今年デビュー3年目、
1月に月間10勝を挙げる最高のスタートを切った
木本直騎手は5月には早くも1,2年目の年間22勝を超え、
現在キャリアハイを日々更新中である。
ヤングジョッキーズシリーズでは園田ラウンドの第1戦を制して
西日本地区のトップに立ち、
2度目のファイナルラウンド出場に王手をかけた。
今、着実に進歩を遂げている若武者だが決して
ここまで順風満帆に来たわけではない。
まずは騎手人生の幕開けがいきなりの試練だった。
2019年4月11日 園田3R、
森澤友貴厩舎のダイシンクワトロとのコンビで
デビューを迎えることになった木本騎手。
高揚感と緊張を湛えながらの初陣だったが、
パドックから本馬場に向かう途中で馬が突然立ち上がって
人馬共に転倒。馬は負傷し競走除外となってしまった。
木本騎手も左手を負傷して痛みを感じていたが、
「家族や友人が応援に来てくれているのでなんとか乗りたい」
と気力を振り絞って2鞍に騎乗した。
しかし痛みがひどくなり、残り2鞍は騎乗変更、
デビュー日が終わった。診断の結果は、左手首と指の骨折。
1ヶ月半の休養を余儀なくされる重傷だった。
6月に復帰し、33戦目で念願の初勝利を挙げると、
そこから1年目は22勝をマークした。
ルーキーとしては決して悪い数字ではないが、
「今の新人たちと比べると勝ってなかったなと思いますし、
満足のいく結果ではなかったです」と振り返る。
「でも、ヤングジョッキーズシリーズでファイナルラウンドに
行けたのは本当に大きかった。
いつかは乗りたいと思っていた芝で乗れたのは嬉しかったですね」
と早くも一つ夢を叶えた。
尊敬する1期上の岩手・岩本怜騎手(2019 YJS総合優勝)に
レース前後や返し馬の時もべったりくっ付いて、
色んな話ができたことも刺激になった。
2年目に入り、3月までに9勝を挙げて通算31勝に到達。
ここで減量が3kgから2kgに変わった。
その後、4月は1勝のみ、5月は一つも勝てなかった。
そして、6月に保利良平厩舎から森澤友貴厩舎へと移籍する。
毎日15頭くらい調教を付ける中で、
レースに乗れるのはその内の1~2頭だけ。
「そこにさらに怪我されたスタッフの分の攻め馬も
やるようになって正直しんどいな」という思いが募っていった。
相談に乗ってくれた先輩騎手からは
「昔の方がもっと乗せてもらえんかったで」という話も
聞いていたし、くじけずに頑張らないといけないという思いと
精神的に辛い状況の狭間で揺れていた。
「自分が攻め馬をつけている10頭が翌週に
まとめてレースに出る予定だったんですが、
出馬表見たら(騎手は)全部僕じゃなかった。
もうそれが決め手になりました」
と移籍に至った気持ちを包み隠さず話してくれた。
保利良平調教師も騎手出身であるが故に、
その育成方法には独自の考えがあったはずだが・・・
残念ながら20歳の若者とすれ違いが生じてしまった。
今振り返れば、「自分の根性のなさ、
信念がなかったということなんでしょうけど・・・」
と木本騎手は話すが、当時はどんどん騎乗数が減っていくこと
に焦りを感じ、「もう辞めようかな」と辛抱できないくらい
追い詰められてしまっていた。
悩んで移籍先を探していた中で、攻め馬に行かせて貰っている
厩舎の中から森澤厩舎に所属することが決まった。
そして、移籍後すぐに金沢競馬場での短期騎乗に赴いた。
「園田で居場所を失いかけていた中、
気持ちも切り替えたくて、わがままを言って
行かせてもらいました」と振り返る。
騎手が抜けるというのは、攻め馬ができる人材が減る
ということでもあり、それは他の騎手への負担増にも
繋がるため、いつも慕っている騎手会長の小谷周平騎手にも
相談した。今置かれている辛い立場を汲んでくれて、
先輩は快く背中を押してくれた。
今から遡ること6年前、高校1年生の時に競馬と出会った。
両親は競馬の関係者でもファンでもない。
きっかけは高校の友達から競馬の騎手という職業を教えてもらい、
実際に阪神競馬場に見に行ったことだった。
そこで、「馬の上に乗る仕事ってかっこいいな」
と憧れを持ったという。
日に日に騎手への思いは強くなり、
競馬学校の受験を決意したが、
その想いは並々ならぬものがあった。
「騎手になりたいから、高校を辞めて競馬学校を受けさせて欲しい」
と両親に告白した。
しかし、「頼むから高校は卒業してくれ、せめて高校に行きながら
受けてくれ」と言われたそうだ。多くの親がそう諭すだろう。
それでも「後戻りできないよう、自分を追い込みたい」という熱意に、
「あんたが自分から“やりたい”と言い出すのは初めてやから」
と最後は高校中退を許してくれた。
高校1年間、無欠席でとても楽しく通っていたというが、
ずっと一緒に通っていた親友1人以外の連絡先を終業式の時には
全部消したというから退路を断つ決意がどれほど強かったかが分かる。
先生からは「夢見るもの良いけど、学歴社会の現実を見ろ」と言われ、
高校を辞めた後は「なれるわけないのに」と同級生から
バカにされていると人づてに聞いたが、
夢を諦める後悔だけはしたくない一心で
「絶対騎手になって見返してやる」と難関に立ち向かった。
高校2年生になるタイミングで親元を離れて、
まずは千葉にある騎手養成の専門学校に通った。
その後、兵庫に戻り、保利良平厩舎で厩務員やりながら
受験した競馬学校に見事合格を果たした。
専門学校の時にも厩務員時代にも怪我をしてしまったため
ほとんど馬に乗ることができないまま、
ほぼ乗馬未経験で競馬学校に入学。
経験者もいる中でついていくのは本当に大変で、
「辞めずに乗り越えられたのも、ちー君のおかげです」
と話す親友の金沢・兼子千央騎手と励まし合いながら
厳しい2年間を乗り越え、騎手になる夢を叶えた。
「競馬学校に受かってもいない状況で高校を辞めさせてくれた
両親に感謝しています。」
騎手としての生活を送りながら、勉強にも励んで
通信制で高校卒業の資格も取った。
しっかり両親との約束も果たしたのだから立派な親孝行者だ。
騎手を志した時の強い気持ちと騎手になれた喜びを
忘れかけていた2年目の夏。金沢で大きな出会いが訪れる。
金沢競馬場には同期で仲の良い兼子千央騎手がいた。
一緒に乗りたいという思いもあって、
彼を頼って受け入れ先を探したところ、
6月末から金沢・佐藤茂厩舎に所属して、
3ヶ月間の短期騎乗をすることになった。
「佐藤茂先生との出会いが本当に大きかったですね。
金沢で自分自身が大きく変わりました」と目を輝かせた。
「先生は厳しかったですよ。(笑)
勝っても負けても怒られましたけど、
騎手という仕事への態度、人間性を変えてくれました。
先生がいなかったら、腐っていってたと思います。
せっかく騎手になったんだから絶対一流になれ、自分で努力しろ」
と日々発破をかけられて、騎手という仕事の初心を思い出し、
騎手としての矜持を取り戻していった。
メンタル面だけではなく、騎乗姿勢についても考えが変わった。
「自分がいかにしんどくなれるか。
自分がしんどかったら馬は楽。いかに道中で馬に楽をさせられるか。
下手くそでも騎乗姿勢だけは決められる、姿勢だけは決めろ」
という教えを受け、低く綺麗に乗ろうという意識は
園田に戻った今も欠かさず持ち続けている。
騎手人生を大きく変えてくれた佐藤先生は、
木本騎手が勝てば今でもメッセージを入れてくれるという。
今年1月、姫路競馬の開幕日のメインレースを
ステップシュートで勝利した。自身初のA1戦勝利だった。
「道中の姿勢、追い出しのタイミング、追い方、
全て完璧でした、って・・・あの佐藤先生に褒められたって、
本当に嬉しかったですね!」
金沢にも心強い恩師がいる。