ここまで輝かしい成績を残したことに関して本人は
「1頭1頭を全力で乗ってきた結果だとしかいいようがない」と、さらっと言う。
“パワフル競馬””全力パフォーマンス”が騎手・木村健の代名詞だったが、
かつて彼が言ったことがある。
「なんでもかんでもパワフルに、無理やり馬を動かしているようにみえて、
じつはレース途中でちゃんと馬に息を入れさせている」と。
木村の騎乗テクニックのすごいところだ。
無理を承知で、思い出に残る馬をあげてもらった。
初重賞を制覇したガバナマイウェー(2001年)から
昨年の菊水賞馬マジックカーペットまで、重賞馬だけでも30数頭におよぶ。
4年間で重賞8勝をあげたアルドラゴン、
自らの誕生日に黒潮盃(大井)を勝利したオオエライジン、
JBCが開催された2008年11月3日に楠賞を勝ったバンバンバンク、
重賞3連勝を含む6連勝をとげたエーシンサルサなどなど…。
それぞれの馬にさまざまな栄光と挫折が詰まっている。
折々のレースをふりかえりながら、
思い出の名馬を語れる木村はなんとシアワセ者だろう、と思う。
と同時に、その栄光の裏で彼が一人で背負いつづけた責任の重さを
想像せずにはおれなかった。
トップジョッキーの栄光は、プレッシャーとの闘いとつねに背中合わせにある。
「全部、思い出に残っています」
感慨深げに、木村は言った
繰り返すようだが、木村厩舎の開業プランはまだ何も進んでいない。
すべては調教師免許を取得する4月1日以降のことであり、
いまは土壌づくりの段階である。
「初出走はいつごろになりそう?」と質問して、笑われてしまった。
どんな厩舎づくりをめざしているのか、と訊ねると
「明るく元気な厩舎」と答えた。
「とりあえずは馬を入れてもらうことからはじまるんでね、
そこから結果を出していって一
歩一歩、前に進んでいこうと思ってます」。
いま答えられるのはその程度なのだろう。
いざ開業準備に入ったとして一番の問題はスタッフの確保、
それが難題だと考えている。
「どこの厩舎も厩務員さんが足りてない状態ですから、園田も西脇も。
5頭持ち6頭持ちの人もいるくらいなんで…」。
昔の厩舎を知る人は、一人の厩務員が担当する馬は2頭が常識だったという。
それが4頭がふつうになり、いまは5頭、6頭にふえている。
人手不足からくる過重労働も気になるところ。
なにやら相撲部屋の付け人不足の話に似ている。
「ぼく、いま3頭持ちですけど、4頭は無理です」と木村は言う。
兵庫県所属に限定せず、広く他場の厩務員に声をかけることも彼は考えているようだ。
ともあれ、開業プランが具体化してからの動きにならざるをえない。
騎手・木村健の雄姿をもう見られないのは残念だけれど、
ファンの前に姿をみせるセレモニーが3月29日に用意されている。
あのオレンジと白の勝負服もこれで見納めか。
そう思っていたら、セレモニーで勝負服は着ない、
いや着られないのだという。
体重がふえて入らなくなってしまったのだ。
「こないだ着てみたら…ああ、破れる…(笑)」
42歳の新調教師らしくスーツ姿で登場するそうだ。
ただいま開業一歩手前、馬のことをみっちり体に沁みこませる勉強期間だと心得て、
日々の努力がつづく。
開業準備が手つかずの状態であっても「もっと馬のことを勉強したいから」と、
まったく焦りはない。
むしろ現在の勉強期間をもう少しつづけたほうがいいと考えている。
「ジョッキー時代はたくさんのオープン馬に乗せてもらってるんで、
調教はほかの人よりできる自信がある。
ここ数ヵ月、(田中)範雄厩舎で結構攻め馬をこなしてきました。
ほかの厩舎はふつう半マイルなんですけど、範雄先生とこは基本1周追い切りなんで。
ああいうのも勉強になりますね」
「全休前になったら範雄先生とこで治療がはじまるんです。
先生は馬の脚を触診する。
ハリを打ったり。全部ひと通り診れるんです。すごいなと思った」
馬体重の増減は飼料の配合を変えることで調節できることも最近知った。
調教師になる心構え、準備は着々と進んでいるようだ。
最後に、ファンに向けてメッセージを求めた。
「現役時代同様、またファンに喜んでもらえるような、
そんな強い馬づくりをしていきたい」。
木村健は照れくさそうに言った。
いま言えるファンに向けての精いっぱいの言葉だった。
“パワフル競馬”第2章、木村丸の船出はもう少し先のようである。