「親方の言うことは絶対なんです。厩舎はピリピリしてました。
厩舎関係のことは自分のミスでなくても、すべてこっちに返ってくる。
四六時中、勉強しろ勉強しろ!って言われつづけてました」
ほかの厩務員より自分への当たりはきつく、
「馬のことはすべて把握するぐらいでないとアカン。
これぐらいでめげとったら調教師になってもやっていけんぞ!」と、
ことあるごとに叱責され、逃げだしたくなることもあった。
精神的にまいってしまう日々の連続、風呂で何度も泣いたという。
そんなとき、橋本忠男元調教師から「うちでしばらくゆっくりしとけ。
休憩しながら働け」と声をかけられ一時避難したこともある。
範雄師にすれば厩舎を任せられる番頭を育て、
やがて三代目を継がせるための帝王学を学ばせたかったにちがいない。
競馬界で生きてゆくには強いメンタルでないとやっていけない、
そういう父の想いがあった。結果的にはそれが正解だったが。
「馬に対しては妥協しない、親方の信念ですね。
とにかく納得ゆくまでやりますから。その点はうるさかったんで。
自分のなかに(教えが)生きてますよね。体に染み付いてる。
だから、この馬どうしたらいいかなという迷いがない。
どうしたら走るのかわからないというのがないですね。
親方のところでそれだけ真剣に馬と向き合ってたんやな、
とあらためて感じます。逃げださなくてよかったです。
1回(忠男厩舎に)逃げだしましたけどね(笑)」
調教師免許を取得後、一巧師は栗東の矢作厩舎に4週間の研修に出かけた。
開業前に一流の厩舎を肌で感じることができたのは大きかったという。
「栗東で余分なものが何もかも取れたんですよ。
すっきりクリアになった。
もし行ってなかったらこんなにうまくいかなかったと思う。
いま自信を持ってやれてるのは、迷いが吹っ切れたから」
三代目の重圧や範雄調教師の息子というプレッシャーも、
そのときすっきりと取れたようだ。
スタッフはベテラン厩務員2名とアルバイト3名の5人体制
(3月以降、1名増員の予定)。
全員がフランクに話し合える雰囲気を第一に考えている。
範雄厩舎で苦労したことへの反動からか、ともかく「真逆をめざした」らしい。
モットーは、仕事はたのしく、馬には笑顔で。
年明け早々、今年は新子厩舎に食らいついていこう、
と厩務員たちがうれしいことを言ってくれた。
「メチャクチャうれしかったです。みんなを抱きしめたくなりましたよ」。
そう言って一巧師はケラケラ笑う。
「みんなが自信を持ってやってくれてる。それがぼくは有難いです」。
事程左様にスタッフのモチベーションは高い。
彼自身、厩舎のなかで調教師だという感覚はないという。
「そういう感覚は要らないと思ってます。
厩舎長ぐらいの感じでいいんじゃないかな」。
厩舎における単なるリーダー的存在であり、兄貴分であり、
なんでも話せる相談役でありたいと。
したがってトップダウン方式などむろんなく、全員で相談し、
知恵を出しあい、最良の策を講じる。
まるで田中一巧民主共和国でもつくろうとしているかのようである。
人の上に立つ者は謙虚でなければいけない、
良き人材を育てる者は下の意見に聞く耳を持たねばならない。
一巧師はそこのところをよく理解しているようだ。
「スタッフも騎手もそうですけど、”結果を出してくれよ”じゃなくて、
リラックスして仕事をしてほしい。
プレッシャーを与えずに結果を出すというのが、
人間、思いきったこともできるでしょうし、そういう感じで接してます」
朝の調教では、手本にしている新子雅司師に倣って自厩舎の馬(12頭)
すべて跨がっている。
新子師からは開業時「とにかく3年間死ぬ気でやれ。
馬に乗るのが趣味やと思え!」と励まされた。
「いい競馬って長くつづかないっていうじゃないですか。
でも新子さんはあれだけ頑張っていい結果を出しつづけている。
やっぱりやることは全部やって、
自分を信じてやらないとしようがないと思うんです」。
先頭を走る厩舎を真似するのが結果を出すには一番効率がいい、
まずは模倣から。1年生らしい考え方だ。
いい結果が出せているからだろう、話っぷりは明るく、
冗談をまじえながらよく喋ってくれた。内向するタイプではないので、
親方にどやしつけられ風呂で泣いたという話も、
こだわりなく、さらっと言えるのだと思う。
一本立ちしたいま、親方に対して思うことは
「追い抜けるものは何ひとつないんで、とにかく安心してもらうこと、
それが一番の願い」だと。
「こうして結果が出せたのも親方がいて、環境に恵まれているから。
感謝しないとバチが当たりますよね」
初戦初勝利で波にのって、一巧厩舎を見定める試金石となる1年がはじまった。
看板馬マイフォルテは重賞初勝利をめざし、
3月の六甲盃をめざすローテーションを組んでいる。
「今年1年、この勢いのまま年末までいきます。そう信じこんでやります。
数字的にはわからないですけど、気持ちはベスト10のなかに入りたいですね」
「この調子を崩さず、園田競馬を盛り上げていかないと。
一歩ずついきます。二歩三歩いくと、あとが怖いので…」
最後は慎重に、実直な言葉で締めくくった。