兵庫県競馬関係者の思いに迫る毎月恒例の「クローズアップ」。
新型コロナウイルス感染防止対策のため、
依然として表彰式などは行われず、
日々の取材にも一定の制限がかけられている兵庫県競馬。
そんな中、今年の1月最終週、
姫路開催より新たに実況室に加えていただいたのが、
私、木村寿伸(きむら ひさのぶ)です。
皆さん初めまして。
ひょっとすると初めましてではない方も
いらっしゃるかもしれませんが、
新たな環境に身を置いた私は、
遡ること16年前のまだ初々しい新入社員の頃のような
新鮮な気持ちで日々の職務に精を出しています。
普段はインタビュアーとして取材対象者の声を
お届けするのを生業としているだけに、
自分のことを語るのは少々、
いや多分に恥ずかしくもありますが、
「この聞き慣れない声の主は何者ぞ」という
皆さんの疑問に答えるべく、
この場を借りて自己紹介させていただきたいと思います。
私は元々京都で局のアナウンサーをしていました。
正式には京都放送、通称のKBS京都という名の方が
聞き馴染みがあるかもしれません。
2006年4月に入社し、2021年3月末に退社。
丸15年にわたって、中央の競馬中継の司会、実況をはじめ、
報道番組のキャスターやラジオパーソナリティーなど
様々な仕事を担ってきました。
中でも自分にとって根幹となった番組は土曜日の競馬中継。
2011年から「うまDOKI」というタイトルでお送りしており、
今年で12年目になります。
今でこそ土曜日の夕方3時からの1時間のみの放送ですが、
私が入社した当時から2010年までは土日ともに
お昼ぐらいから最終レース終了後(日曜は3〜4時は放送なし)
まで中継していました。
その番組で競馬実況を担当していた、
まさに駆け出しの私は、放送時間大幅削減、
土曜1時間だけのうまDOKIにリニューアルされた時に、
同い年のタレント・安田美沙子さんとともに
キャスターを務めることになったのです。
解説の競馬ブック・牟田雅直さんと3人でスタートした時は、
まだメインのような立場で進行をしたことがほとんどなく、
不安と喜びが入り混じった複雑な感情の中で、
毎週務めを果たそうと必死でした。
番組開始の年は、競馬がスタートして間も無く
東日本大震災が発生し、競馬を行うことの意味そのものや
どのように伝えるべきかなど、
苦悩したことを今でも鮮明に覚えています。
一方で、そんな鬱屈とした空気の中、競馬界に光を
もたらしたのが金色の三冠馬オルフェーヴルの誕生。
新たなスターが新時代の始まりを告げた年でもありました。
そこから10年余り、
局を辞めて現在はフリーで活動していますが、引き続き
中央競馬の仕事はKBS京都で担当させていただいています。
幼い頃より、土日は競馬中継がチャンネルで
固定されている家庭だったので、
それこそ当時KBS京都の競馬中継をずっと見ていました。
競馬を好きになったきっかけは
私がまだ小学生だった頃の1991年。
皐月賞、日本ダービーの2冠を達成した
トウカイテイオーの存在でした。
美しい流星に、他馬では見られないような長い前髪。
無知な子供でも直感的に分かるバネのある走り。
そして、日本最強馬シンボリルドルフを父に持ち、
自身も父の足跡そのままに無敗街道まっしぐら。
それだけで好きになるには充分でしたが、
もはやここで語るまでもなく、その後二度の復活劇。
テイオーが織りなすドラマのような実話に
心を鷲掴みにされたのでした。
今話すと恥ずかしいんですが、当時はそこから漠然と、
将来は騎手になりたいと思うようになりました。
経済的に裕福な家庭ではなかったため、
小さい頃から反骨心というか、
成り上がり精神が強かった私。
仕事で人生の一発逆転を狙ってやるという気持ちが
強かったのかもしれません。
しかし結局その夢は叶わず、
途方に暮れていた高校時代、
たまたま国語の先生から
「アナウンサーみたいな聞き心地の良い声やな」
と自分の声を褒められ、その気になってこの道に。
決して自分の声が好きではなかったんですが、
「聞く人によっては良く聞こえるんだ」
とコンプレックスが転じて今の職業についているのですから
不思議なものです。
不思議といえば、全国の放送局の中でも数えるほどしかない
競馬中継がある放送局、
しかも幼少期に毎週見ていたKBS京都で
その番組のキャスターにさせていただいたのは
何か勝手に運命的なものを感じましたね。
アナウンサーを志した時に「競馬実況がしたい」
とすぐさま思ったわけではなく、うまくいかない就活の中、
「そもそも自分はなぜアナウンサーを目指しているのか」
そんな自問自答を繰り返すうちに芽生えたものでした。
ふと思い出した幼少期の記憶。
耳に残っていた「ダービー馬の意地を見せるか」
という実況の言葉。
1993年、トウカイテイオーが1年ぶりの復活勝利を
飾った有馬記念でアナウンサーが発したフレーズでした。
「騎手にはなれなかったけど、競馬実況という形で
競馬には関わることができるかもしれない」。
そうして今に辿り着きました。