騎手クローズアップ

12年ぶり、重賞制覇の陰に

〜竹村達也騎手〜

3月2日の姫路競馬場。
メインの兵庫ユースカップはべラジオソノダラブが道中2番手から早め先頭、押し切り勝ち。
兵庫若駒賞に続く2つ目の重賞タイトルは竹村達也騎手、坂本和也調教師の師弟タッグによってもたらされた。
今回、実戦では初めて手綱を握った竹村達也騎手。
自身にとっては実に12年ぶりの重賞制覇となったが、レース後は喜びを爆発させるというよりは、重圧から解放され、安堵の表情を浮かべていた。

今回のクローズアップは、この勝利の舞台裏と竹村騎手の今の心境に迫る。


12年ぶり重賞制覇の舞台裏


竹村騎手がべラジオソノダラブへの騎乗について知ったのは意外な形だった。今年の1月末に開かれた兵庫県馬主協会の新年会、“ベラジオ”の冠名でお馴染みの林田オーナーからの一言で知ることとなる。
「次はベラジオソノダラブを頼むよ」という予期せぬ言葉に、「えっそうなんですか!?」と竹村騎手はただただ驚くばかり。「自厩舎なので調教はつけますけど、レースは(田中)学さんでと思っていたので…」とまさに晴天の霹靂だった。

然るべきタイミングで弟子に伝えようと思っていた坂本師にとってはまさかの事態になったが、こうなれば仕方なし。
「一度でいいから、“このレースのために”となりふり構わず、全力で臨みなさい」と、それ以後は毎日のように口酸っぱく竹村騎手に伝え続けたという。

坂本師には常々“弟子に重賞タイトルを取らせたい”という思いがある。そして去年あたりからはそれを実現させることを一つの課題にしていた。
オーナーに快諾してもらい、騎乗が叶ったが、約束はこの兵庫ユースカップの1戦のみ。
“たった一度のチャンスをものにできるか”、ここからレースに向けた師弟の戦いが始まった。

竹村騎手はレースでは初騎乗となるが、馬の背中は知っていた。
べラジオソノダラブには調教や能検で乗っており、動きの良さも分かっていた。
デビュー前、「乗れたらいいな」とはもちろん心の奥では思っていたが、現実はそうではなかった。「田中学さんに騎乗依頼があったので。これでまた縁がないというか。でもそこからは調教だけはしっかり乗っておこうと、レースで勝てる調教をしようと気持ちを切り替えました。
しかしまさかこのタイミングで自分に手綱が回ってくるとはという感じでしたね」と竹村騎手。
馬のことは良く分かっている。あとはどうやって勝つか。
そこは坂本師と事前に様々なシチュエーションを考え、それに応じた戦法を練りに練った。




迎えたレース当日


「テンションが上がったら大変やからなるべくリラックスさせて返し馬をしたらいいよ」と主戦の田中学騎手からも事前にアドバイスを受けていた。願いが届いたのか、レース当日のべラジオソノダラブは返し馬から落ち着いていた。
状態は申し分ない。あとはレース運び。勝つためのパターンを何通りも用意していたが、勝率が最も高くなるのは、スタートを決め、先行することだった。
竹村騎手はスタートには自信を持っている。自身のコツを踏まえた上で馬任せで出すことが多いというが、流石に今回ばかりは勝手が違っていた。
重圧のかかる中、少し硬くなったが、「絶対にスタートを決める」という強い意志を持ってレースに臨んだ。

「五分にさえ出れば先行できる」と頭に描いた通り、しっかりとスタートを決めたベラジオソノダラブ。出鞭を入れると折り合いを欠く心配があったが、幸い入れることなく、手押しで2番手が取れた。まさにここまで理想の形だ。


向正面は淡々と流れ、3角手前でついにレースが動く。
竹村騎手は向正面あたりからしきり後方を確認。その視線の先にはもう一頭の人気馬、ニシケンボブと吉村騎手の姿があった。コーナーでは進みが悪いニシケンボブ。それを考慮した上で吉村騎手は必ず早めに動いてくる。
その想定通り、吉村騎手は仕掛けてきた。そこからすかさず、べラジオソノダラブも早めに動き、先頭に踊り出る。「じっくり行って相手に楽をさせないように。ちょっと抜け出すのが早くても並ばれるより押し切った方がいいなと思ったんで」。過去のレースを見て、それが最善の策だと考えていた。

後続との差を2馬身半ほど広げて直線へ。
「半マイルからの動きがいい馬だと分かっていたんで。ここから動いてもこの馬なら最後まで持たせることができると思っていました」。
普段の調教での感触が自信になった。結局、ベラジオソノダラブは熾烈な2着争いを尻目に、2馬身と抜け出しての快勝。


用意していたあらゆる作戦の中で最も理想的な形で運んでのものだ。
それは、承諾してくれたオーナー、導いてくれた坂本師、そしてそのチャンスをものにした竹村騎手、携わった者たち全ての思いが結実した瞬間だった。

「やっと役目を果たせました」。レース後、鞍上はほっと胸を撫で下ろした。奇しくも前日の3月1日は自身にとって40歳の誕生日。1日遅れのバースデー勝利となった。
今回はこの1戦のみの約束であったため、次走は田中学騎手に戻る。「とりあえず今回重賞で結果を出せたことは、自分には糧になるし、1回でも乗せていただいたことに感謝ですね」と竹村騎手は笑顔で語った。


どん底と葛藤


思い返せば、これまでもチャンスはあった。今から3年前、ずっと調教に乗っていた自厩舎のナリタミニスターに初めて騎乗し、いきなりJ R A交流を制するも、その後2戦で3着、4着。
「あの頃、別の馬で不甲斐ない競馬をしてしまって。それで『(ナリタミニスターに)このまま乗せるつもりやったけどやっぱりもう乗せられへんわ』と坂本先生に厳しく言われたことは覚えていますね」。ナリタミニスターはその後、吉村騎手とのコンビで重賞を4勝することになる。

それでも竹村騎手は、自分が我慢すればいいことだと言い聞かせた。歳を重ねるにつれ、オーナーの考え、調教師の気持ちを理解するようになった。
「自分の技術のなさで乗れないこともあったと思います。ただ、今は若い頃よりは技術はアップしていると思うんで。ネガティブは絶対だめです。この世界はポジティブでいないと。調教してもレースで騎乗できないことに不満を持っていた時期もありましたが、今は調教に乗せてもらえることに感謝するようになりました。
そういう悔しい思いをして、ソノダラブで勝たせてもらったんで、すごく嬉しかったというか。ほっとしたというか。確かにここまで長かった。でもまだ先はありますし、第1ステップではないですけど、そんな感じですね」。

今回ユースカップを勝つまで、重賞勝利は2つだった。いずれも最初の所属だった溝橋一秀厩舎のリジョウクラウンとのコンビによるもの。


1つ目は重賞初制覇となった園田プリンセスカップ。そして2つ目は、今はなき福山競馬場で行われた若草賞だ。
2011年、3月。当時、リジョウクラウンは中央遠征が予定されていたが、11日に発生した東日本大震災の影響で、中央のレースは中止に。急遽、福山に矛先を向けた中での勝利だっただけに強く印象に残っているという。
「後ろから行く馬だったんで、捌きどころが難しかったんですけど、内々回って、そこから捌いてこれた。これまでの騎手人生で一番の騎乗だったと言えるかもしれません」。
リジョウクラウンは元々脚元が弱くてなかなかデビューできなかった。そんな中で自分が調教をつけていたので喜びもひとしおだった。

とはいえ、この時期はいい思い出ばかりではない。むしろ「このときはどん底でした」と苦笑する。当時はまだ若手で手当ても低く、金銭的な余裕はなかった。
若手は誰しもが通る道とはいえ、生活苦の中で騎手を続ける厳しい時期だった。溝橋一秀厩舎、松浦正勝厩舎、盛本信春厩舎と所属を変える中で、葛藤も続いた。
調教師に転身しようかとも考え始めた2020年の2月。以前から「うちに来い」とずっと声をかけてもらっていた坂本厩舎の門を叩いた。
坂本師からは「調教師になるのか、騎手を続けるのか、どっちなんだ」と決断を迫られた。
「あと3年か5年、騎手を頑張ってやってみい。40歳前後ならもう一花咲かせられるやろう」。この言葉で騎手を続ける決心がついた。今がちょうどその3年目。あのときもらった言葉の通り、一花咲かせることができた。


師匠・坂本調教師の思い

「常々弟子に重賞を取らせたいという思いがありましたし、色々総合的に考えてのことでしたが、オーナーが理解をしてくれたのが大きいです」と坂本師。大きな決断をした以上、結果も求められる。それでも師は腹を括った。そして最高の結果を生んだ。
「この重賞タイトルはうちの厩舎にとっても、竹村にとっても、とてつもなく重い1勝でしょうね。重賞ということだけでなく、そこまでに至るプロセスも含めて、一つずつやってきたことが形になったのですから、達成感はあります」。



「ナリタミニスターのときは、着順よりも思い切った騎乗、馬の能力を引き出す騎乗ができていなかったから苦渋の決断をした。何かできない理由を先に探しているところがあった。できない理由を先に探すのではなく、どうしたらできるのかを考えてほしかった。挑戦することによって、結果は約束されていないけど、成長は約束されている。それは40歳になってからでもできるはず。
チャンスをもらえるから頑張るんじゃないんですよ。頑張った先にチャンスが巡ってくることがあるんです。
それを分かってくれるかどうか。普段からの姿勢でこちらの心を動かしてほしいですね。この勝利でまた成長してくれることを願いますし、(大山)龍太郎も刺激を受けてほしいですね」と少し厳しいようでありながらも、その表情、語り口からは愛情が伝わってきた。


弟弟子や同期の存在

弟弟子には大山龍太郎騎手がおり、そして4月からもう1人、新人の山本屋太三騎手が厩舎にやってくる。
山本屋騎手は新人騎手の発表会見の際、目標とする騎手に兄弟子の竹村騎手の名を挙げ、「朝の攻め馬から一頭一頭、丁寧にされているところを尊敬しています」と話していた。そのことを本人に伝えると「嘘でしょ。全然そんな素振りなかったですけど。これはかわいがってやらなダメですね。ちゃんと普段から見ているんですね。」と照れくさそうに笑みをこぼした。
「刺激になるというより、息子の歳なんで。エールを送りたい感じですね」。竹村騎手の長男と山本屋騎手がちょうど同い年ということもあり、兄弟子ではあるがもはや父親目線だ。
逆に刺激を受けるのは廣瀬騎手、板野騎手の同期2人の存在だ。「特に廣瀬は学校でも2年間共に苦労してきたし、ずっと心折れず、努力を続けていたのを見ていますからね」と目を細める。年間100勝、キャリアハイを更新し続ける姿に対しては「たまたまチャンスがなかっただけだと思いますよ。刺激は受けますね。板野も頑張ってほしいし、同期は仲良いですよ」と笑顔で語った。



今後に向けて

去年は2016年にマークした自身の最多勝の58勝に並んだ。年末に新型コロナにかかってしまった不運もあり、キャリアハイ更新は目前で届かなかったが、それでも大きな怪我なく乗ることができた。
「記録を抜きたかったんですけど、まぁそれが僕らしいかなって。今後の目標はまずキャリアハイ更新、そしてまた1年間、怪我なく乗ること。それに尽きますね」と竹村騎手。



ここ2年は年齢のことも考えてパーソナルトレーナーをつけ、体幹トレーニングやマッサージ、針も受けつつ、体のケアに取り組んでいる。
一方で“かれこれ15年ほどの付き合い”という腰痛はなかなか克服できない難敵のようだ。
ただ本人は決して衰えを感じていない。「体力も落ちていないし、技術的には昔より上ですから。まだまだ頑張りますよ」と前を向く。

孔子の「論語」には“不惑”(四十にして惑わず)という言葉があるが、元々は“不或”という字があてられていたという説もある。こちらは“区切らない”という意味合いがあるらしい。
「あまり40歳になった意識はないですね。気持ちはまだ若いから。それに今調教師になることは頭にないですね。騎手としてある程度充実しているということですかね」。
今の竹村騎手には、進む道に迷いも、40歳の区切りもない。ただ自分らしくひたむきにこの騎手道を全うする。



文 :木村寿伸
写真:斎藤寿一


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