logo

クローズアップ ホースマン達の勝負に懸ける熱き想い

師弟愛で掴んだダービー

写真

 
6月9日、3歳馬の頂点を決める「兵庫ダービー」が行われた。
新子厩舎のバウチェイサーが逃げ切って優勝し、
見事3歳No.1に輝いた。
 
その背中に跨り、優勝へと導いたのが、
紫と黒の勝負服に身を纏った笹田知宏騎手だった。
新たに誕生した「ダービージョッキー」は今36歳、
充実期を迎えている。
 
シュエットで日本の重賞初制覇
(ニュージーランド時代に重賞2勝)を果たした
直後の取材(2016年6月クローズアップ)から6年。
ダービージョッキーの今に迫った。

歓喜のダービー制覇

「この業界に生まれ育って、
ダービーの重みはよく分かっているんですけど、
こうやって勝たせてもらうと嬉しくて頭が真っ白です」
兵庫ダービー優勝直後のインタビューで、
笹田騎手は興奮気味に話した。
 
祖父は伊藤雄二元JRA調教師。
ウイニングチケットで日本ダービーを制するなど
通算1155勝を挙げた名伯楽。
父の笹田和秀氏は、オークス馬エリンコートなどを
育てた現役のJRA調教師。
 
生まれた時から競馬界に身を置く
“日本競馬界のサラブレッド”だが、
ここまでの道のりは決して順風満帆ではなかった。
JRA競馬学校の騎手過程に入学するも、
減量がうまくいかずに中退。
 
そこから言葉の通じないニュージーランドに
17歳で単身渡って騎手デビュー。
イタリアでの騎乗も経験したあと帰国し、
兵庫県競馬の調教厩務員を経てから、
日本で騎手デビューを果たした。
その時、既に25歳になっていた。
 
そこから年々実力を付け、
遂に勝ち得たダービーの称号だけに格別だった。
開催が終わってから見た携帯電話へのメッセージの
数にも驚き、自分だけではなく父など家族にも
祝福の言葉が届いていた。
 
「たくさんの人におめでとうと言ってもらえて
嬉しかったし、やっぱりダービーは特別だなという
気持ちになりました。」
 
週末には、父や祖父からも直接祝福の電話があったそうだ。
 
「父や祖父を見てこの世界に入ったので、
本当に尊敬しています」という父親からは厳しく育てられ、
礼儀作法の一つとして子供の頃からずっと
父や祖父には敬語で話す。
 
そんな父からの祝福は二言三言ぐらい。
「ダービー勝つ気分は良いか?」
「はい、やっぱりダービーは特別です」
程度の会話だったそうだが、
「父からかけられた“おめでとう”の言葉は嬉しかったです。」
 
「厳しく育ててもらったおかげで外に出て
恥ずかしい思いはしていないし、この仕事の楽しさ、
いいところを父には教えてもらったので感謝しています」と
ダービージョッキーは感謝の言葉を紡いだ。
 
プライベートでも親交のある武豊騎手が53歳で
6度目の日本ダービーを果たしたが、それを引き合いに出し、
「豊さんの言葉ではないですが、
『何回勝っても嬉しい、何回でも勝ちたい』と
いう気持ちが本当によく分かる。
これだけ嬉しい気持ちになれるダービーは
何度でも勝ちたいですね。」
 

写真

新子師との師弟愛で掴んだダービー

兵庫でのキャリアは、西脇・重畠勝利厩舎所属で
スタートした。しかし、重畠師の死去に伴い、
2年少しで新子雅司厩舎に移籍することとなった。
 
元々、新子先生の仕事ぶりは傍から見て凄いなと
思っていたそうで、その中で父・和秀師から
兵庫に馬を預けたいので誰か紹介して欲しいと言われ、
そこで新子師を紹介した経緯もあり、
最初は「籍だけ置かせてください」という形での移籍だった。
 
最初の何ヶ月かはそこまで自厩舎の攻め馬にも
乗っていなかったそうだが、
“籍だけ”の弟子を師匠はレースで乗せ続けてくれた。
 
「乗せなくても良い立場なのに乗せてくれたし、
他の厩舎の馬に乗った時にも、
『お願いします。ありがとうございます』と
言ってくれて、なかなかそこまでできる先生はいないなと。
そこまでしてくれる師匠のためだったら、
ちゃんと所属の弟子としてやっていかないと」と
自覚が芽生えた。
 
 
師匠と弟子の関係―――
 
自厩舎の馬に若手騎手が乗り、例え失敗しても辛抱強く
師匠が乗せ続けて、馬と騎手両方の素質が開花して
大レースを制する。昔はそんなドラマが数多くあった。
 
例えば、1998年にデビューしたテイエムオペラオー。
岩元市三調教師は、当時21歳の愛弟子・和田竜二騎手を
26戦全てで起用した。
3歳では勝ち切れないレースが多かった中、4歳になって
8戦全勝(うちG1 5勝)という金字塔を打ち立てた。
 
渡辺栄調教師と角田晃一騎手の師弟コンビは、
クラシックを戦えずに引退を余儀なくされた
フジキセキの無念を、6年後にジャングルポケットで
日本ダービーを勝って晴らした。
 
兵庫で言えば、名伯楽の曾和直榮調教師と
小牧太騎手との師弟コンビが有名だ。
厳しい指導を受けてメキメキ成長した小牧太騎手は
“園田の帝王”と称された田中道夫騎手から
リーディングジョッキーの座を勝ち取り、
遂には中央へと羽ばたいていった――。
 
 
こういった騎手と調教師の固い師弟関係は、
近年の競馬においては少し薄れつつあるようにも思える。
大きなミスをしたわけでもないのに、
本番では実績のある有力騎手に乗り替わりという光景を
しばしば目にする。勝ってなんぼの世界ではあるが、
勝ち負けだけの世界でもない。
人を育てるため時には我慢も必要で、
人情が時間を経て実を結ぶこともある。
 
生まれた時から競馬界に身を置く笹田騎手は、
「昔の競馬場って弟子と師匠の関係があって、
厳しい師匠の所でしっかり揉まれた弟子が成長していく。
時代が変わってもすごく大事なことだと思うし、
自分が裏切らなければ相手は自分を裏切ることはない。
師匠は直接ああしろこうしろとは言わないけれど、
しっかり背中を見せてもらっているので、
大きい背中が目の前にあれば自然と追いかけたくなります」と
偉大な師匠に全幅の信頼を置く。
 
師匠のことは、「誰よりも馬に対して真面目」と
笹田騎手の目には映っている。
「馬との向き合い方を見ていると、
成績が出るのは必然かなと思うし、
その影響はしっかり受けています。
最初の頃は厳しくされましたけど、
だからこそこうやって成長させて貰えている。
先生は絶対に裏切らないし、しっかり乗せ続けてくれている。
要所要所で乗せ替えられる時はありましたけど、
それは自分を成長させる試練でしかないので。
先生がいたからこそ自分はここにいるので。
ただただ尊敬しています。」
 
師匠の背中を見て、弟子は育つ。
 
「父も園田の人たちに『息子をよろしく』と
言ってくれたりしているし、
尊敬すべき人達が身近にいるので、
そういう人たちのためだったら我が身を削るのは
痛くも痒くもないです。
自分もいずれはそういう立場になりたい。
若い子たちにも気付いて欲しいなと思う。
僕はただただ恵まれています」と感謝の言葉を何度も口にした。
 
一度ユメノアトサキでダービーを制したことがある新子師は、
「次は笹田にダービーを取らせたい」と強く思っていた。
そして、バウチェイサーに万全の仕上げを施して、
愛弟子にバトンを渡した。
弟子はその想いに応えてダービー優勝。
 
師匠からかけられた言葉は、「ありがとう」の一言だけだった。
 
「馬から降りて握手して、それだけで十分です。」
 
多くの言葉はなくとも通じ合う、
そんな深い師弟関係が園田にはある。
 

写真

クローズアップbacknumber