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クローズアップ ホースマン達の勝負に懸ける熱き想い

異色の転身から2年… 思い描く未来は

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新型コロナウイルスで当たり前の日常を奪われて
2年が経過。
園田競馬場は2020年3月から約6か月間は
無観客競馬でレースが実施。
 
世界中がコロナ騒動で落ち着かない時期にダートプロの門を叩く。
 
皆様、こんにちは。鈴木セイヤです。
海を渡ったプロ野球選手と同姓同名のアナウンサーです。
 
今月のクローズアップは鈴木セイヤのセルフインタビューを
お送り致します。
まだご存じない方もいらっしゃると思います。
自己紹介も兼ねて今月の記事を書き上げます。
どうぞご覧ください。
 

見知らぬ土地への移住、偶然の出会い

2012年に地元から大阪へと引っ越し新生活をスタート。
新しい環境で刺激を受けたいという気持ちもあり、
迷うこと無く移住を決めました。
言葉も文化も違う関西で最初は戸惑いましたが、
吉本新喜劇のような会話のやりとりが楽しくて
すぐ環境に馴染めました。
共通の趣味(アニメ・漫画好き)の友人もすぐに出来たので、
仕事面だけでなくプライベートも充実していました。
 
オフに友人と出掛ける場所はサブカルチャーのイベント会場。
「コスプレしてみたら?」の一言をきっかけに
コスプレデビューを果たします。
勧誘して下さった方は舞台役者もされていていました。
撮影だけでは留まらず、イベントのステージで
激しいアクションを取り入れたパフォーマンスをするなど
幅広く活動されていました。
私も自然と同じ道を進むことになりました(笑)
 
京都府の平安神宮や関西国際空港、
東京の旧ニコニコ動画本社といった場所で
パフォーマンスを披露する機会がありました。
振り返ってみれば辛いこともありましたが、
ステージはとにかく楽しかった。
突然音響が止まったり、ライトが消えるハプニングも
多々ありましたが、気にせず演技を続けました。
アクシデントもパフォーマンスの一つです。
 
「ステージは生き物」
殺陣の先生から口酸っぱく言っていたワード。
いつも何事もなく成功するとは思うな。
何が起きても続けろ、素に戻るな。
 
私にとって一生忘れられない言葉です。
 

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積み上げた礎が今に繋がる

大阪に移住して5年目の2016年。
園田競馬場で仕事を始めます。
知人から競馬場の求人が出ている事を聞き、
すぐに飛びつきました。
子供の時から自然と育まれた鈴木家の血が騒ぎます。
 
静岡県藤枝市出身。
サッカーの街と呼ばれている長閑な街です。
 
学生時代に経験したスポーツは、
水泳、野球、陸上競技(短距離)、自転車競技。
野球は全ポジション経験しましたが、
外野での起用が多かったかと思います。
 
父は仕事の付き合いで毎週レース場に通っていました。
大型連休には家族旅行でレース場に行きます。
自宅の床にはオートレースや競艇の専門紙が転がっていてました。
母が言うには私がその新聞を熱心に読んでいたそうです。
幼稚園入園前にはモーターボートのエンジン音、
オートバイの爆音を経験。
三兄弟の中で唯一親父の趣味に付いていける存在になりました。
その当時はオートレース界で片平巧選手、島田信廣選手。
競艇界で服部幸男選手、植木通彦選手が
トップに君臨していた時代でした。
 
1990年代の静岡県には競馬場も
場外馬券売り場もありません。
日曜日の競馬中継で観る以外、選択肢がないエリアです。
公営競技の中で競馬は一番遠い存在。
いつか行けたらいいな・・・とは思っていました。
 
G1に出走する馬は知っている程度の知識で、
G1馬以外では「マグナーテン」「ロサード」「コイントス」
という馬名は今でも頭の片隅に残っています。
 
将来は公営競技のレーサーになるか、
関連する仕事に就きたいなと夢見ていました。
今の私があるのは間違いなく父のおかげです。
幼少の頃から自然と公営競技を知り、
観て楽しんでいた事もあり、
知人からの知らせは願ってもないチャンスでした。
 
初出勤は2016年の5月末。
現在も兵庫県競馬の最前線で活躍するエイシンニシパ、
マイタイザンが3歳クラシックで戦っている時期です。
 
最初の数週間は発走地点での業務を経験し、
後に決勝審判補助業務に就きます。
独特な緊張感で最初の数週間は胃に穴が開くのでは?
というくらい大変でした。
ただ好きな事を仕事に出来たので何としても
食らいつかなくては・・・と思いながら日々奮闘しました。
 
着順判定、着差、上がりタイムはレース後に
中継やインターネットを通じてファンの皆様に公表されます。
絶対に間違えられないというプレッシャーを感じながらも、
レースに関われているという充実感もありました。
 
マニュアルのように毎回平穏で終わることはなく、
時間変更や放馬、競走除外などの特殊事項があります。
何があっても動じないメンタル、
冷静に対応するスキルを約4年間で学べました。
殺陣の先生が言っていた言葉とは少しニュアンスが違いますが、
どの業界でも心の持ち方は同じなんですね。
 
業務を始めておよそ1年。
2017年の春から園田競馬場のスタンド耐震工事がスタート。
スタンド前に櫓が作られ、櫓の上で1年半近く業務する事になります。
 

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