「ハナを切りさえすれば、折り合いも心配ないですし、
距離は問わないです。
これまでもそうですが、いろんな距離を使ってるでしょ」
確かにこれまで1230m、1400m、1700m、1870mと
勝ったレースの距離はバリエーションに富んでいる。
デビュー当初から「ソコソコはやれる力はあると思っていましたが、
馬がまだユルくて、どれぐらいの仕上がりになるかなと思っていました」
と当時を振り返った。
最初からビシッと仕上げていかないのが碇流。
「使っていきながら成長を促していきます。
そして、できたらダービーにいい状態でたどり着けたらいいなと思っていました」。
直前はビシッと仕上げ、
理想通りのかたちでダービー当日を迎えることができた。
「ハナに立ち、自分の競馬さえすればいい結果が出るだろうと思っていました。
さすがに勝つとまでは考えてはなかったですけど(笑)。
ステラモナークだけでなく、
イチライジンやピスハンドという強い馬もいましたからね」
碇師はレースのときに調教師ルームから見守るのではなく、
ゲートに立ち会うことが多い。
うるさい馬や、ゲート難の馬などが出走するときに出向くのだ。
「騎手からお願いされることがあると、
他人に頼むより自分で行って対処する方が納得がいくので」という行動派。
『兵庫ダービー』当日もゲート裏から愛馬を送り出した。
1870mのゲート地点でハナを奪い、
自分のかたちに持ち込めたこと確認して、あとは杉浦騎手に託して結果を待つ。
ゴールのシーンはちょうど正面から見る格好になる。
遠近感が取りづらく、勝ったか負けたかは判断しにくい位置から見つめた。
「ぼくらは騎手の手の動き、身体の動きで判断するんです。
それを見て、なんとか勝ったんじゃないかなとは思っていました」
逃げるディアタイザンに詰め寄るステラモナーク。
最後は1/2馬身差の際どい決着を、真正面から観て判断できていた。
その後に杉浦健太騎手のガッツポーズで確信に変わったのだという。
「重賞を勝てたという嬉しさはありましたけど、
ダービーだからという特別なものはなかったですね。
あとからダービートレーナーと言われて嬉しくなったかな。
でも調教師というのは重賞でも一般のレースでも勝てば嬉しいもんですから」
と言いながら1着賞金が2000万円に跳ね上がったことについては
「大きかったよぉ!」と茶目っ気たっぷりに笑ってみせた。
「ダービートレーナーになるのは何かの縁があるのか、誰かが力を貸してくれたんか」
と見えない何かが後押ししてくれたようにも感じていたようで、
やはりダービーには特別なものという意識はあったようだ。
デビュー当初からスタートが速かったディアタイザン。
ところが一戦、二戦と消化していくと段々遅くなっていったという。
年末の『園田ジュニアカップ』の頃にはかなり遅くなっていた。
「疲れがたまっていたのだと思います。
だから放牧に出してリフレッシュし、
その後に坂路調教をしてもらうとダッシュ力が戻りました。
成長期と疲れが抜けたのがちょうど重なったのもあるでしょう。
いまも放牧に出していますが、実際帰って来てからの成長は分からない。
それでもまだまだユルさを残している馬ですから、
まだまだ伸びしろはあると思っています。」
と奥の深さに期待をしている。
「まだ一生懸命に走っていないんですよ」とダービー馬になってなお、
全力でないというのだから秋以降が本当に楽しみだ。
気になる今後のローテーションを訊いてみた。
8月末ころに帰厩してその状態次第と前置きしたうえで
「どんな距離でも対応できますし、
輸送に関してはやってみないと分らない部分もありますけど、
遠征も考えて行きたい」とプランを明かしてくれた。
3歳限定重賞は園田では『園田オータムトロフィー』(9月3日・1700m)、
『楠賞』(11月4日・1400m)。
他地区では笠松の『西日本ダービー』(9月10日・1900m)、
名古屋の『秋の鞍』(10月12日・1400m)など
目標にするレースが数多くある。
しかも、距離の守備範囲の広い同馬にとっては全てが選択肢に入る。
碇師は、3歳重賞ももちろん視野には入っていはいるが、
秋の大目標として『園田金盃』(12日9日・1870m)を狙う
という古馬を含めた頂点を狙うというプランがある。
「強い馬と闘って、馬は力をつけていくのだと思う。
すぐには通用しないかも知れないけど、挑戦は大事。
だから高い目標を見据えて強いところにぶつけていく。
馬も人間と一緒で、目標を持たないといけないんじゃないかな」。
馬自身が目標を持つというわけではないが、
強い相手と闘うことで気が付けば高みに上り詰めているイメージか。
「負けてもいいから、馬が最後まで一生懸命食らいつくレースを
してくれと騎手には言うんです。負けるのはしゃーない。
食らいついていくと馬が力をつけていって、
いずれ強い相手にも対応できるようになる」。
なるほど、馬にもこれくらいでいいと思わせないということか。
「ぼく自身も目標を持ってこれまでやってきた。
曽和さんや橋本(忠男)さんたちを負かしてやろうという気概で頑張った。
それでもあの人たちは凄かったですけどね。
バイタリティーが違う。あそこまではなかなかできない」
そんな先輩たちが引退して、気が抜けたような時期があったという。
そんなときに奮い立たせてくれた同期生だった。
「あのころは同期で多くの調教師が誕生したんです。
だから負けたくなかった。
亡くなったけど野田学は年間100勝を挙げる活躍をした。
あれは凄いと思った。鴨林も亡くなってしまって寂しく感じましたね。
だからね、住吉や保利良治も同期なんですけど、
お前は死ぬなよって言ってるんですよ。
やっぱり負けたくないし、張り合いがなくなりますから」
同期を意識しながら、ディアタイザンとともに大きな目標に向かっていく。