騎手クローズアップ

目指せ!未来の千両役者!

~ルーキー山本屋太三騎手に迫る~

9月28日の第8レース、ニコシーナに騎乗した山本屋太三騎手は道中2番手から抜け出しての勝利。序盤逃げられないとみるや、すぐに控える競馬に切り替え、勝負所では早めに前を捕まえようと追い通し。積極的な競馬で1番人気馬を見事に1着に導いた。騎手の判断が光った勝利にも見えた。

これで4月のデビューから5ヶ月余りで通算31勝目に到達。
規定により翌週より減量が1キロ取れて、3キロ減から2キロ減へと変わる。

「まだ2キロ減までは(乗り方を変えなくても)大丈夫というか。でも次の1キロ減になると全然変わると思います。ハナに行こうとしても行けなかったりするので、差しや追い込みを覚えないといけません。乗り方もタイトさを求められますし、ロスのない動きをしないといけない。そして何よりまだ筋力が全然足りません。馬をなだめたり、引っ張る力が。そこをこれから改善したいです」。

若干17歳の若者は、節目の勝利に一喜一憂することなく、淡々と今後について語った。

喋り方は年相応だが、話の中身、ことさら競馬について話すときはとても大人びている。
ルーキーとは思えぬ、すでにプロの騎手の佇まいだ。
こちらの質問に対し、驚きの答えの数々。
騎手になってまもなく半年。今、何を考え、どこを目指しているのか。

1年目、17歳、山本屋太三騎手の人物像に迫る。

喜びはほどほどの初勝利

4月13日の第3レースでデビュー戦を迎えた山本屋太三騎手。

タマモプリズムに騎乗し、結果9頭中の5着。ほろ苦い初陣となった。
結果がというよりもハナに行く馬をスムーズに行かすことができなかった。
師匠の坂本和也調教師からは「もっと早くハナに行け。なんとしてもハナに立て」と言われたという。

「返し馬からコースのポケットに入ったときに、心臓バクバクでした。
”わー来ちゃった”みたいな感じでした」と当時の様子を振り返る。

「ゲートに入ったときに、まず”馬が多いな”と思いました。とにかくゲートで引っ掛けないように、まずは他の馬についていくことが大事かなと思って。この時点でも緊張感はやばかったですね。でもレース中は緊張感もなくなって、意外と考えながら乗れました」。

教養センター時代も模擬レースを経験していたとはいえ、その時は5、6頭のレース。実戦は頭数が多く、このデビュー戦も9頭立て。場内の雰囲気も相まって、これまでとは全く違う心持ちで挑むことになった。

記念すべき初勝利はその5日後に訪れる。翌週18日の第7レース、タケマルスワローでの逃げ切り勝ちだったが、それでも喜び爆発!とはいかなかった。

「馬の力で勝てました。引っかかってハナに立って、制御できずに1、2コーナーでは馬任せで回ってきてしまって。
2コーナーからは自分のペースで運べたんですけど、そのまま”ゴールしちゃった”という感じで。
ゴールイン後は(特別な感情はなく)普通に勝ったーという感じでした」と苦笑まじりに振り返る。

兄弟子の大山龍太郎騎手に「めちゃめちゃ良かったじゃん!」と言われ、ようやく初勝利の実感が湧いた。

もう一人の兄弟子、竹村達也騎手からは「引っかかりすぎ」と、注意と助言をもらった。

ちなみに「最後まで追えよ!」とこちらもやはり注意をした師匠の坂本師だったが、裏ではしっかり弟子の初勝利を喜んでいたようだ。

しかし肝心の本人にはそれほど笑顔はない。自分が勝利に導いたという手応えがなかったからだ。
では、山本屋騎手自身が初めて納得できた勝利はどのレースだったのか。

それは5月31日、ワンナイトスタンドに騎乗し、ナリタイチモンジとのマッチレースを制したときだったという。

兵庫の不動のトップにして、今年も全国リーディングをひた走る吉村智洋騎手の追い上げを退けてのものだった。
ちなみにこのときは吉村騎手も思わず、「うわぁ、やられた〜。(坂本)先生!弟子の教育なってないですよ!」と冗談混じりにルーキーを称えたようだ。


「ワンナイトスタンドには最初からずっと乗せてもらっていて、当時は調教をつけていたんですが、ゲートが遅いし、砂被ったら嫌がるし、コーナーはめちゃくちゃ膨れますし、とても難しい馬で。
できるだけ前々に詰めて、3、4コーナーで先頭までいって、最後はぎりぎり押し切るっていう感じだったんですけど。
外枠でどうやって乗ろうとか考えて、レース中でこうなったらこうしようとか自分で計画を立てて。そんなイメージをして初めて勝てたレースでしたね。ワンナイトスタンドはだいぶ特別な馬になっています」。

こう話し終えて、ようやく山本屋騎手の笑顔が見られた。

現状の分析

デビューから約5ヶ月余り、9月29日現在で通算32勝。
減量も1キロ取れ、良いペースで勝ち星を積み上げているように見えるが、
「本当だったらもっと勝っているはずなんですけど」と、本人は全く満足していない。

「4月14日の金曜日にアヴニールレーヴに乗せてもらったんですよ、ダントツ1番人気の。ハナに行く馬なのにハナに行けなくて。結果3着になっちゃって。本当だったら全然勝てている馬なんですよね。それで1勝取りこぼしてますし、それ以外もハナに行けそうで行けなかったレースで取りこぼしが多かったので」と悔しさを滲ませる。

勝負の世界に身を置く立場としては当たり前の資質ではあるのだろうが、相当な負けず嫌いにも見える。本人はこのあたりも客観的に自己分析していた。

「レース後に悔しいと思うときはめちゃくちゃありますけど、レース中にその負けず嫌いの部分が出ることがあって。
例えば、ついさっき乗ったレースでもそうなんですけど、ハナに行けるか行けないかの状況とかで発揮されるんですよ、負けず嫌いというか変なところが。こうなったら意地でも行きますね。結果垂れたとしても」。

結構強引に行くことに対して、ルーキーの身としてためらいも起こりそうなものだが、山本屋騎手はどうやらそのようなタマではない。

「もちろん、周りの人たちにケガをさせるのはいけないですが、危害を加えず、馬にも安全な乗り方をしていれば、多少強引でも行こうと思っています。自分が(レースの中で)得する状況を作れればいいし、そこは何を言われても。
もちろん、言われて忘れはしないんですけど、切り替えというか。切り替えるけど忘れないという感じですね。
じゃあ次はもうちょっと前に行ってから隣に自分がハナ行くよって目配せしてから行くと。そんな感じです」。

続けて自身の課題をこう話す。

「キョロキョロしちゃうんですよね。スタート決めてハナに行けそうと思っても一応周りは来てないかなと無駄な動きをしてますね。キョロキョロするのと隣をじろっと見て”俺がハナに行く”と主張するのは違うじゃないですか。そこですね。

あとは(減量のある)今はハナに立つのが理想ですけど、これから追い込みが得意な馬に乗ることもあるじゃないですか。そういうときに、レース中どの馬が道中で下がってくるかとか想像して位置取りを考えて、かつ脚を溜めるような競馬ができればいいですね」。

減量が取れたときにどう乗るか、すでに考えながら乗っているという山本屋騎手。
その考えに至ったきっかけはヤングジョッキーズシリーズ出場だったという。

ヤングジョッキーズシリーズの経験

ヤングジョッキーズシリーズは中央、地方の垣根を越えて同世代の騎手たちが腕を競う競走で、もちろん減量の恩恵はない。
にも関わらず、山本屋騎手は今回のシリーズでいつものように減量を生かすような前々の競馬をして、結果バテてというレースを経験した。

「斤量56キロに乗ってよく分かりましたね。全然違います。馬もすぐ垂れます。1キロ変わるだけで違います」。

山本屋騎手は現在、地方・西日本地区のエリアで45ポイントの4位。
他の騎手、特に同じ兵庫所属で39ポイントの5位につける長尾翼玖騎手(現在高知競馬に期間限定騎乗中)はまだ笠松ラウンドで騎乗があることを考えるとファイナルラウンド進出は難しいかもしれないが、それでもこのシリーズが成長のきっかけになっている。

ファイナルラウンドの地方競馬の舞台は山本屋騎手の地元にある川崎競馬場だ。

「地元で乗りたいという思いで臨んでいました」とトライアルラウンド園田での勝利インタビューで話していただけに、本選出場が厳しい今、本人は悔しそうだ。しかし気持ちはすでに前を向いている。

「仕方ないですね。でも次は3キロ減があるときのような乗り方はしないんで。来年はもっと上手く乗れると思いますけどね。今回はチャレンジというか、当たって砕けちゃったというか(笑)」。

ちなみに兵庫で1年目は山本屋騎手1人、同期はいない。
同世代のみの戦いは刺激になったのだろうか。

「別にないですね。周りが違うと乗り方が違うんで。JRAはJRAの乗り方というか。
いつもの園田だと向正面でじっくり構えているんですけど、周りが早く仕掛けてきたのでいつものレースではなかったですね。
TR園田の第1戦で勝ったことで、第2戦もポイントを意識するじゃないですか。周りの早仕掛けに自分も飲まれて、焦ってついていってしまって最後垂れてしまいましたね。もう少し我慢できていればとは思います」。

「近い年齢の人がいるんで全然寂しさとかはないです」と同期がいないことは全く意に介していないようだ。このあたりもとても大人びている。

2人の兄弟子と影響を受ける先輩騎手達

その近い年齢の兄弟子、大山龍太郎騎手とはよく一緒にご飯に行くなど仲が良いという。

一方でもう一人の兄弟子、竹村騎手は今年で41歳。
山本屋騎手からすると親ほど歳が離れており、実際、竹村騎手の長男と同い年になる。
帰りのバスの中で、その日のレース映像を見ながらアドバイスしてくれる貴重な存在だ。

「竹村さんは親みたいな存在で、大山さんは馬の特徴などを教えてくれる相談役みたいな存在ですかね」と話すように、兄弟子たちはそれぞれの立場で弟弟子を見守っている。

また「影響を受けている騎手は?」という問いにも、真っ先に大山龍太郎騎手の名を挙げる。
「追い込みの姿勢とか僕は上手いと思うんで、よく大山先輩の真似をしようとしてるんですけど。やっぱ難しいですね。めちゃくちゃ柔らかいんですよ、追い込み方、追い込みのときの姿勢が」。

そしてこの他にも先輩騎手たちの勉強になる点を次のように続けた。

「道中は(田中)学さんみたいな捌き方を、スタートは長谷部さんとか杉浦さんですかね。
そして剛腕で、最終的に勝つ吉村さん。真似しようと思っても真似できないところもありますけど色々影響を受けていますね。

ちなみに下原騎手に関しては「周りの騎手がしないことをしている。自分の独特のやり方を持ってますね。理さんの乗り方をしてみようというのは自分が3キロ減の減量が取れてから考えたいと思います」。

「よく分析していますね」とこちらが話すと、「いやー暇人なんで」と笑って返してくれた。
話の内容を聞いていると年齢を忘れそうになる山本屋騎手だが、たまにこうして見せるあどけない表情は等身大の17歳のそのものだ。

私生活は?!

その17歳の若者はプライベートではどんな生活をしているのだろうか。

「休みの日は厩舎の作業に出ているんですよ。それが終わったらよくベラジオマサキのレースを見ているんです」と、私生活に切り込もうと質問すると思いがけない言葉が返ってきた。

「ベラジオマサキのレースが820m戦で一番勉強になるんですよ。出は遅いんですけど、二の脚が速い。どう捌いて先頭に立つか、ハコに入れるのか、空いているところに突っ込んでハナを奪うのかとか。
あと1400mだとミッドホエールですね。こちらもズブいし、道中動かしながらも3、4角ではタメないといけないので。
1700と1230はほぼスタートの出で決まるじゃないですか。だから820と1400のそれぞれの距離でこの2頭に勉強させてもらっています」。


先輩騎手に留まらず、自身が騎乗した馬たちからも日々学んでいるようだ。

プライベートを聞いて最初の答えがこれだから驚かされる。
そして、今度こその思いでプライベートに切り込んでみる。

最近の趣味は小説を読むこと。山田悠介さんの近未来サスペンス「メモリーを消すまで」や「真夏の方程式」をはじめ、東野圭吾さんの作品も好んで読んでいるという山本屋騎手。
インタビュー中のスマートな受け答えも教養が身に付いているからなのか。


もちろん鍛錬にも余念がない。
毎週火曜はパーソナルジムに通って体を鍛え、気に入った器具があれば購入し、自宅でもトレーニングに励んでいる。あとはもっぱら寝ているそう。

「基本はインドア派です。”隠キャ”ですよ!」と話す山本屋騎手だが、地元の神奈川県川崎市から単身関西に来て、間もないことも理由にあるのだろう。

騎手を目指したきっかけ

「山本屋」という名字がとても珍しい感じがするのだが、本人曰く全国に100人ぐらいしかいないそうだ。
ちなみにネット検索で調べてみると40人ぐらいしかヒットしないので実際はもっと貴重な名字なのかもしれない。

「最初はめちゃくちゃ嫌でした。なんなら”太三(たいぞう)”も大正時代っぽい名前で。普通でいいんですよ。加藤や斉藤とか最高じゃないですか。結婚してお嫁さんの方の名字にしようかなと思うぐらいです。
『加藤さん、斉藤さん、結婚してください!』いや、17歳なんでまだ早いです!」と自身にノリツッコミを入れつつ、「でも今は名前を覚えられやすいからいいですけどね」と笑顔で続けた。
ちょっとずつ好きにはなってきているようだ。


ちなみに、山本屋騎手は男三兄弟の三男で、兄二人の名も”太”と”漢数字”を意識した字が付けられているという。
12月生まれだったこともあり、”三太(さんた)”になる予定だったが、「危ないところでした」と苦笑するように、それはなんとか回避できた。

山本屋騎手がこの道を志すきっかけとなったのは、自身がまだ小学3年のとき。当時は兄のゴルフの練習についていくため、千葉へ行くのが日課だったが、その道すがらに乗馬クラブがあった。あるとき、そこで馬を見て、実際に乗ってみたのがはじまりだ。

「めっちゃ疲れました。で、やめようってなって。でも暇だから馬はちょくちょく見に行ってたんですよ。ポニーを見たりしてました」。

その後ほどなくして地元の川崎競馬場で競馬を観た。
レースを観た瞬間に「やってみたい」と心を奪われた。

「赤い勝負服を着ていたので的場さんだった気はします。かっこよくて、こういう職業に就きたいと思いました」。
大井の帝王、的場文男騎手の姿がこの世界に導いた。

そこからは迷いなく競馬の騎手を目指した。中学2年のときには川崎市で4種(床・跳馬・あん馬・鉄棒)の体操競技の大会で総合2位になったこともあるが、これも騎手に必要な体幹、バランス感覚を養うために始めたものだ。

JRAも受験した。「騎手になれればどこでも。チャンスがあるところは全部受けてって感じですね。兵庫は毎週開催があって、3日間あるし、それにきれいだしというのもあって。あと同期がいないところに行きたかったんですよ。争うのも、乗り馬を取られるのも嫌なんです。3キロ減だからという理由で。
だから1人で行きたかったですね」。

正直この言葉には面を食らってしまったが、それと同時にもう彼の中で戦いはすでにデビュー前から始まっていたんだなと感じた。

関西に来て苦労はあるかと訊ねると、「少し慣れたぐらいですかね。人の名前で関西のアクセントが分からないです」と苦笑い。

地元神奈川の友人とは離れていることに加え、生活リズムが違うのでたまに連絡を取るぐらいだ。

プロの騎手になった上、地元から離れ、生活環境が全く変わった。
大変な中、日々を過ごしていると想像できる。

将来に向けて

最後に今後の目標も聞いてみた。

「そうですね。まずは3キロ減がなくなったときにどうするかですね。
実を言えば(減量が2つ取れた)1キロ減でもほぼほぼ(恩恵は)ないものだと思っているんで。そのときからパパッと対応できるぐらいの技術は持っておきたいですね」。

理想とする騎手像は、”たくさん乗れる騎手”だという。

「バンバン勝てるというのが一番理想なんですけど、そのためにも必要なことはたくさん乗ることじゃないですか。なので(騎乗依頼がたくさん来るよう)認められる技術があればいいですね」。

「坂本先生だって”逃げの坂本”と言われてましたけど、何かに特化したものがあれば、たくさん乗れるかなと思っているんで。特化できるものを僕は見つけたいですね」。

インタビュー中、印象的だったのは、違うことに対しては「いえ、違います」とはっきり言い、何かを説明するときには「例えば」から始まり、必ず騎乗していた馬の名と、そのときのレース中の動き、思惑を詳細に話してくれたことだ。
とてもクレバーで常に考えを巡らせている。

なぜここまでしっかりしているのか、その源泉を問うと、

「それは坂本先生じゃないですか。やらなければ怒られるので(笑)。
あとは基本ネガティブなんで。不安になるから色々事前に考えるんです。昔から」。

そんなしっかり計画を立てる山本屋騎手へ、最後に「自分がリーディングを取るのはいつ頃か」と問うと、「うーん、(計画は)立ててますけどね。15年先なんで」と明確な答えが返ってきた。

いやはやとんでもない新人が入ってきたぞと、聞き手の私も胸の高鳴りを抑えられない。

先を見据えながらも、目の前のレースの反省、修正は決して怠らない。
あくまで彼は地に足が着いている。

「よ!山本屋〜!」「タイゾー!」と、大舞台で歓声を浴びる山本屋太三騎手の姿が今から目に浮かぶ。

着実に、一歩ずつ、大きな夢に向かって。

未来の千両役者にどうか幸あれ!

文:木村寿伸   
写真:斎藤寿一   

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