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クローズアップ ホースマン達の勝負に懸ける熱き想い

実は愛嬌があるんです

 

登竜門出身の鳴り物入りデビュー

愛知県岡崎市出身で生まれ、父親は大工。
競馬とは無縁の家庭に育ったが、なぜか競馬に心酔していった。
 
「元々、3歳ぐらいの記憶がないころに、
自分で勝手にテレビをつけて競馬を観ていたんです」と語る
永井孝典騎手は、今年で5年目を迎える若手ジョッキー。
 
なぜか分からず観ていた競馬。
その後に馬に乗りたくなり、
騎手なりたいという思いを抱くようになる。
 
「父親に競馬場に連れて行ってもらい、
その後に乗馬をさせてもらうようになりました。
ジョッキーになろうという思いは小学校2年ぐらいからありましたね。
夢を絵に描くという課題が学校であって、
毎年騎手の画を描いていました。
珍しいからか2回ぐらい賞を獲りましたよ(笑)」
 
2011年の第3回ジョッキーベイビーズ、
当時13歳だった永井少年は全国各地の予選を
切り抜けてきた強豪相手に2着と大健闘の走りを見せた。
 
「東京競馬場で走ったことは、とにかく広いと思ったし、
楽しかった。いま行くと感覚が違うでしょうけど、
当時はとにかく楽しみしかなかったですね」と
当時は怖いもの知らずで、大舞台でも怯まぬ度胸があった。
 
ちなみに、毎年行われるこのイベントからは
第1回大会で5着だった木幡巧也騎手、
第5回優勝の斎藤新騎手など、
JRAで7名がデビューを果たしている。
海外でデビューをした騎手を含め合計9名が騎手となった。
いまやプロ騎手への登竜門という地位を築いていると言える。
 
永井騎手もJRAの競馬学校を受験したが不合格。
本人によると「面接で喋るのが苦手だったので、
それが理由じゃないですか。いまよりももっと苦手だった。
上手に自分を表現できなかったですね」と振り返った。
 
確かに、あまりしゃべりが上手という印象はない。
それでも、いまの若い人たちはしっかりしていると感じる。
筆者が同じ年代の頃は、自身の人生目標もなく、
自分を表現できていたとは思えない。
その後の彼の成長を考えると逞しく育っているので問題ない。
表現力はこれから身につければいい。

 

クローズアップ

 

新人記録を樹立

永井騎手がデビューした年に挙げた33勝は、
当時の兵庫県新人記録。
大先輩田中学騎手を抜いての記録だった。
登竜門をくぐった鳴り物入りルーキーは、
その呼び声通りの活躍を見せた。
 
しかし、翌年から減量騎手の規定が全国統一され、
減量が大きくなったルーキーにはより有利になった。
その結果、翌年デビューした石堂響騎手が44勝を挙げて、
あっさり記録を更新されてしまったのだ。
 
「これが同じ規定で続いていたら良かったけど…」
と言うが、騎手となってから憧れを抱いている
田中学騎手の記録を破ったことは間違いないことで、
存分に誇りに思っていい記録だ。
 
「規定が変わって、また減量が復活したのもあって、
一時は成績が上がりました。
でも減量が取れてからまた成績を落としていて
浮き沈みが激しかったです。
今年はなんとか50勝ぐらいはしたいと思っています」
 
今年は8月終了時点で27勝。
昨年の30勝まではあと3勝、
キャリアハイの45勝をクリアするのも十分に可能な状況だ。
 
「いまの段階で27勝は決して悪い数字ではないと思っています。
でも1回のミスを引きずってしまうところがあるんです。
意識しているつもりはないですけど、
全く勝てないのが続くときがある。
いいときは自分からどんどん積極的に行けるのですが…」。
どこかで守りに入っているような騎乗になっていて、
攻められていないと感じているようだ。
 
「自分のスタイルは学さん(田中騎手)のようにしたいと
思って乗っています。
そんな学さんに『お前の乗り方は好きや』
と言ってもらえることがあるんです。
そう言われると、近い乗り方ができているのかなと嬉しくなります。
でも『考えが足りずにレースセンスもない』とも言われます。
馬乗りはいいけど頭が悪い…。
レースセンスはないのかなぁと思います」
と少し自虐的にもなるが、認めてもらえていることは素直に喜ぶ。
 
「レースで気を遣ってしまっています。
デビュー当時にガツガツしていて怒られたことを
引きずっているのかも知れません。
最近は怒られないように加減を考えてしまっている」
 
消極的なところが多いのは、他馬に道を譲ってしまう
永井騎手の控えめな性格が災いしている。
その都度、田中騎手から指摘もされている。
それほど目にかけてくれている。
『俺の記録を抜いたからには大成しろ』
と、名手から激励されていると感じ取ろう。

 

クローズアップ

田村厩舎に所属する経緯

 
「ぼくは一年浪人してるんです。
中学を卒業したあと牧場でお世話になっていました。
その牧場のオーナーの弟さんが兵庫県で馬を所有していて、
栗林厩舎に預けていたんです。
その流れで栗林厩舎に入る予定だったのですが、
理(おさむ。下原騎手)さんが厩舎に移って来て
騎手が多くなったんです」
 
ちょうどそのころ、下原理騎手が師匠の寺嶋師の急逝で
所属変更になっていた。
そうなると騎乗馬を確保できないかも知れないという
栗林徹治師の配慮から、田村彰啓厩舎に入ることになった。
 
そんな経緯があったが、
田村師にはとてもお世話になっていると感謝をする。
 
「めっちゃよくしていくれています。
厳しいですけど、相当乗せてもらっています。
攻め馬を20数頭していますけど、うちの先生が
自分のところの攻め馬をほぼ減らしてくれているんです」
 
そうすることによって他厩舎の馬の調教ができ、
騎乗馬確保に繋がる。
田村師は最初からこの考えで永井騎手をサポートしてきた。
 
朝は1時40分から遅いときは9時ぐらいまで調教に跨る。
レースがある日でも概ねこのスケジュールをこなす。
そして全休日はわずか一日だ。
かなりハードな労働環境にあるが、
苦しいとは思ったことはないという。
 
「もちろん朝が早いツラさはありますけど、
苦にならないですね。
馬に乗りたくて乗っているので。
仕事自体は楽しいです」とキッパリ言い切る。

 
 

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