局アナ時代、報道の現場では、京都で起こる事件や事故、
時には単身府外に飛び出して、東日本大震災や熊本地震で
現地リポートなどを敢行。
その時々の出来事を取材しては伝える日々を過ごし、
一方で、ラジオでは芸人さんらと大喜利的なトークに挑戦しながら、
朝のワイド番組を担当する。
そして土日は大好きな競馬の仕事。
普通に考えれば贅沢な、充実の時間のように思えますが、
今後の自分のアナウンサー人生を考えた場合、局に勤めていると
どこかのタイミングで現場を離れなければならない時が訪れます。
往年のアイドルグループの引退の場面ではないですが、
それはすなわちマイクを置くことになる。
自分は生涯、“伝え手”として人生を全うしたい。
例え、アナウンサーという形にこだわらなくても、何らかの形で。
そして伝え手として生き残っていくためには何かに特化していないと
だめなのではないか、そんなことも考えるようになりました。
フリーになるにあたっては、生まれ育った京都に携わる仕事と
競馬に関わる仕事、この2つは大きな柱にしたいと考えていました。
特に競馬に関しては司会を務めるようになってから、
一線を退いていた実況への渇望が大きかったです。
司会をやる前は正直自分の実況のことばかり考えていました。
でも司会を担当するようになってからは
番組全体のことを考えるようになりました。
表に出ることで様々な競馬関係者とも繋がりましたし、
この経験はかけがえのないものであったことは言うまでもありません。
しかし、私もまもなく40歳。滑舌や動体視力などが衰え切る前に、
原点だった実況にもう一度挑戦したい。
そんなことを思い独立を決意しました。
とはいえ、限られた枠しかない競馬実況の仕事がそんな都合良く
回ってくるわけもなく、野球やバスケットボールの実況などをしながら、
その機会を伺っていた去年の暮れ。もう15年ほどの付き合いに
なっている三宅きみひとアナから届いた一本の電話。
「園田・姫路の実況者になりませんか」という言葉に、
「ぜひやらせてください」と即答しました。
引き受けるには相当の覚悟が必要だと頭では分かっていても、
込み上げる喜びと「待ち望んだ実況がようやくできる」
という衝動を抑えられなかったのです。それはまさに青天の霹靂でした。
地方競馬の中でもプライベートで観戦に行っていた
園田競馬場というのにまた嬉しさが増しました。
2月の1週目から姫路競馬で本格的に仕事を始めたのですが、
その前の週には研修もかねて場内散策。
遠く南には世界遺産の姫路城が見える絶好のロケーション。
どこか昭和の雰囲気漂う場内にノスタルジックを感じたのですが、
いざ仕事が始まるとそんな余裕は全く消えました(苦笑)。
今までやってきたことと重なりはすれども違うことが多く、
四苦八苦する日々。
例えば、当然ながら騎手の勝負服も中央と違いますし、
でも似ているデザインもあるから余計に混乱しますし、
コース形態の違い、実況席の位置、音声さんがいないので自分で
音量調節といった諸々の環境が異なるので慣れるのに必死でした。
それに最も大きな違いは“場内実況”であるということ。
中央のテレビ実況と同じアプローチではだめだと気付くまでに
少し時間がかかりました。
ここは現在進行形で試行錯誤しているところです。
それに表に出ているだけでなく、騎手などの勝ち星を集計したり、
レースを録音したり、結果をTwitterしたりと、
裏方の仕事も盛り沢山なんです。
これを日々こなしている諸先輩方には本当に頭が下がります。
しかしこうやって言わば“根っこの部分”から競馬に関われるというのも
地方競馬ならではですよね。
その役割につけることに責任と喜びを感じています。
また中央で走っていた馬を兵庫で見かけることも多く、
「君もここに来たのか」と自分を重ねてみたり、
逆に地方から中央に舞台を移してきた馬はこれまで以上に
親近感が湧きます。一方、兵庫生え抜きの馬の頑張りというのも
応援したくなります。白鷺賞を勝ったジンギが次のダートグレードで
どんな走りをするのかワクワクしますもん。
海外競馬における日本馬の応援のような感覚で、
地元馬を応援する感覚になっています。
競馬の楽しみ方の引き出しが増えた感じですね。
正直、視聴者の数だけ好みがあるので正解はないなと思います。
ただ、「あとは好みの問題」に到達するためには、
“分かりやすく丁寧に、正確に”まずこれが必要なんだろうなと。
ですがこれが難しい。場内実況をするようになって余計に感じています。
ただ矛盾するようなことを言いますが、音声のみで隊列を正確に伝える
ラジオ中継は別として、おそらくそれだけでは実況が存在している
意味が薄いのではないかとも思います。
自身の体験で言えば、幼少期から今に至るまで、
レースと共に思い出される実況には何らかの“熱”がありました。
それは迫力ある声量、抑揚だけでなく、言葉のチョイスであったり、
タイミングであったり。
“血が通っている”とでも言いましょうか。
そんな感じがするんですよね。
それは実況者の押し付けがましい熱ではダメで、
そのレースの空気にあったものじゃないとしらけてしまう。
これもまた難しいところ。
レースそのものがすでに素晴らしいので、それを邪魔せずに、
そしてできることならそのレースとともに思い出されるような実況がで
きれば実況者冥利に尽きます。
レースにあたって下準備はもちろんしっかりするんですが、
自分が何となく頭に思い浮かべたフレーズが、目の前のレースと
混ざり合って、結果的によりその瞬間に合った、
自分でも思いもよらないような言葉になっているのが理想ですね。
そんな機会はなかなか訪れませんが…。
レースを伝えながら自分も驚きたいし、楽しみたい。
そうなるにはレースに対する自分なりの軸というか、
見立てみたいなものも必要です。
それが一人でも多くの方と共感できたら最高ですね。
姫路で実況を始めた当初、ベストオブラックという馬が
6連勝を飾ったレースを担当したんですが、
レース後、ある記者の方に「ゴールの後、“強い!”
と木村さんが実況したら横で見ていた調教師も
“強い!”と言っていたよ」と聞かされたときは
なんだか共鳴したようで嬉しかったですね。
園田のレジェンド実況者、吉田勝彦さんからは
「実況は喋るというより語ることだと思うんだ」
という言葉をいただきました。
その域に辿りつくには果てしない道のりが待っていると思いますし、
そもそも吉田さんは唯一無二の存在ですから、
自分は自分らしく一歩一歩前進できればと思っています。
実況室への加入の仕方もこれまでの方とは異なります。
自分では異端児とさえ思っています。
これまでの実況の歴史を踏襲したり、ましてやそれ以上のものを
なんておこがましいことは一切思っていません。
私はあくまで、三宅さん、鈴木さんに次ぐ“第三の実況者”。
諸先輩方が守ってきたものに傷をつけることなく、
「中にはこんな実況者がいてもいいかな」
と皆さんに思っていただけるような、
新たな存在になれたらと思っています。
正直、まだ兵庫県競馬の全容が把握しきれない中、
そしてまだまだ不安定な足場を歩むフリーの人生の途中で、
自分と向き合うことは難しくもあり、照れ臭くもありましたが、
今後につながる良い機会になりました。
ここまで自分語りにお付き合いいただきありがとうございました。
兵庫の実況者になって唯一残念なのは、
競馬を見ながらお酒が飲めないこと。
これはなかなか辛いですよ(苦笑)。
でもその分、皆さんが白熱のレースと旨い酒に酔いしれるよう、
微力ながらお手伝いできれば幸いです。
若輩者ですが何卒これからもよろしくお願いいたします!