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クローズアップ ホースマン達の勝負に懸ける熱き想い

日本一のチームワーク

 
西脇に居を構える紫の軍団、
石橋満(いしばし みつる)厩舎。
2019年6月に開業すると、開業2年目には
早くも47勝を挙げてリーディング10位に躍進。
4年目の今年、クリノメガミエースで「ぎふ清流カップ」(笠松)
を勝ち、ついに重賞初制覇も果たした。
 
ちなみに開業2年目でリーディングトップ10入りを
果たした厩舎は、21世紀に入って以降、
新子雅司厩舎、橋本忠明厩舎、石橋満厩舎の3つしかない。
 
開業1年目に新子師から言われた「俺らの中に入ってこい」
と言われた言葉を胸に刻んで奮起し、
橋本師を兄貴分と慕う石橋満調教師。
その過去から現在、そして未来の夢にクローズアップする。
 

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16歳から厩務員生活20年

石橋師は兵庫県宍粟市の出身。
元々動物が好きな子供で実家では犬を飼っていたが、
馬とは縁がなかった。
競馬自体は興味があって見てはいたが、
直接の関わりはない中、
高校1年の夏に人生を変える転機が訪れた。
 
中学時代の後輩の実家が、20頭ほどの乗用馬が
余生を過ごす養老牧場をやっていて、
夏休みにそこでアルバイトをしたのだ。
初めて馬と濃密な時間を過ごす中で、
「動物が好きなんやったらこんな仕事もあるよ」
と馬主さんから厩務員の仕事に誘ってもらった。
 
夏休みが明け、学校に行きながら将来の進路について
どうしようか考えていたが、「思い立ったらすぐ動く性格」
の石橋青年は、2学期の途中には高校を辞め、
地元の兵庫で競馬の世界に入る決断をした。
そして、実家の宍粟市から東へ40kmほどの場所にある
西脇馬事公苑(通称:西脇トレーニングセンター)の
山本和之厩舎で厩務員として働き始めた。
1997年の秋、16歳のことだった。
 
当時、園田競馬場は“アラブのメッカ”と呼ばれていた
時代だったが、時代の流れに乗る形で兵庫県競馬でも
サラブレッド導入が決定した頃のことだった。
 
山本和之厩舎から大塚信次厩舎へ移り、
そして田中道夫厩舎へ。
それぞれ約3年ずつ在籍した後、
小牧毅厩舎に10年以上籍を置いた。
そこで、厩務員から調教師補佐になり、
調教師へと羽ばたくこととなる。
 
「馬を触っているのが好きだったので、
ずっと厩務員でいるつもりだった」というが、
調教師補佐になる前から、
小牧先生に厩舎の管理を任され、
色々と試行錯誤を繰り返す中で、
「自分で厩舎を持てば自分の好きなようにできるし、
もっとこうすればいいんじゃないか」
というアイデアが沸き、
それが調教師を目指すきっかけとなった。
 
ただ、当時は競馬場の売上が下がり、
賞金も年々カットされる中、
競馬場の存廃論も取り沙汰されていた。
「正直、競馬が下火だったので調教師になることは
迷っていました。
でも、20年この仕事をしてきてやっぱり好きですし、
この仕事しかないなというのがあったので。
やってみてダメなら厩務員に戻ってもいいやと、
やらないと何も始まらないなと。」
 
そして、調教師補佐を経て、37歳で調教師試験に合格、
厩舎を開業した。
今があるのは、「色々とやらせてくれた
小牧先生のおかげですね」と感謝している。

 

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調教師としての礎

調教師になるまで兵庫県の競馬しか知らなかった
石橋師は、開業する前に、高知・雑賀正光厩舎から
はじまり、川崎・高月賢一厩舎、
北海道・田中淳司厩舎まで、JRAの栗東・清水久詞厩舎、
美浦・大竹正博厩舎を含めて、
半年かけて全国のトップ厩舎で勉強して戻ってきた。
「強者のメンタリティを色々な方から教えてもらったのは、
すごく糧になっているなと感じます。」
 
そんな中で、ブラストワンピース(2018年有馬記念優勝)
を育てた大竹師から学んだ調教理論や
競走馬管理の考え方が心に響き、
「ここまで細かい作業や報告をやるのか」と感銘を受けた。
 
そこで石橋厩舎でも、どんな細かいことでも
報告がちゃんと上がってくるようにシステム化した。
「自分の担当馬3~4頭だけをやっていればいい
という人は多いが、うちは全員で管理するぞ
と言ってやっている。
そこがチームワークの良さでもあるし、
誰かが気づいていない見落としているところを
カバーできる。ここから馬房数が増えて人数が増えても、
それが続くようにやらないといけない」と、
“全員で管理する”ということに重きを置いた厩舎運営が
「うちの強み」と胸を張る。
 
「競馬って1~2分走って、最後はコンマ何秒の世界。
そのコンマ何秒の差は調教が上手いとか、
馬を作るのが上手とかじゃなくて、
日々のちょっとした何か手を加えたり、
工夫したりした所で最後の差が出てくると思う。
そういった気配りとか、細かい所に気付くというのが
一番大事なんじゃないかなと考えて伝えています。」
この言葉にも、スタッフ一人一人が意識を高く
馬と向き合っていることが伺える。
 
また、兵庫では橋本忠明調教師から学ぶところが大きいと話す。
橋本師とは、厩務員の時はほとんど喋ったことも
なかったそうだが、調教師になるタイミングで意を決した。
「調教師の息子さん(父は名伯楽の橋本忠男元調教師)で、
凄い人だなと一歩下がって見ていたんですが、
何もない所から始める人間にとっての近道は
真似をすることなので、近くで一番結果を出していた
橋本先生に『近くで見させて欲しい』とお願いしたんです。
馬主さんとのお付き合いの仕方とか考え方とか
アドバイスをもらって、今は弟分みたいにしてかわいがって
もらっています。そのおかげで今がありますね。」
 

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思い出の紫

話は厩務員時代に遡る。
20年間で数多くの馬を担当した中で、
唯一重賞タイトルをもたらした馬が
ダイナミックグロウだった。
2015年の摂津盃、
11歳での重賞制覇は未だに破られていない
兵庫県競馬の最高齢重賞勝利記録として輝いている。
 
「正直、あの時の僕だからあの成績で
止まっているだけで、今の知識があって
もっと頑張っていたらもっと走っていたと思うので、
申し訳ないことしたなと思う。
蹄がすごく弱い子だったので毎日のケアだったり、
色々なことをあの子には教えてもらいましたね」
と懐かしく振り返る。
 
ダイナミックグロウの馬主(小川勲氏)の
勝負服が紫を基調とするものだったこともあり、
石橋厩舎のイメージカラーとしてその「紫」を取り入れた。
それほど思い入れがある1頭だ。
 
そして、石橋厩舎といえば、
馬具やメンコとお揃いカラーの紫のネクタイを着け、
常に洗練された格好で周回する厩務員さんの姿が印象的だ。
「馬主さんも見られているし、
恥ずかしくない格好でと思っています。
2,3週間かけてやってきたことをお披露目する場所なので、
自分たちのやってきたことに誇りを持とう
ということもあって、服装は徹底しています。」
石橋厩舎の統一感あるパドック周回の姿もぜひ
ファンの方には見ていただきたい。

 

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