めて貰える日は来るはずだと大きな夢を描いていた。
 
ところが・・・。
「1000人いて1人残るか残らないかの世界や。甘く見過ぎ。」
「大人しく公務員やっておくのが身のためやで。」
「ちゃんと現実見た方がいい。」
事務所の社長に連れて行っていただいたある関係者の飲み会で
寄って集って言われた言葉が今でも耳に残っている。
酔っ払っていたからこそ出た偽らざる本音だったのだろう。
幾千もの実況者やタレント、司会者を見てきたであろう
番組制作に携わる人達の言葉だけに結構重みがあった。
 
ただただ自分の無力さが悔しかった。
でも、将来が不安になったというよりも、
「絶対に上手くなって見返してやる!
1000人に1人というならその1人になってやる!」
そんな反骨心が生まれた。
この時の悔しさは今でも決して忘れることはできないが、
「プロの世界は相当に厳しい」ということ実感できたという意味では
決してネガティブなものではなく、今ではいい経験だったと言える。

 

クローズアップ

 

福岡県の博多から南へ向かって電車に揺られること1時間少々。
県境を跨ぎ、熊本県に入ってすぐの荒尾市に荒尾競馬場はあった。
バックストレートの向こう側がすぐ有明海という
全国でも有数の風光明媚な競馬場で、
天気のいい日は有明海を挟んで長崎の雲仙岳、多良岳が
くっきりと見え、夕日が有明海に沈む様はまさに絶景。
そんな荒尾競馬場が私の実況デビューの地だった。
 
以前から荒尾競馬の実況は関西在住の実況アナ数人で
ローテーションを組んで回していたのだが、
そこに私も加えていただけることになった。
12/29~1/1の年末年始4日間連続開催、
先輩アナに同行して1日の仕事を学び、現場で実況練習をしていたが、
その最終日2018年元日の第2レースで実況デビューを果たした。
7頭という少頭数にも関わらず、誰もが驚くアクシデント三昧だった…。
 
まずは、全馬ゲートイン完了の瞬間1頭がゲートを突き破る
フライング発走をしたため発走が5分遅れに。
今度は無事にスタートを切り、直線半ば4頭横一線となる激戦を
なんとか喋り切ってゴールを迎えたが、すぐに“審議”ランプが点灯。
当時の荒尾は6~8頭立ての少頭数がほとんどで、
審議になること自体まずなかったのだが…。
15分にも及ぶ審議の結果、降着まで発生。
 
荒尾では直近の5年間でたった1度しか起こっていなかった
という降着を実況デビュー戦でいきなり引き当ててしまう
強運?悪運?ぶりを披露してしまったことが懐かしく思い出される。
そんな波瀾万丈のレースが実況人生の始まりだった。

 

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